第25話
カン、カン、と金属が打ち合わされる硬質な音が、昼下がりの裏通りに規則正しく響いていた。
治療院の前の通りには、頑丈な角材と鉄板を組み合わせたバリケードが立ち並んでいる。数日前までの簡素な木組みとはまるで違う。鍛冶師や大工たちが本気で組んだ、強固な防壁だ。
「ダリウス、あんまり高く積むと、普通に歩くやつまで通れなくなるぞ」
俺が声をかけると、太い腕に金槌を握ったダリウスが白い歯を見せて笑った。
「なに、先生。裏の連中には抜け道を教えてある。だが、表から土足で踏み込もうとする礼儀知らずには、このくらいの壁が必要ってもんだ。娘の命を救ってもらった恩を、こんな木切れ数本で返せるたぁ思っちゃいねえがな」
「大げさに考えすぎだ。あの子はもう、元気に走り回ってるだろ」
「だからこそだよ。あの笑顔を守ってくれた場所を、汚されてたまるかってんだ」
ダリウスは太い釘を迷いなく打ち込み、手で揺すって強度を確かめた。
少し離れた路地の角では、冒険者のリックが仲間数人と地図を広げ、指を走らせていた。手配書や路地の見取り図を照らし合わせながら、侵入経路の確認をしているらしい。
「東の抜け道は封鎖した。西の路地は狭いから、向こうが数で押してきても一列にならざるを得ない。俺たちがそこで足止めすれば、治療院の敷地に一歩も入れさせずに済む」
リックが落ち着いた声で指示を出すと、周囲の屈強な男たちが力強く頷く。
治療院の入り口近くでは、銀縁眼鏡を指先で押し上げながら、クレアが手元の羊皮紙をめくっていた。元は大聖堂の修道女だった彼女がもたらした情報は極めて正確だ。敵の動員数、配置、そしてどのような手順で圧力をかけてくるかまで、詳細に記されている。
「アレン先輩。大聖堂側が傭兵部隊の指揮を委ねたのは、武闘派で知られるザックという男です。これまでの嫌がらせのような小細工ではなく、実力行使でここを更地にするつもりでしょう」
クレアの声には微かな緊張があったが、その瞳に迷いは見えなかった。大聖堂の欺瞞に見切りをつけ、こちら側へ身を投じた彼女の覚悟が滲んでいる。
「あいつらも必死だな。俺一人を引っ張り戻すために、そこまで大掛かりな真似をするとは」
「大聖堂の権威が揺らいでいるのです。先輩が去って以来、治癒の質は目に見えて落ち、貴族や富裕層からの不満がビショップ司祭に集中していますから」
「自業自得だ。上が腐れば下まで滞る。昔から何も変わっちゃいない」
俺が肩をすくめると、診察室の奥からセリアが静かに歩み出てきた。いつものように優雅な足取りで、手には湯気を立てる陶器のカップが載った銀の盆を持っている。裏通りには不釣り合いなほど精緻な細工が施された品だが、今ではすっかりこの治療院の日常に溶け込んでいた。
「アレン様、皆様。少し手を休めて、温かいお茶をどうぞ」
「助かるよ、セリア」
湯呑みを受け取ると、ふわりと香ばしいハーブの香りが鼻腔をくすぐった。張り詰めていた空気が、それだけでわずかに和らぐ。
そこへ、裏通りの先から威勢のいい足音が近づいてきた。
「はいはい、邪魔だよ! 重いんだから道を開けな!」
大鍋を抱えたマリーが、エプロンを揺らしながらずかずかと歩いてくる。背後には食堂の手伝いの若者たちが、焼き立てのパンと蒸留酒の樽を抱えて続いていた。
「女将さん、わざわざ店から運んできたのか」
「当たり前だろ! 腹が減っちゃ戦も防衛もできやしないよ。うちの特製シチューだ。肉も野菜も山ほど放り込んであるから、たらふく食いな!」
マリーはどんとテーブルに大鍋を置くと、手際よく木椀によそっていった。濃厚な肉汁の匂いが広がり、見張りをしていた男たちの喉が思わず鳴る。
「マリーさん、いつもすみません」
セリアが頭を下げると、マリーは腰に手を当てて笑い飛ばした。
「いいんだよ、お嬢ちゃん! アレンのあんたが毎日五人しか診ないって言うから、最初はどれだけ気取った治癒師かと思ったけどさ。ここがなくなったら、あたしたち下町の人間はどこで診てもらえばいいんだい? ここはあたしたちの城でもあるんだ。守るのは当然さね」
「まったく、みんな揃って過保護だな」
俺は苦笑交じりに呟いた。だが、胸の奥に広がる感情は冷ややかなものではなかった。
大聖堂にいた頃の俺は、常に一人で立ち回っていた。どれだけ多くの患者を救っても、周囲から向けられるのは嫉妬と利用価値を見極める計算高い視線ばかりだった。結果として無理を重ね、自らの魔力回路を焼き切ってしまったのだ。
だが、今は違う。
誰かが俺の背中を守り、誰かが飯を運び、誰かが共に立とうとしてくれている。
俺は息を整え、そっと自らの胸郭の奥へと意識を向けた。破損し、長らく細い糸のようだった魔力の通り道。それが、日々の規則正しい診療と、裏庭の薬草、そして何よりこの穏やかな日常の積み重ねによって、少しずつ、だが確実に滑らかさを取り戻しつつあった。
まだ全快とはいかない。だが、以前のように五人目を診た直後に激痛で倒れ込むような限界の気配は薄れていた。回路の軋みが和らぎ、新たな魔力の奔流が通る準備が整いつつあるのを感じる。
「……やれやれ。これなら、もう少し無茶も利くようになるかもしれんが」
「何かおっしゃいましたか、アレン様?」
セリアが不思議そうに小首を傾げた。
「いや、なんでもない。制限が六人や七人に増えたところで、急に働き者になる気はないってことさ。俺は俺のやり方で、診られる分だけをしっかり診る。それ以上でも以下でもない」
「ふふ、アレン様らしいですね」
セリアが柔らかく微笑み、リックやダリウスたちもシチューを頬張りながら笑い声を上げた。張り詰めた緊張の中にも、決して折れない芯のような結束が、この小さな空間を満たしていた。
◆ーーーー◆
一方、王都の中心部にそびえる大聖堂の最奥、豪奢な絨毯が敷き詰められた司祭執務室には、重苦しい怒号が響き渡っていた。
「無能どもが! たかが裏通りの町医者一人を連れ戻すのに、どれだけの手間と時間をかけているのだ!」
執務机を激しく叩きつけたのは、豪奢な金糸の法衣を身にまとったビショップ司祭だった。その顔は苛立ちと焦燥で赤黒く鬱血している。
部屋の隅に控えていた神官たちが、蜘蛛の子を散らすように身を縮めた。
ビショップの苛立ちには理由があった。アレンを大聖堂から追い出した後、治癒部門の機能不全は深刻化の一途を辿っていた。高位貴族の重病を治療できず、多額の寄付金を積んだ有力者たちからの突き上げが連日続いている。そればかりか、裏通りの小さな治療院がどんな難病もたちどころに治しているという噂が広まり、大聖堂の権威は根底から揺らぎ始めていた。
「司祭様……しかし、裏通りの住人たちが結束し、防壁を築いて傭兵たちを追い返したとの報告が……」
「下賤な蛆虫どもが群れたところで何になる!」
ビショップは唾を飛ばして遮った。
「アレンの魔力回路はとうに壊れているはずだ。一日五人しか診られない出涸らしの分際で、この私に恥をかかせおって……! 奴の手足をへし折ってでもここに引きずり戻し、我が足元で一生這い蹲らせてやる!」
傲慢なプライドを傷つけられた男の目は、狂気じみた光を宿していた。大聖堂の権威を取り戻すためではない。もはや己の面目を保つためだけに、アレンの存在を屈服させようとしていた。
ビショップは執務室の重い扉を乱暴に開け放つと、廊下に控えていた大柄な男を一瞥した。
黒い甲冑に身を包み、大剣を背負った男――武闘派部隊の隊長、ザックである。
「ザックよ。もはや手加減は無用だ。大聖堂直属の部隊をすべて動かせ」
「……裏通りの連中ごと、踏み潰しても構いませんので?」
ザックの低い声に、ビショップは冷酷な笑みを浮かべた。
「構わん。あの薄汚い治療院を跡形もなく破壊しろ。抵抗する者はすべて異端として断罪する。アレンだけは息の根を止めるなよ。大聖堂の地下牢で、己の無力さを思い知らせてやらねばならんからな」
「御意」
ザックが短く頭を下げ、踵を返した。
石造りの廊下に、重厚な金属鎧の擦れ合う音と、幾十もの足音が響き渡る。訓練された武闘派の実行部隊が、手にした武器の切っ先を冷たく光らせながら、大聖堂の正門へと向かって行軍を開始した。
夕闇が迫る王都の空を、不穏な暗雲が覆い始めていた。




