第三話
今でこそそういう壁が人と人との間に立ちはだかることは少なくなりましたし、世間の風潮として良くないことと認識されるようにもなりましたが、まだここが大川テラスではなく大河のほとりと呼ばれていた頃、ここ花町には壁はいたるところに存在していました。当時はまだ珍しかったミミのようなガイジンはもちろん、同じ日本人でも田舎者だったりただ川向うから来たというだけで、花町の人たちは簡単に壁を作っていました。それに同じ町の人間同士でも旦那衆と若い衆との間にも壁はあり、同じ女性でも女中と女将との間には越えられないほどの高さの壁がありましたから、花町の人間だからといって壁のない世界で生活していたわけではありませんでした。むしろミミたちのような余所者のほうがわかりやすく余所者扱いをされたので、ある意味では気が楽だったかもしれません。あるのに見えない壁より、はっきりと誰にでも見える壁のほうが諦めがつくというものです。
ただそれでも当時まだ若かったミミは性懲りもなく、早いところこの町の人間になろうと自分なりに切磋琢磨していました。あのころはまだ一介の旅行者でまともに日本語も話せなかったというのに、若さとは恐ろしいものです。今のミミにはそんな勇気はありませんし、そもそも気に入ったからといって、そのまま居座るような真似は絶対にしなかったはずです。そうしたいと思ったとしても一旦は帰国し、準備を整えてから改めて出直したことでしょう。当時の若気の至りのような勢いは今のミミにはもうありませんから。そんな無謀さが旦那衆のお眼鏡にかかり、おかげで随分と面倒をみてももらいましたが、戻りたいかと言われればそうとは思いません。ある意味面倒をみてもらう歳にはなりましたけど、今となってはその相手が旦那衆でないことは確かです。
とはいえあのころは一介の旅行者でしかないミミのことを、旦那衆は本当によく面倒をみてくれたと思います。旅行者として滞在していたのは一か月ほどでしたが、その間毎晩呑みに連れて行ってくれては、当然のようにお金まで払ってくれて、まさに至れり尽くせりとはああいうことをいうのでしょう。そんな旦那衆の立ち振舞いを真似したりして、「ガイジン風情がイキがりやがって」と旦那衆からひどくからかわれたのも今となっては良い思い出です。




