四霊達の過去-最強の巫女 桜との日常
今からおよそ千年前。
山奥にひっそりと佇む小さな神社があった。
大きな社ではない。
有名な神社でもない。
参拝客も少なく。
神主と巫女が細々と守っているような神社だった。
だが。
その静かな境内には、昔から妙な気配があった。
風の通り道が、時折ほんの少しだけずれる。
誰もいないはずの社殿の奥で、鈴の音がかすかに鳴る。
そんな、気づく者だけが気づくほどの小さな違和感が、山の深いところで静かに息をしていた。
その神社には代々受け継がれる力があった。
人ならざるものを視る力。
穢れを祓う力。
そして。
神獣達と心を通わせる力。
その神社で巫女を務めていたのが桜だった。
まだ十八歳。
しかし。
その血筋の中では歴代随一と言われるほどの才能を持っていた。
それでも。
桜自身は全く偉ぶらなかった。
むしろ。
「そんな凄い力じゃないよ?」
と本気で思っていた。
だから四霊達も最初は困惑した。
⸻
「鳳凰ー!」
朝。
神社の境内に響く声。
羽を休めていた鳳凰は顔を上げる。
すると。
社務所から飛び出してきた桜が手を振っていた。
「朝ごはん出来たよ!」
鳳凰はため息を吐く。
「我は神獣だ。」
「知ってる。」
「食事は不要だ。」
「知ってる。」
「ならば何故呼ぶ。」
桜は不思議そうに首を傾げた。
「だって寂しいじゃん。」
鳳凰は言葉を失う。
桜は本気だった。
食べなくてもいい。
必要なくてもいい。
ただ。
一緒にいたかった。
それだけ。
「ほら、行くよ。」
腕を引かれる。
鳳凰は抵抗しなかった。
いや。
出来なかった。
何故なら。
少しだけ嬉しかったからだ。
その瞬間、境内を渡った風が、ほんの一瞬だけ冷たく鳴った。
だが桜は気づかない。
鳳凰も、まだ気に留めなかった。
⸻
食卓には霊亀もいた。
麒麟もいた。
応龍もいた。
誰も食事は必要ない。
なのに。
全員いる。
「はい。」
桜は饅頭を霊亀の前に置く。
「亀さん好きでしょ?」
霊亀は少し目を丸くした。
覚えていたのか。
たった一度口にしただけなのに。
「ありがとうの。」
柔らかく笑う。
桜も嬉しそうに笑った。
その顔を見ると。
何故か心が温かくなる。
霊亀は不思議だった。
長い年月を生きてきた。
人間など数え切れないほど見てきた。
だが。
桜のような人間は初めてだった。
その笑顔は、まるで曇り空の隙間から差し込む陽のようで。
見ているだけで、胸の奥に沈んでいた何かが静かにほどけていく。
同時に、どこか遠くで、まだ形にならない不穏な気配がかすかに揺れた。
けれど、その時の霊亀には、それが何を意味するのか分からなかった。
⸻
麒麟は縁側にいた。
本を読んでいる。
そこへ桜が座る。
「何読んでるの?」
「歴史書じゃ。」
「面白い?」
「面白いぞ。」
「へぇ。」
そう言いながら。
桜は肩にもたれる。
麒麟が固まった。
近い。
近すぎる。
「どうしたの?」
「いや……。」
桜は本当に無自覚だった。
神獣だから緊張する。
そんな発想が無い。
麒麟は苦笑した。
昔なら考えられない。
神獣に対してこんな態度を取る人間など。
しかし。
嫌ではなかった。
むしろ。
心地よかった。
ただ、麒麟はふと本の頁に落ちた自分の影を見て、ほんの僅かに目を細める。
そこに映る影が、いつもより少しだけ長い気がしたからだ。
もちろん、気のせいかもしれない。
だが、そうした小さな違和感ほど、後になって忘れられなくなるものだった。
⸻
応龍は最初。
桜が苦手だった。
人間だから。
弱いから。
守られるだけの存在だから。
そう思っていた。
だが。
ある日。
悪霊退治で負傷した。
かなり深い傷だった。
神獣なら自然に治る。
だから放置していた。
すると。
桜が怒った。
「座って。」
「必要ない。」
「座って。」
「応龍。」
「……。」
「座れ。」
応龍は座った。
何故か逆らえなかった。
桜は手際よく手当てする。
薬を塗る。
包帯を巻く。
そして。
最後に言った。
「痛かったでしょ。」
応龍は返事が出来なかった。
誰も聞かなかった。
今まで。
強いから。
神獣だから。
平気だと思われていた。
だが桜は違った。
傷ではなく。
痛みを見た。
その日から。
応龍は桜を見る目が変わった。
その優しさは、ただ癒やすだけではない。
見過ごされてきた痛みを、痛みとして受け止める力だった。
だからこそ応龍は、あの時ふと感じた。
この少女の周りには、いずれ何かが集まる。
光だけではない。
影さえも、引き寄せてしまうのではないかと。
⸻
夕暮れ。
神社の石段。
桜は座っていた。
その横には鳳凰。
後ろに霊亀。
向かいに麒麟。
木の上に応龍。
いつの間にか。
それが当たり前になっていた。
「今日も平和だったね。」
桜が笑う。
鳳凰は小さく頷く。
「そうだな。」
「みんなのおかげだよ。」
桜は本気でそう思っていた。
だから。
感謝する。
当たり前のように。
四霊達は何も言わない。
だが。
同じことを考えていた。
――違う。
平和なのは。
お前がいるからだ。
桜が笑うから。
神社に帰って来たくなる。
桜が待っているから。
また会いたくなる。
気付けば。
誰からともなく集まるようになった。
鳳凰も。
霊亀も。
麒麟も。
応龍も。
それぞれ別の土地を守っていたはずなのに。
時間が空けば神社へ来る。
桜に会いに来る。
そして。
誰も気付いていなかった。
その日々が永遠ではないことを。
運命が少しずつ動き始めていることを。
夕暮れの空は美しかった。
けれど、その美しさの端に、ほんのわずかな翳りが混じっていた。
まるで、まだ誰も知らない未来が、静かにこの場所へ影を落とし始めているかのように。




