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追憶の辺獄  作者: 香取 仙狐
第二章 幻日の箱庭
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ななしのジョン・ドゥ part.8

「おんや〜? 君は誰かなぁ?」


 フェイルツィーオの目は、釘付けになっていた。


 知っているはずなのに、知らない。

 同じ顔。同じ髪型。同じ服。

 それなのに――纏う禍々しさは、計り知れない。


「ヴォルーツォ、さん……?」


 疑問を投げかける。

 だが、その声を出してしまったこと自体が、フェイルツィーオにとっては許し難い失態だった。


「ンッフフ。そうだよ〜? ヴォルーツォだよぉ♡」


 フェイルツィーオの心臓が、跳ね上がる。


 ――違う、ヴォルーツォじゃない。

 直感が、そう叫んでいた。


「何がどうして、こんなことに」


 自分でも、何を言っているのか分からない。

 それでも、口をついて出た言葉を、ウィリディアスが拾った。


「んも〜、質問を質問で返さないでよぉ!」

「何……?」


 ウィリディアスは、心底愉快そうに、腹を抱えて笑い始めた。


「それは、一体何ですか」


 生焼けの酷い匂い。吐き気を催す、醜悪な臭い。


 フェイルツィーオの顔が、みるみる蒼褪めていく。


「……チェンさん」


 か細い声。

 紛れもなく、知っている声。


 それでも――拒絶するように、フェイルツィーオは目を逸らした。


「ボク、は」


 恐怖に耐えられず、フェイルツィーオは声を震わせる。


「ボクは、何をしてるんだ」


 目の前の現実が、受け入れられない。

 そんなはずがない。


 フェイルツィーオは顔を背け、現実から目を逸らす。


 だが――「これ?」


 ヴォルーツォ――いや、ウィリディアスは、しゃがみ込むなり、生焼けの何かを掴み上げて見せた。


「あは、あはは、あははははははっ! 酷い顔! う〜わ、最悪ぅ!」


 その姿に、フェイルツィーオの呼吸が止まった。


「……いやだ」


 耳鳴りが鳴り止まない。現実を受け入れられない。

 フェイルツィーオは耳を塞ぎ、地面に伏せて丸くなる。


「いやだ……いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!!」


 それでも、ウィリディアスは楽しげに笑っている。


「……チェンさん」


 震える肩に、小さな手が触れる。


「ごめんなさい」


 ぐしゃぐしゃになった視界に、エフィムの姿がぶれる。


「ごめん、なさい」


 その言葉の意味を理解するよりも先に。


「それで?」


 ウィリディアスの軽口が、耳に届く。


「君は、何しに来たのかな」


 問いかけに、フェイルツィーオは答えない。

 その代わり、エフィムがその前に立ちはだかる。


「ごめんなさい。もう許してください。わたしが悪いんです。だから、チェンさんは何も――」

「へぇ」


 掴んでいたヴォルーツォを放り投げると、エフィムの顔面ぎりぎりまで身を寄せ、低い声で囁く。


「ねぇ、エフィムくん」


 その小さな身体で、必死にフェイルツィーオを庇うように、両手を広げている。


「君は、悪い子だ」


 知っている。

 今更、そんな事実を突きつけられたところで、何も変わりはしない。


「だからさ」


 エフィムの頬に、ウィリディアスの手が触れる。


「僕のお嫁さんになってよ」


 その一言で、エフィムの思考は完全に停止した。


「なに、いって……」

「だって、その指輪」


 ウィリディアスの人差し指が、エフィムの薬指を指し示す。


 婚約者から贈られた、その指輪を。


「本気なんだぁ? ヴォルーツォと結婚、したいんだぁ?」


 嘲りの言葉が、耳に突き刺さる。


「だったら、その結婚の前に」


 ウィリディアスの口元が、ゆっくりと歪んでいく。


「僕とここでさ……ね?」


 瞬間――ぐっと、腕を掴む大きな手。

 拒絶する暇すらなく、エフィムは地面へと押し倒された。


「や、やだ! やめてったら!」

「なんでさ? ヴォルーツォと同じ顔なんだから、問題ないじゃない」


 楽しげに笑うウィリディアスに、エフィムの言葉は届かない。


「ヴォルーツォさん、起きて! 起きてください!!」

「あは、あははっ、あはっ!」


 服を引き裂く音。鋭い悲鳴。そのすべてが、フェイルツィーオの中で何倍にも増幅されていく。


「ほら、お兄さん。見ときなよ? 会長さんの晴れ姿」


 愉悦に満ちた声が、響き渡る。


「……ふざ、け……」

「んお? なに、聞こえな〜い?」


 この期に及んでなお、その余裕の態度。


 フェイルツィーオの中で、何かが音を立てて切れた。


「――黙れ」


 視界が揺らぐ。

 限界まで増幅させた魔力が、空気そのものを震わせる。


「黙れ――ッ!!」


 次の瞬間、轟音が轟いた。

 フェイルツィーオの声が、鼓膜を突き破るほどに響き渡った。

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