ななしのジョン・ドゥ part.8
静寂が広がっていた。
何も見えず、何も聞こえない。――ここが、あの世というやつなのか。
そんな思いが、静かに脳裏をよぎる。
「……ヴォルーツォさ、ん」
だが。
確かな重みを感じる。
押し潰されるような重圧。
何かが、自分の上に乗っている。
「ヴォルーツォさん」
錘は答えなかった。
鼻をつくのは、生焼けの酷い匂い。
火傷で爛れた肌が、ひりひりと痛む。
「ヴォルーツォさん……!」
何度目かの呼びかけで、ようやく――「エフィム、くん」
それは、どこまでも優しい声だった。
「へぇ、あの一瞬の内に結界を張ったのかぁ……」
あまりにも冷たい声が、降り注ぐ。
「まぁ、バライバの方は虫の息みたいだけど」
エフィムが顔を上げる。
そこにいたのは、ウィリディアス。
悠然と、こちらを見下ろしていた。
「君は本当に運がいいよね。こうやって大好きな人に庇ってもらえるなんてさ」
ウィリディアスは膝を折り、ヴォルーツォの黒く焦げた髪を掴む。
だが――指に触れた髪は、炭となって、ぱらぱらと崩れ落ちた。
「ねぇ、どうしたい? ここで、三人まとめて埋葬してあげてもいいんだけど」
その声に、悪意はない。
ただただ、楽しそうだった。
「……い、やだ」
エフィムが、か細い声で拒絶する。
「じゃあ、どうするの?」
ウィリディアスは膝に腕をついて頬杖をつくと、小首を傾げ、にこりと微笑んだ。
「死ぬまで、その錘の下にいるつもり?」
問いに、エフィムは答えない。
その代わり――唇を噛み、震えながらも、睨み返した。
「ん〜、その目。いいねぇ。危機的な状況なのに、まだそんな目ができるんだ」
ウィリディアスは、心底楽しそうに笑った。
「エフィムくんって、やっぱり可愛いね」
「貴様に、褒められても、嬉しく、ない」
その言葉に、ウィリディアスは再び、くつくつと笑い声を上げた。
「その布団、退かしてあげてもいいんだよ? ほら、言いなよ。『ウィリディアスさま、助けてください』ってさ」
「……断る」
「んも〜、天邪鬼なんだからぁ♡」
それでも、このままでは埒があかないのは確かだ。
意識のないヴォルーツォの全体重が、エフィムの身体を押し潰すようにのしかかっている。
このまま、こうしてヴォルーツォの下敷きになっていれば、いずれ圧死するか、あるいはウィリディアスに殺されるかの――どちらかだろう。
――だが、目の前の男に助けを求めるなど、エフィムの矜持が許さなかった。
「じゃあ、仕方ないね」
朗々と歌い上げるように、ウィリディアスは立ち上がる。
そして、両手を広げ、舞い踊った。
「せめて、彼らに相応しい罰を――♡」
「――ッ!」
空間が歪む。世界が、捻じ曲がる。本能が、警鐘を鳴らす。
だが、避けられない。逃げられない。
「いや――!!」
誰の声だろう。
絞り出した声は、ウィリディアスの詠唱によって掻き消されていった。
「――ヴォルーツォさん!」
だが、その時。
聞き慣れた――けれど、この場にはいるはずのない――声が、轟いた。
「おんや〜? 君は誰かなぁ?」
それが、運命の分かれ道になるのだと知りながら。
それでも、その存在は、まるで地獄に垂れ下がる蜘蛛の糸のように、救いに感じられた。




