嵐の中、船を漕ぐ者は誰か part.7
開け放たれた窓から、冷たい風が舞い込む。
春先の湿った雪の匂い。
あるいは、冬の終わりの汐風の匂い。
そんな匂いが、微かに香った。
「……ふざけているんですか」
傾いた陽射しが、フェイルツィーオの背を刺す。
「ンッフフ、君が先に聞いてきたんじゃないか。僕は質問に答えただけだよ?」
悪戯っぽく、ヴォルーツォが笑みを浮かべる。
「もういいです、みんなしてボクをバカにして……!」
フェイルツィーオが、激昂する。
「馬鹿にしてなんかないんだけどなぁ」
「はあ」
露骨に溜息を吐いてみせる。
子供じみた、その態度。
「……それなら、質問を変えます。率直にお聞きしますが、ウィリディアスをどうするおつもりですか」
「どうする、ねぇ……」
ヴォルーツォは、窓の外を見つめた。
「僕には、どうすることも出来ないや」
その声音には、何の感情も乗っていない。
無感情でいて、どこか悲しげだった。
「このまま野放しにするとでも?」
「いいや、そうじゃない」
「それじゃあ、なんなんですか」
ヴォルーツォは、ニタッと口の端を歪めてみせる。
「英雄を待つのさ」
「はあ? 英雄ですって?」
眉を最大まで寄せるフェイルツィーオ。
「そうさ、英雄さ」
さも当然とばかりに、ヴォルーツォは語ってみせる。
「いい加減にしてください」
そろそろ、フェイルツィーオの堪忍袋の緒が切れる。
「そうやってはぐらかして、またボクを馬鹿にするんでしょう?」
「馬鹿にしてないよ〜」
ヴォルーツォ自身、そろそろ疲れ始めていた。
「だから、さっきから言ってるだろ? 僕にはもう、ウィリディアスを止めるだけの力が残ってないんだって」
「……だからって……」
『だからって』――その言葉を、喉の奥でもう一度転がす。
「ヴォルーツォさんの他に、誰が奴を止めるんですか。貴方以上に、奴を止められる人がいるなら言ってくださいよ!」
そう声を荒らげるフェイルツィーオを、ヴォルーツォは真正面から受け止めた。
「参ったなぁ」
すっかり禿げ上がった頭を、一つ撫でる。
「それを言われると、弱い」
「だったら、早く!」
「でも、もう手遅れだよ。ウィリディアスは、あれから十七年かけて、更に力を付けた。僕なんかより、よっぽど魔術師として優秀だよ」
「そ、んな……」
「だって、そうだろう?」
ヴォルーツォは、フェイルツィーオの肩に手を置く。
「僕はさ、サボってたからさ。魔術なんて師匠に教わったきりで、自分から進んで、学ぼうとしてこなかった。でも、ウィリディアスは違う」
フェイルツィーオは、無意識に息を呑む。
「……アイツはさ、探究心が旺盛だったから、世界中のありとあらゆる知識を吸収した。そして、それらを巧みに応用することができた。僕なんかより、ずっと優秀だよ」
「それじゃ……」
「だから、どうにもならない。アイツを制御できるのは、もはやハムヤタカの神々ぐらいじゃないかな」
冗談とも、皮肉とも取れた。
つまり、誰にも止められないバケモノ――。
フェイルツィーオの脳裏に、そんな物騒な考えが浮かぶ。
「どうするんですか」
再びの堂々巡り。
もはや、フェイルツィーオは精神的に疲弊しきっていた。
「放置して、尻尾巻いて逃げるんですか。完全に『イル・マット』に喧嘩を売った形なのに。これ以上、被害が拡大する前に、なんとかしないと」
「……もう、遅いさ。それに、ウィリディアスだって、馬鹿じゃない」
エフィムが置いていったハンカチを丁寧にたたみ直しながら、ヴォルーツォは続ける。
「魔術師育成協会を潰せば、自分達の利益も取り分も減ることを知ってる」
「……今なんと?」
食い入るように、ヴォルーツォの顔を覗き込むフェイルツィーオ。
「あ……ごめん――言うんじゃなかった……」
ヴォルーツォは目を逸らしながら、小さく呟いた。
「え? 何ですか?」
「いや……その」
珍しく、ヴォルーツォが狼狽えている。
「え――と、これ以上は秘密かなぁ……なんて、へへへ」
「貴方、一体何を知って……いや、どこまで知って――」
フェイルツィーオは、ヴォルーツォの胸ぐらに掴みかかる。
「ストップ、ストーップ」
たまらず、ヴォルーツォが制止する。
「暴力は止めよう、ね?」
「……これは、失礼」
フェイルツィーオは、ぱっとヴォルーツォの胸ぐらを掴んでいた手を離し、椅子を引いて距離を置く。
「全く……底の見えない男だ」
「そう言う君だって」
「ええ、全く」
「なら! 仲直りしようか」
何が仲直りなのか。
フェイルツィーオは、差し出された小指をじっと見つめたまま、動かない。
「……どういうつもりですか」
「指切りだよ」
フェイルツィーオは、パチクリと瞬きをする。
「ユビキリ……?」
「う〜ん、日本に伝わるおまじないとかかな? ボク、一時期日本に滞在してたから、その時に」
ヴォルーツォは、無理やりフェイルツィーオの小指を掴み、指を絡ませた。
「えへへ、指切った」
「物騒な呪いですね」
「へへ、そうだね」
年相応の、無邪気な笑み。
それはきっと、フェイルツィーオにしか見せない表情だ。
「ごめんね、きっと裏切ることになる」
それだけでは、嘘じゃなかった。




