風の語り部 part.1
今回から一話を小分けにして毎日20:00投稿に切り替わります。
どうぞ、今後ともよろしくお願いします。
魔術師育成協会の展望台に、ライツォフィオナは立っていた。
今日はやけに風が強い。乾いた南風が髪を乱暴に引き上げ、翻る。
眼下に広がるのはロティリスの街並み。整然とした屋根の群れと、遠くで光る運河。
それらを見下ろしながら、彼女はただ黙っていた。
……あれから、もう十七年。
時間の重みは不思議だ。薄れていくはずの記憶ほど、こういう高さに立つと妙に輪郭を取り戻す。
浮かぶのは、あの日の光景。大切な友人との別れ。それだけは、今も欠けたままだった。
「ちょーっといいかい、お嬢さん」
背後から投げられた軽い声に、ライツォフィオナはゆっくり振り向く。
そこにいたのは、場違いなほど華やかな金髪の女だった。
「バライバ理事長、ですね」
ライツォフィオナは、その女の名を静かに口にした。
バライバ・ララミデシア。
ロティリスの魔術師育成協会を統べる、数少ない到達点。
「覚えてくれたんだ? 光栄だねぇ」
金髪が風に揺れ、軽く笑う。
だが口元だけが形を作っているだけで、目は一切ほどけていない。
「……何かご用でしょうか」
ライツォフィオナの声は慎重だった。
探るような視線に、相手はあっさり肩をすくめる。
「ご用ってほどでもないけどさ」
間を一拍置いて、バライバは言った。
「最近、アンタ動きすぎだよ。幹部専用住宅にまで入り込んでさ。何を嗅いでるんだい」
ああ、やはり来たか。
気づかれていない前提は、最初から甘かった。
それでも止まる選択肢はなかった。
「探っているわけではありません。調べているだけです」
「一緒だろうに」
即答。
バライバの声が、わずかに温度を落とす。
風が一瞬だけ強くなった気がした。
「……悪いことは言わない。今すぐ手を引きな」
その瞳は、底のないガラス玉みたいに冷えていた。
光を反射するだけで、何も映さない。
だがライツォフィオナは怯まない。
「引きません」
即答だった。一歩、踏み込む。
「私は私の意思でここに立っています。誰かに譲る理由はありません」
沈黙。次の瞬間。
「あっはははは!」
張りつめていた空気が、音を立てて崩れた。
バライバは腹を抱え、肩を震わせて笑っている。
涙まで浮かべているのが余計に質が悪い。
ライツォフィオナは眉をひそめた。
「……笑い事ではありません」
「いや悪いね」
笑いを押し殺しながら、バライバは手をひらひら振る。
「久々にまともな啖呵を聞いたもんでさ」
数秒、まだ笑いの余韻が残る。
それがようやく引いた頃、彼女の声だけが静かに落ちる。
「いいよ。好きにしな」
軽い言葉だった。
けれど続く一拍が、妙に重い。
「アタシはアンタがどうなろうが構わない」
そして人差し指が、鋭くライツォフィオナを指した。
「ただし――それは“アンタ”だけの話だ」
風が止まったような錯覚。
「そこを踏み外せば、関係ない連中まで巻き込む。分かるね?」
棘ではない。説教でもない。
ただの事実として突きつけられる言葉。
喉の奥に、見えない圧が沈む。
ライツォフィオナの指先が、わずかに揺れた。
「昨日の爆破事件、知ってるかい?」
「……医療棟の件ですか」
昨夜、魔法薬の治験中に発生した爆発事故。
医療棟の一角が吹き飛んだという話は、ライツォフィオナの耳にも入っていた。
「あれ、アタシの孫がやらかしてね」
その言葉に、ライツォフィオナは一瞬だけ視線を細めた。
バライバ・ララミデシア。公表年齢六十三。外見は三十代後半。
若返りの魔術そのものは珍しくない。だが――この女は“やりすぎ”ている。
「そうでしたか。その件は災難でしたね」
事務的な返答。
バライバは肩をすくめて笑う。
「……アンタ、まだ分からないのかい」
髪をかき上げる動作が妙にゆっくりに見えた。
風が流れ、金色が一拍遅れて揺れる。
その仕草の奥にあるものを、ライツォフィオナは探る。
言葉の意味ではない。意図の位置だ。
「ウィリディアス・ルカ・グレイス」
その名が落ちた瞬間だった。
ライツォフィオナの瞳が、わずかに揺れる。
胸の奥で鼓動がひとつ、大きく脈打った。
「悪いことは言わない。アンタも手を引きな。命が惜しいなら」
展望台を吹き抜ける風が、妙に冷たく感じた。
「……どういうことですか。なぜ、その男の名前が」
努めて平静を装った声だった。
それでも、わずかな震えまでは隠しきれない。
その変化を見逃すような女ではない。
バライバは、ほんの少しだけ口角を吊り上げた。
「なんでって?」
肩をすくめる。
「命を狙われてるから。それだけさ」
あまりにもあっさりした口調。だからこそ、その一言が重い。
ライツォフィオナは唇を引き結ぶ。
答えになっているようで、肝心な部分だけが抜け落ちている。
「……どういう意味で、私に関係があるんですか」
言葉を選びながら問い返す。
逃げ道を塞ぐように。
バライバは柵へ背中を預け、腕を組んだ。
「アンタがあの男を追う限り、連中にとっちゃ敵だ」
視線が真っ直ぐ突き刺さる。
「敵に情けをかけるほど、あいつらは甘くない」
一拍置き、静かに告げた。
「そのくらいの覚悟は、しておきな」
はぐらかすようでいて、確信だけは揺るがない言葉だった。
ライツォフィオナは息を詰める。
問い質したい。今すぐ、この女の知るすべてを吐かせたい。
だが、それは悪手だと理性が告げていた。
相手は魔術師育成協会の理事長。
組織の頂点に立つ怪物だ。
ここで踏み込みすぎれば、明日はない。
「……ですが」
それでも。ライツォフィオナは、一歩も退かなかった。
「私は、親友を……リリハを探し出すと決めたんです」
震える声を押さえ込むように、言葉を継ぐ。
「だから、だから……」
喉が詰まる。
十七年前から、変わらない。
リリハを救い出すこと。それだけが、自分を生かしてきた理由だった。
それを捨てろと言われて、今更、頷けるはずがない。
「エゴイストと呼ばれても構いません」
握り締めた拳が白くなる。
「私は、この命を使ってでも……あの子を探し出します」
展望台に沈黙が落ちた。
バライバは何も言わず、ただライツォフィオナを見つめている。
その目にあったのは驚きではない。
どこか遠い昔を思い返すような、淡い郷愁だった。
「……懲りないねぇ、本当に」
ため息交じりの声。
けれど、その響きはどこか柔らかい。
「いいよ。そこまで言うなら止めないさ」
その返答は、あまりにも予想外だった。
ライツォフィオナの瞳がわずかに揺れる。
「……どういうおつもりですか」
「そのままの意味さ」
バライバは鼻で笑った。
「カレンがここへ来た時点で、面倒になることくらい分かってた」
脳裏に浮かぶのは、協会へ乗り込んできた少女の姿。
普通なら、門前払いだった。
そうする理由も、権限もあった。
「……でもね」
ふっと視線を空へ逃がす。
「あんな顔されたら、放っとけなくてさ」
あまりにも昔の自分に似ていた。
だから、突き放せなかった。
「どうせアタシが死んだ後も、あの娘は生きていく」
風が金髪をさらう。
「なら、いい加減……解放してやらなきゃならないんだろうね」
誰へ向けた言葉でもない。
独白のように零れたその声は、それでも確かにライツォフィオナの耳へ届いた。
風が展望台を吹き抜ける。
ライツォフィオナの髪を静かに撫でる音だけが、二人の間に落ちた沈黙を繋ぎ止めていた。
次回は明日12日 20:00です、よろしくお願いします。




