第二話
五年前の事故のことは今でもとにかく曖昧にしか覚えていません。時の流れがミミに当時の記憶を忘れさせたわけではありません。事故に遭ったその瞬間から一体何が起きたのか、当事者であるにもかかわらずミミにはわからなかったのです。
あの日、明け方近くまで酔っ払った事実は覚えていますが、どれくらいの量を飲酒したのか、何時間飲酒し続けていたのかは思い出そうにも思い出せず、意識を取り戻したときにはもう病院のベッドの上で、酸素マスクに体中管だらけの姿でした。話を聞けば、ミミの記憶にある最後の日から一週間が経っていました。あのときミミが動かせるのは耳だけだったので、ただそこから得た情報を頭の中で反復する以外にすることはなく、それから一か月後にようやく話すことができるようになった頃には、もうそんなことはどうでもよくなっていました。空白の時間に何が起きたかを知ったところで、ミミの痛みを消し去ってくれるわけではありませんからね。意識が朦朧としながらも酸素マスクに体中管だらけのときのほうが、断然気持ちも体もマシでした。
それから約半年間の入院生活はミミにとって苦痛の日々でした。質素な食事に厳しいリハビリ、それにミミの一日をまるで監獄に押し込めるような、刺激も何もない繰り返しの日々。思い返すだけで今でも気が滅入ってきます。あれでまだ担ぎ込まれた病院が昔からの顔馴染みのお医者さんがいる大川病院だったら、もう少しマシな入院生活を送ることもできたでしょう。ですが、大川病院は救急患者の受け入れはしていなかったようですし、だったら転院をと訴えもすることにはしましたが、あのころすでに大川病院は外来や入院を受けつけていないどころか、病院ではなく介護施設に姿を変えていたのです。それが事故に後遺症による記憶障害だったのか、それとも単なる老いなのかは今も定かではありませんが、「それでも構わなければ話はしてみますけど」と、主治医の若いお医者さんにからかわれたことは今でも忘れません。
そんなこんなとあの入院生活には色々と苦い思い出がありますが、それでもあの半年があったおかげで、入院するまでの怠惰な生活とも縁を切ることができましたし、 結果的に限りなく健康に近い今のミミがいます。健康であることはとても大事なことです。若いうちはついつい蔑ろにしがちですが、そういったことの積み重ねで歳をとってから痛い目をみるのは明白です。
ただそうと頭ではわかっていても、それがちゃんとできないのが人間の常とでもいいましょうか。今でこそ日々健康を意識した生活を送ってはいますが、あの当時のミミは以前の怠惰な生活が、ただただ懐かしくて仕方がありませんでした。退院してからも早寝早起きの生活が続き、煙草はやめて飲酒は極力控え、それに加えて毎朝大川テラスを散歩するのが日課となっていましたから、ふとしたときに昔に戻りたいと強い衝動に駆られることもしばしば。そんなときは自分の欲求を抑えきることができず、 昔を気取って馬鹿騒ぎをしたり、暴飲暴食に走ったりもしましたが、結局はそのせいで体調を崩す羽目になっては後々後悔をしたものです。歳はとりたくないものですね。 晩年のヨシさんもあーだこーだと昔話に花を咲かせたあとに突然、恥ずかし気に笑みを浮かべながら「歳はとりたくないもんだ」とよく言ってましたっけ。あれが入院中の話だったか、それともまだ一緒に呑み歩くことができていたときの話だったかは思い出せませんが、そう言うのが晩年のヨシさんの口癖でした。
今思えばあの頃からミミはもう若くはありませんでしたが、まだヨシさんの言葉の意味を理解はしていませんでした。「そうですね」と言い返してはいましたが、実際のミミはまだ「歳はとりたくない」だなんて思ってもいませんでしたから。相手が年長者となれば考えずとも同意するのが当然でしたし、ましてやその相手が旦那衆の一人であれば尚更ですが、そもそもまたただの若輩者だったミミに、ヨシさんの気持ちを理解することなんてできるはずがありません。若輩者とはいえど同じ土地に生まれた者同士でしたらまた話は別かもしれませんが、残念ながらこの話はミミが生まれ育った国から遠く離れた土地でのこと。いくら親身に付き合っていた仲でも、ミミとヨシさんとの間には越えられない壁があったのは否めません。




