ななしのジョン・ドゥ part.8
「おんや〜? 君は誰かなぁ?」
フェイルツィーオの目は、釘付けになっていた。
知っているはずなのに、知らない。
同じ顔。同じ髪型。同じ服。
それなのに――纏う禍々しさは、計り知れない。
「ヴォルーツォ、さん……?」
疑問を投げかける。
だが、その声を出してしまったこと自体が、フェイルツィーオにとっては許し難い失態だった。
「ンッフフ。そうだよ〜? ヴォルーツォだよぉ♡」
フェイルツィーオの心臓が、跳ね上がる。
――違う、ヴォルーツォじゃない。
直感が、そう叫んでいた。
「何がどうして、こんなことに」
自分でも、何を言っているのか分からない。
それでも、口をついて出た言葉を、ウィリディアスが拾った。
「んも〜、質問を質問で返さないでよぉ!」
「何……?」
ウィリディアスは、心底愉快そうに、腹を抱えて笑い始めた。
「それは、一体何ですか」
生焼けの酷い匂い。吐き気を催す、醜悪な臭い。
フェイルツィーオの顔が、みるみる蒼褪めていく。
「……チェンさん」
か細い声。
紛れもなく、知っている声。
それでも――拒絶するように、フェイルツィーオは目を逸らした。
「ボク、は」
恐怖に耐えられず、フェイルツィーオは声を震わせる。
「ボクは、何をしてるんだ」
目の前の現実が、受け入れられない。
そんなはずがない。
フェイルツィーオは顔を背け、現実から目を逸らす。
だが――「これ?」
ヴォルーツォ――いや、ウィリディアスは、しゃがみ込むなり、生焼けの何かを掴み上げて見せた。
「あは、あはは、あははははははっ! 酷い顔! う〜わ、最悪ぅ!」
その姿に、フェイルツィーオの呼吸が止まった。
「……いやだ」
耳鳴りが鳴り止まない。現実を受け入れられない。
フェイルツィーオは耳を塞ぎ、地面に伏せて丸くなる。
「いやだ……いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ、いやだ!!」
それでも、ウィリディアスは楽しげに笑っている。
「……チェンさん」
震える肩に、小さな手が触れる。
「ごめんなさい」
ぐしゃぐしゃになった視界に、エフィムの姿がぶれる。
「ごめん、なさい」
その言葉の意味を理解するよりも先に。
「それで?」
ウィリディアスの軽口が、耳に届く。
「君は、何しに来たのかな」
問いかけに、フェイルツィーオは答えない。
その代わり、エフィムがその前に立ちはだかる。
「ごめんなさい。もう許してください。わたしが悪いんです。だから、チェンさんは何も――」
「へぇ」
掴んでいたヴォルーツォを放り投げると、エフィムの顔面ぎりぎりまで身を寄せ、低い声で囁く。
「ねぇ、エフィムくん」
その小さな身体で、必死にフェイルツィーオを庇うように、両手を広げている。
「君は、悪い子だ」
知っている。
今更、そんな事実を突きつけられたところで、何も変わりはしない。
「だからさ」
エフィムの頬に、ウィリディアスの手が触れる。
「僕のお嫁さんになってよ」
その一言で、エフィムの思考は完全に停止した。
「なに、いって……」
「だって、その指輪」
ウィリディアスの人差し指が、エフィムの薬指を指し示す。
婚約者から贈られた、その指輪を。
「本気なんだぁ? ヴォルーツォと結婚、したいんだぁ?」
嘲りの言葉が、耳に突き刺さる。
「だったら、その結婚の前に」
ウィリディアスの口元が、ゆっくりと歪んでいく。
「僕とここでさ……ね?」
瞬間――ぐっと、腕を掴む大きな手。
拒絶する暇すらなく、エフィムは地面へと押し倒された。
「や、やだ! やめてったら!」
「なんでさ? ヴォルーツォと同じ顔なんだから、問題ないじゃない」
楽しげに笑うウィリディアスに、エフィムの言葉は届かない。
「ヴォルーツォさん、起きて! 起きてください!!」
「あは、あははっ、あはっ!」
服を引き裂く音。鋭い悲鳴。そのすべてが、フェイルツィーオの中で何倍にも増幅されていく。
「ほら、お兄さん。見ときなよ? 会長さんの晴れ姿」
愉悦に満ちた声が、響き渡る。
「……ふざ、け……」
「んお? なに、聞こえな〜い?」
この期に及んでなお、その余裕の態度。
フェイルツィーオの中で、何かが音を立てて切れた。
「――黙れ」
視界が揺らぐ。
限界まで増幅させた魔力が、空気そのものを震わせる。
「黙れ――ッ!!」
次の瞬間、轟音が轟いた。
フェイルツィーオの声が、鼓膜を突き破るほどに響き渡った。




