第14話
「次の方、どうぞ」
セリアの凛とした声が待合室に響いた直後、バタンと慌ただしく扉が閉まる音がした。
俺は診察室から顔を出し、呆気にとられているセリアを見た。
「どうした?」
「いえ……先ほどの患者様が、急用を思い出したと仰って、足早にお帰りになりました」
セリアは不思議そうに首を傾げている。最近よく来ていた、どこか訳ありげな女性だったが、まあ無理に引き留める理由もない。
「そうか。なら、次で今日の最後だな」
俺は首の後ろを揉みながら、診察室の椅子に座り直した。
最近、この小さな治療院には様々な患者が訪れるようになった。長年腰痛に悩まされる下町の住人から、魔物の毒を受けたSランク冒険者まで、客層は幅広い。彼らの患部には時折、大聖堂の粗悪な治療による歪な魔力痕が残されていることがあり、俺はそのたびに少しだけ眉をひそめながら、淡々と治癒を施してきた。
対象の自然治癒力を極限まで高める俺のやり方は、どんな厄介な症状でも確実に根治させる。その噂が広まったせいか、連日枠はすぐに埋まってしまう状態だった。
「先生、入るぜ」
遠慮がちなノックの後、大柄な男が姿を見せた。大工のダリウスだ。彼が慎重に押している車椅子のような魔導具には、色素の薄い儚げな少女が座っている。
「いらっしゃい、エレナ。今日の調子はどうだ?」
「……はい。おかげさまで、少し息がしやすくなりました」
エレナは大人びた微笑みを浮かべたが、その顔色はまだ青白い。彼女の抱える難病は、一度の治療で消し飛ばせるほど単純なものではなかった。
俺はエレナの胸元に手をかざし、静かに集中を深める。
生命力の流れを読み取り、病魔の根源へと魔力を流し込んでいく。だが、その瞬間、俺の胸の奥でギリッと焼け焦げるような痛みが走った。
「っ……」
思わず奥歯を噛み締める。額から冷や汗が滲み出し、呼吸が浅くなるのが自分でもわかった。
かつて、一人でも多くの患者を救おうと無茶を重ねた代償。俺の魔力回路はひどく破損しており、高出力の治癒魔法を安全に放てる回数に厳しい制限がかかっている。一日に五人までしか診られないのは、それが俺の限界だからだ。
痛みを堪えながら魔力を練り上げていると、不意に、小さな手が俺の袖を掴んだ。
「先生……もう、やめてください」
目を開けると、エレナがポロポロと涙をこぼしていた。
「私のために、これ以上無理をしないで……。先生が治療のたびに苦しそうにしているの、わかってました。私がいるせいで、先生の命が削られていくなら……私、治らなくてもいい」
彼女は自分の病気のせいで周囲に負担をかけていると、ずっと気に病んでいたのだ。俺の隠していた痛みにも、この聡明な少女はとうに気づいていたらしい。
ダリウスが弾かれたように顔を上げ、絶句している。
「先生……あんた、まさか自分の体を……?」
俺は息を細く吐き出し、乱れた呼吸を整えた。魔力の供給をゆっくりと絶ち、エレナの頭にポンと手を乗せる。
「馬鹿言うな。お前が治らなかったら、俺の腕が疑われるだろうが」
「でも……!」
「いいから、俺の趣味に付き合え。治らない患者がいると俺のプライドが許さないんだ」
飄々とした態度で笑い飛ばすと、エレナは目を丸くした。
突き放すような言葉の裏にある不器用な意図を汲み取ったのか、ダリウスが顔をくしゃくしゃにして、床に膝をついた。
「先生……あんたには、一生かかっても返しきれねえ恩ができちまった。本当に、何て言ったらいいか……」
「大げさだな。あんたは親父なんだから、しっかり娘を支えてやれ」
俺が肩をすくめると、診察室の扉が静かに開いた。
「お話の途中ですが、少し休憩になさいませんか」
セリアがお盆を手に入ってきた。そこに乗せられているのは、裏通りの埃っぽい空気には到底似つかわしくない、最高級の意匠が施されたティーカップだ。彼女がこの治療院に持ち込んだ私物であり、その高貴な出処を無言で物語っている。
セリアはエレナの前にしゃがみ込み、優しく微笑みかけた。
「さあ、温かいうちにどうぞ。先生の治療は少し乱暴なところがありますから、甘いものでも飲んで落ち着いてくださいな」
「……恩に着ます」
エレナは震える両手で、その美しいカップを包み込んだ。
立ち上る湯気と、芳醇な茶葉の香り。セリアの淹れた紅茶は、冷え切っていたエレナの指先を、そして強張っていた心をゆっくりと解きほぐしていくようだった。
「美味しい……」
「ええ。あなたには、これからもっと美味しいものをたくさん食べていただかなくては。先生が必ず治してくださいますから」
セリアの言葉には、一切の疑いがなかった。俺の魔力回路の欠陥を知った上で、それでも俺の腕を誰よりも信じてくれている。
エレナはカップを見つめたまま、ポツリとこぼした。
「私……生きて、お父さんと一緒に、また表通りを歩きたいです」
「ああ、歩こう。絶対に歩けるようになるさ」
ダリウスが涙声で頷く。エレナの瞳に宿っていた重い罪悪感は溶け去り、そこには確かな前を向く意志が灯っていた。
俺は立ち上がり、裏庭の薬草園へ視線を向けた。そこには、俺の魔力回路の負担を和らげるための薬草が、ひっそりと葉を揺らしている。
エレナの病魔はまだ根強い。だが、彼女自身が生きる意志を取り戻した今、治療の最大の壁は越えたと言っていい。
「さてと。今日の診察はここまでだ」
俺は白衣代わりの上着を脱ぎ捨て、大きく伸びをした。明日もまた、この小さな治療院の扉を開ける理由が一つ増えた気がした。




