四霊達の過去~天王寺の届かぬ想い
季節は幾度も巡った。
春が過ぎ、夏祭りを迎え、紅葉が境内を彩り、また春が来る。
気付けば天王寺は、小さな社へ通うことが当たり前になっていた。
「桜、おはよう。」
朝早く石段を上ると、箒を持つ桜が振り返る。
「あっ、天王寺さん!」
その笑顔を見るだけで、胸の奥が温かくなる。
「今日は早いね。」
「近くまで用事があったもので。」
もちろん嘘だった。
用事などない。
ただ、桜に会いたかった。
それだけだった。
そんな小さな嘘が少しずつ増えていく。
桜は疑わない。
「じゃあ朝ご飯、一緒に食べよう!」
「鳳ちゃんが焼き魚焼いてくれたの!」
「我は焼いただけじゃ。」
「十分すごいよ!」
「亀さん、お味噌汁お願い!」
「うむうむ。」
「麒麟さん、お皿運んで!」
「なんで我なんじゃ。」
「龍さん、お箸!」
「……承知した。」
四霊達も呆れながら、それぞれ動き出す。
その様子を見て、天王寺は自然と笑ってしまう。
神獣でありながら、まるで家族。
上下も命令もない。
互いを思い合い、支え合う関係。
そんな光景を見たことがなかった。
「何笑ってるの?」
桜が首を傾げる。
「いえ……。」
「ここへ来ると、心が安らぎます。」
その言葉は本心だった。
桜は嬉しそうに笑う。
「それなら良かった!」
その笑顔が、また心に刻まれる。
⸻
それからというもの、天王寺は頻繁に社へ顔を出すようになった。
祭りの準備。
掃除。
参拝客の案内。
祈祷の手伝い。
理由はいくらでも作れた。
村人達も、そんな二人を温かく見守っていた。
「天王寺さん、また来てるよ。」
「もう婿さんみたいだな。」
「違う違う。」
「夫婦みたいじゃないか。」
笑い声が境内に響く。
桜は頬を赤くして手を振る。
「違いますって!」
「天王寺さんはお友達です!」
その言葉に村人達はさらに笑う。
天王寺も照れ笑いを浮かべる。
だが、その胸の内は違っていた。
“友達。”
その言葉だけが、静かに胸へ刺さる。
それでも今はいい。
隣にいられるなら。
笑顔を見られるなら。
そう自分に言い聞かせていた。
⸻
ある夕暮れ。
祭りの片付けを終えた二人は、石段へ腰掛けていた。
山の向こうへ夕日が沈んでいく。
沈黙が心地よかった。
しかし今日だけは違う。
天王寺の胸は、朝から激しく鼓動を打っていた。
“伝えよう。”
何度も心に決めた。
今日逃げれば、一生言えない。
拳を握り締める。
「桜。」
「ん?」
夕日に照らされた横顔。
風に揺れる黒髪。
その姿があまりにも綺麗で、一瞬言葉を失う。
それでも、ゆっくり息を吸った。
「私は……。」
「あなたが好きです。」
「一人の女性として、お慕いしています。」
静かな告白だった。
桜は驚いたように目を見開く。
しばらく何も言えない。
やがて、申し訳なさそうに微笑んだ。
「……ありがとう。」
その笑顔だけで、答えを悟る。
それでも天王寺は黙って待った。
「天王寺さん。」
「私ね。」
「あなたのこと、嫌いじゃない。」
その言葉に、小さな希望が灯る。
しかし。
「でも。」
桜は真っ直ぐ天王寺を見つめた。
「私は巫女として、この社を守って生きていきたい。」
「それに。」
四霊達の方を見る。
鳳凰は静かに目を閉じ、霊亀は優しく見守り、麒麟は微笑み、応龍は黙って立っている。
桜は柔らかく笑った。
「この家族と過ごす毎日が、本当に幸せなの。」
「だから今は。」
「誰かと家庭を築く未来は考えられない。」
「ごめんなさい。」
その言葉に嘘はなかった。
天王寺を傷付けたくない。
だからこそ曖昧な返事はしない。
それが桜の誠実さだった。
天王寺は静かに俯く。
胸が痛い。
苦しい。
それでも、不思議と桜を責める気持ちは湧かなかった。
「……そうですか。」
ゆっくり顔を上げる。
無理に笑顔を作った。
「あなたらしい返事です。」
桜の瞳が少し潤む。
「ごめんね。」
「謝らないでください。」
天王寺は穏やかに首を振る。
「私は。」
「これからも、あなたの傍にいます。」
「友人としてでも構いません。」
「あなたの笑顔を守れるなら、それで十分です。」
桜は安心したように微笑んだ。
「ありがとう。」
その笑顔を見た瞬間。
天王寺は改めて思う。
“やっぱり、この人が好きだ。”
忘れようとしても忘れられない。
諦めようとしても諦められない。
この想いは、もう自分の一部になっていた。
⸻
その様子を、森の奥から静かに見つめる影があった。
月明かりの届かない木陰。
誰にも気付かれぬ場所で、一人の存在が立っている。
朧だった。
その瞳は、天王寺だけを見つめている。
悲しみを隠しながら笑う青年。
届かぬ想いを抱え、それでも離れようとしない姿。
朧は小さく口元を緩めた。
「……人とは。」
「実に面白い。」
その声は夜風に溶けて消える。
まだ近付かない。
まだ言葉も掛けない。
だが朧は確信していた。
あの青年の胸には、誰にも見えない小さな亀裂が生まれている。
今はただの失恋。
今はただの未練。
けれど、その小さな亀裂は、時が経てば必ず深くなる。
朧は静かに踵を返した。
「焦る必要はない。」
「心は、弱った時ほど甘い言葉を求める。」
夜の森へ姿を消しながら、朧は静かに笑う。
その笑みは、月明かりすら届かない闇の中で、ひどく冷たく見えた。
そして――。
誰もまだ知らない。
この静かな失恋が、千年後まで続く悲劇の始まりであったことを。




