第六話
喫茶FOR SEASONSは花町のカフェの中で決して古株というほど古くもなく、ここ最近できたばかりの新参者というほど新しくもありません。ある程度の数のカフェがここ花町に定着したころにできたお店で、町はずれの路地裏にお店を構えたこともあってか、オープン当初はあまり客入りがよろしくなく、お店に行くと大抵お客さんはミミだけで、オーナーの柳瀬くんはそんなお店の状況に「やっぱりそう甘くないですよねぇ」とよく嘆いていました。
柳瀬くんは元々大手外食チェーンが経営するカフェのバリスタとして働いていて、 三十歳を様に独立し、喫茶FOR SEASONSを開業しました。大手のやり方に疑問を持ちながらもそこでカフェのノウハウを学び、同時に開業に必要な資金も貯蓄し、二十歳のころから思い描いていた計画通りに夢を実現させたそうです。
「もちろんそんなトントン拍子には話は進みませんでしたけどね」と柳瀬くんは言いました。「大まかな流れでいえばそういうことになりますけど、実際はその途中で結婚して子供もできたし、いざ会社を辞めてお店を始めようにも条件の良い物件はそう簡単にはでてこないし、あったらあったで高くて僕の予算じゃ到底手も出せない。妥協に妥協を重ねてようやくこの場所に決めたら、今度は内装費が予算オーバー・・・・ いやぁ、本当に山あり谷ありとはこういうことを言うんだなと、雇われていたころの自分がいかに世間知らずだったかをつくづく思い知らされましたね」
「誰だって最初はそうだとミミは思いますよ。いくら同じ業界にいようと、自分ですべてやるのと雇われているのではまるで話が違うんですから。右も左もわからなくて当然です」
「そんなもんですかねぇ」
「そんなもんですよ」
「ミミさんも今のお店を自分でやり始めたころはそうだったんですか?」
「そりゃもちろん。柳瀬くんのようにその業界に長く身を置いて学んできた経験もないまま、ミミは突然自分のお店を持ってしまいましたからね。右も左もわからないどころか一寸先は闇でした」
「でも、ミミさんの場合この町の飲食店で長く働いていたんですから、僕なんかよりはるかに色々な経験を積んでいたと思いますけど」
「ある意味では色々な経験をさせてもらったのは確かです。何せ当時の花町といったら今とはまるで別世界といっても過言ではないほど栄えていましたし、春夏 冬は「古き良き時代の花町の残り香を後世に」という志のもと、料亭板垣の元料理長だった吉中茂雄が経営していたお店ですからね。日本語もまともに話せないだけでなく、ロクに仕事もできなかったミミのことを「とんな丁種を抱え込んじまったもんだ」と笑い飛ばしながらもクビにもせず、お店の二階に住ませて給料までちゃんと払ってくれていましたから。遠く離れた異国の地から身寄りもなくやってきたガイジンのミミにしてみれば、あんな良い環境で働けたことはラッキーだったとしか言いようがありませんし、亡くなった今でもヨシさんには頭が上がりません。ヨシさんとの出会いがなければミミは今こうしてこの町にはいなかったでしょうし、それに・・・・」
ミミはそこまで言いかけて言葉を切り、お茶を濁すようにエスプレッソの入ったカップを口に運びました。まだ通い始めて間もないのに、余計なことをしゃべり過ぎてしまった気がしたからです。柳瀬くんはプロですからそんなこと気にはしないかもしれませんが、ミミだって現役を退いたとはいえ、元々は同じ接客業をしていた身ですから、今はただのお客という立場でも、お店の人に迷惑をかけるような真似はしたくありませんでしたし、あのまま好きに話していたらミミはきっとお店の名前のことにも口を出していたに違いありません。初めてその看板を見たときから、むしろそれに惹かれてお店に足を踏み入れたミミですから。いずれは聞くつもりであっても、まだ関係性もできていないあのタイミングで、そのことを聞くのはあまりに不躾な気がしていたので、危ないところでしたがどうにかミミはその言葉を飲み込むことができたのです。




