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追憶の辺獄  作者: 香取 仙狐
第二章 幻日の箱庭
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終演 part.3

「あ〜……」


 のっそりと、ウィリディアスが身を起こす。


「やられた……まさか、この僕がねぇ」


 そして、苛立ち紛れに隣で気を失っている男の髪を掴み上げた。


「金的とかズルくな〜い? ねえ、玲於奈くぅん?」


 朦朧とした意識の中、リュディオールはゆっくりと目を開けた。


「君の髪って、サラサラで毛質いいよねぇ。一本残らず引き抜いていい?」

「ん……ん、あっ……」

「はぁ……あ〜あ。もう、気がついたらこの有り様だよ。どう責任とってくれるのかなぁ?」


 そう言いながら、ウィリディアスはリュディオールの髪を掴んだまま、ぐるりと周囲を見渡した。


 薔薇の苗木が、次々と黒い焔に呑み込まれていく。

 赤い花弁も、緑の葉も、白い石畳も等しく。

 何もかもが黒い炎の中へと消えていく。


 地獄という言葉では、生温い。

 そこに広がっていたのは――まさに、悪夢そのものだった。


「この魔力――雪那ちゃんのか」


 雪那――『イル・マット』の中でも、ひときわ高い魔力を有する娘だ。

 争いごとを好まず、普段は大人しい性格の持ち主でもある。


 そんな彼女が――あれほどの力を、暴発させている。


「玲於奈くん」


 ウィリディアスの声から、先ほどまでの甘ったるさが消えた。

 まるで別人のような、冷淡な声。


 リュディオールへ向けられたその眼差しにも、もはや笑みはない。


「君、何したの?」

「な、に……?」


 意味が分からない。なぜ、今、自分に訊くのだ。

 リュディオールは、困惑したままウィリディアスから目を逸らした。


「まあ、いいや。興が覚めちゃった」


 ウィリディアスは、掴んでいたリュディオールの髪を離す。


「でも、このまま帰らせるワケにはいかないかな〜?」


 口元に、いつもの薄い笑みが戻る。


「“息子”に“息子”潰されて、許す親父がどこにいるって感じだしぃ」

「――ヒィッ!」


 思わず、リュディオールの喉から悲鳴が零れた。


「あはっ! いい声。怖いよねぇ? これからもーっと、酷い目に遭っちゃうと思うと、怖くてたまらないよねぇ?」

「ひっ……!」


 リュディオールは、ウィリディアスから逃げるように地面を這いずる。


「リヒェ姐! リヒェ姐!!」


 すぐ側では、リヒェンツァが膝を抱えたまま俯いていた。

 呼びかけられても、動かない。

 まるで何かに囚われたまま、現実に戻ってこられないかのように。


 あるいは――。


「立って、立って……リヒェ姐……!!」


 泣きじゃくるリュディオールを前に、ウィリディアスは心底愉しそうに目を細めた。


「あっはは! 大好きなパパに、これから酷いことされちゃうっていうのにぃ、リヒェンツァに構ってる暇なんてないんじゃなぁい?」


 じわり、じわり。

 ウィリディアスと、背後から迫る漆黒の焔。

 その両方に、リュディオールは追い詰められていく。


「ごめん、なさい……ごめんなさい、もう、しません……だから、許して――」


 泣きながら、怯えながら。

 それでも、リュディオールは踏み止まった。


 背後にはリヒェンツァがいる。

 ここで見捨てて逃げることだけは、できなかった。


「あ〜あ、可哀想」


 ウィリディアスは、わざとらしく肩を竦める。


「そんなに泣かれちゃうと、僕が虐めてるみたいじゃないか」

「――風よ、刃となりて切り裂け!!」


 鋭い風が奔った。

 鎌鼬がウィリディアスの髪の束を切り裂き、赤茶色の毛が宙へ舞い散る。


「おやぁ?」


 ウィリディアスが振り返る。

 その先、前方斜めに立っていたのは、黒髪の美少年。


 肩で荒く息をしながらも、その眼光には明確な敵意が宿っていた。


「うわぁ、エフィムくん、探したんだよぉ!」

「黙れ」


 次の瞬間。

 エフィムが放った無数の風の刃が、ウィリディアスへ一斉に襲いかかる。

 だが、そのほとんどは寸前で弾かれ、虚空へと四散した。


「リュディオールさん、早く!」


 エフィムの背後から、ゾロゾロと人影が駆けてくる。

 馴染みのある顔もあれば、見覚えのない顔もある。

 大人も、子供も。


「ここは、わたしが引き受けます! だから、リヒェンツァさんを連れて逃げてください!」

「リヒェンツァさん!」


 カレンデュラが駆け寄り、リヒェンツァの腕を取る。


「さ、一緒に行こう! リヒェンツァさん!」


 しかし、リヒェンツァは反応を示さなかった。

 両手で膝を抱えたまま、身体を小さく丸めている。

 まるで貝に閉じこもるように、自分の世界へ逃げ込んでしまったかのようだった。


「リヒェンツァさん、立って。早く!」

「ああ、まったく」


 見かねたバライバが、リヒェンツァの腕を掴んで無理やり引き起こす。


「行くよ、アンタも!」


 バライバがリュディオールの背中を叩いた。

 その勢いに押し出されるように、リュディオールも無言で駆け出す。


「ふふっ」


 その前方で、ウィリディアスが静かに笑った。


「“息子”が、可愛い“娘”に懐いちゃってさぁ」


 エフィムの眉間が、僅かに寄る。


「……何が言いたい」


 ウィリディアスは、そんなエフィムを眺めながら、いつもの調子で笑みを浮かべた。


「ん〜。ごめんね、エフィムくぅん? さっきの凄かったねぇ。偉いね〜」


 明らかに見下した口調。

 それでも、エフィムは動じなかった。

 ただ一歩。ウィリディアスとの距離を詰める。


「魔術師育成協会会長として、貴様ら『イル・マット』に禁術使用の疑いで連行令が出ている」


 そして、人差し指を突きつけた。


「大人しく同行願おう。――ウィリディアス」

「ンッフフ……やだぁ、怖ぁい。怖〜い♡」


 相変わらず、その真意は読めない。

 だが――笑っている。


 その間にも、漆黒の焔は確実に迫ってくる。

 逃げ道は、もうほとんど残されていない。


 エフィムとウィリディアス。

 二人は、燃え盛る薔薇園の中で睨み合っていた。


 その決断が、魔術師育成協会の命運を左右することになるとしても。

 エフィムには、もう迷っている暇などなかった。

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