第16話
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王都の裏通りは、今日も朝から騒がしかった。
治療院の待合室には、様々な事情を抱えた患者たちが列を作っている。
迷宮の深層で毒を受けたという凄腕の冒険者。高熱を出してぐったりしている下町の子供。大聖堂の門前払いを受けた者たちが、藁にもすがる思いでこの場所を訪れていた。
「次の方、どうぞ」
セリアの凛とした声が響く。彼女はすっかり受付嬢の仕事板についており、高貴な身分特有の品の良さを残しつつも、手際よく患者を誘導していた。
俺は診察室の椅子に座り、運び込まれた冒険者の腕に手を当てる。
傷口から黒い瘴気が漏れ出していた。普通の治癒魔法で表面を塞いでも、すぐに腐り落ちるだろう。
目を閉じ、対象の生命力を感知する。
魔力を流し込み、患者自身の自然治癒力を極限まで引き上げる。毒を中和するのではなく、細胞そのものを活性化させて病魔を根絶する。
淡い光が収まると、冒険者の腕はすっかり元通りになっていた。
「嘘だろ……あんなに酷かったのに」
「安静にしてろよ。酒は三日控えること」
呆然とする冒険者を送り出し、俺は小さく息を吐いた。
これで四人目。
胸の奥で、魔力回路が微かに軋むような感覚がある。
「アレン、少し休憩を挟みますか?」
セリアが心配そうに覗き込んでくる。俺は首を横に振った。
「いや、このまま続ける。次で最後だ」
待合室の扉が開き、ダリウスが車椅子のような魔導具を押して入ってきた。
その上には、色素の薄い儚げな少女、エレナが座っている。
「先生、おはようございます」
エレナが控えめな声で挨拶をする。以前のような死を待つだけの暗い瞳ではない。確かな希望の光が宿っていた。
今日がいよいよ、彼女の治療の最終段階だ。
ダリウスは俺の顔を見るなり、硬い表情で口を開いた。
「先生……この前あんたたちの会話を聞いちまった後、トビーを問い詰めて詳しい事情を聞かせてもらった。あんた、自分の体を削ってまで……」
その言葉に、俺は眉をひそめた。あの薬草屋、余計なことを吹き込みやがって。
「大聖堂にいた頃、一人でも多く救おうとして無理を重ねた結果……魔力回路が壊れかけていると」
セリアも静かに言葉を継ぐ。彼女の瞳には、深い敬意と痛ましいものを見るような色が混ざっていた。
俺が一日に五人しか診られない理由。それは、高出力の治癒魔法を安全に放てる限界の回数だった。それ以上使えば、魔力回路が完全に焼き切れ、二度と魔法が使えなくなる。
「……知った風な口を利くな。俺が好きでやってることだ」
俺はわざとぶっきらぼうに返し、トビーが届けてくれた希少な薬草をすり鉢で潰し始めた。
青臭い匂いが診察室に広がる。これを補助に使えば、魔力回路への負担を少しは減らせるはずだ。
「先生」
ダリウスが深々と頭を下げた。筋骨隆々とした大男の肩が、微かに震えている。
「俺たち親子のために、そこまでしてくれて……本当に、何と礼を言えばいいか」
「礼なら、娘さんが元気になってから聞く。今は治療に集中させてくれ」
俺の言葉に、ダリウスは顔を上げ、力強く頷いた。
セリアもまた、祈るように両手を組んで見守っている。
いつの間にか、この小さな治療院は、ただの仕事場ではなくなっていた。彼らの温かい思いが、俺の居場所を確かなものにしてくれている。
「エレナ、少し熱くなるぞ」
俺は薬草のペーストをエレナの胸元に塗り、その上に両手をかざした。
意識を深く沈める。
彼女の身体の奥深くに巣食う、根深い病魔。これまで少しずつ削り取ってきたが、今日で完全に消し去る。
魔力を一気に引き上げる。
その瞬間、胸の奥でバチリと火花が散るような激痛が走った。
破損した魔力回路が悲鳴を上げている。限界に近い出力。額から冷や汗が噴き出し、視界が明滅する。
「アレン……!」
セリアの悲痛な声が聞こえたが、俺は構わず魔力を注ぎ込み続けた。
ここで手を止めれば、病魔は再び息を吹き返す。絶対に逃がさない。
「はぁっ……!」
眩い光が治療室を包み込んだ。
それは大聖堂のステンドグラスを通した光よりも純粋で、力強い輝きだった。
光が収まると、静寂が訪れた。
俺は荒い息を吐きながら、ゆっくりと手を離す。
エレナの顔色は、見違えるほど健康的な桜色に変わっていた。浅かった呼吸も、今は深く穏やかだ。
「エレナ……?」
ダリウスが恐る恐る声をかける。
エレナはゆっくりと目を開け、自分の両手を見つめた。それから、魔導具から足を下ろし、床にしっかりと立つ。
「お父さん……私、息が苦しくない。体が、すごく軽いよ」
その瞬間、ダリウスの目から大粒の涙が溢れ出した。
彼は娘を力強く抱きしめ、声を上げて泣き崩れた。エレナもまた、父親の背中に腕を回し、涙を流している。
「先生……! あんたは本当に娘を救ってくれた。前に誓った通り、俺はあんたの盾になる。いや、それだけじゃない。俺の伝手を総動員して、この治療院を守る自警団を立ち上げさせてもらう……!」
ダリウスの言葉に、俺は壁に手をつきながら、いつものように笑いかけた。
「大げさだな。……これで今日の仕事は終わりだ」
そう言った直後だった。
視界がぐらりと大きく揺れた。
床が急に傾いたような錯覚。足の力が抜け、身体が前のめりに倒れていく。
「アレン!」
セリアが慌てて駆け寄り、俺の身体を抱きとめた。
彼女の細い腕では支えきれず、二人して床に崩れ落ちる。
「しっかりしてください! アレン!」
耳元で叫ぶセリアの声が、ひどく遠く聞こえた。
胸の奥で、魔力回路が焼け焦げるような熱を放っている。
難病を根絶した代償は、想像以上に大きかったらしい。
薄れゆく意識の中で、俺はただ、静かな平穏が続くことだけを祈っていた。




