終演 part.3
「あ〜……」
のっそりと、ウィリディアスが身を起こす。
「やられた……まさか、この僕がねぇ」
そして、苛立ち紛れに隣で気を失っている男の髪を掴み上げた。
「金的とかズルくな〜い? ねえ、玲於奈くぅん?」
朦朧とした意識の中、リュディオールはゆっくりと目を開けた。
「君の髪って、サラサラで毛質いいよねぇ。一本残らず引き抜いていい?」
「ん……ん、あっ……」
「はぁ……あ〜あ。もう、気がついたらこの有り様だよ。どう責任とってくれるのかなぁ?」
そう言いながら、ウィリディアスはリュディオールの髪を掴んだまま、ぐるりと周囲を見渡した。
薔薇の苗木が、次々と黒い焔に呑み込まれていく。
赤い花弁も、緑の葉も、白い石畳も等しく。
何もかもが黒い炎の中へと消えていく。
地獄という言葉では、生温い。
そこに広がっていたのは――まさに、悪夢そのものだった。
「この魔力――雪那ちゃんのか」
雪那――『イル・マット』の中でも、ひときわ高い魔力を有する娘だ。
争いごとを好まず、普段は大人しい性格の持ち主でもある。
そんな彼女が――あれほどの力を、暴発させている。
「玲於奈くん」
ウィリディアスの声から、先ほどまでの甘ったるさが消えた。
まるで別人のような、冷淡な声。
リュディオールへ向けられたその眼差しにも、もはや笑みはない。
「君、何したの?」
「な、に……?」
意味が分からない。なぜ、今、自分に訊くのだ。
リュディオールは、困惑したままウィリディアスから目を逸らした。
「まあ、いいや。興が覚めちゃった」
ウィリディアスは、掴んでいたリュディオールの髪を離す。
「でも、このまま帰らせるワケにはいかないかな〜?」
口元に、いつもの薄い笑みが戻る。
「“息子”に“息子”潰されて、許す親父がどこにいるって感じだしぃ」
「――ヒィッ!」
思わず、リュディオールの喉から悲鳴が零れた。
「あはっ! いい声。怖いよねぇ? これからもーっと、酷い目に遭っちゃうと思うと、怖くてたまらないよねぇ?」
「ひっ……!」
リュディオールは、ウィリディアスから逃げるように地面を這いずる。
「リヒェ姐! リヒェ姐!!」
すぐ側では、リヒェンツァが膝を抱えたまま俯いていた。
呼びかけられても、動かない。
まるで何かに囚われたまま、現実に戻ってこられないかのように。
あるいは――。
「立って、立って……リヒェ姐……!!」
泣きじゃくるリュディオールを前に、ウィリディアスは心底愉しそうに目を細めた。
「あっはは! 大好きなパパに、これから酷いことされちゃうっていうのにぃ、リヒェンツァに構ってる暇なんてないんじゃなぁい?」
じわり、じわり。
ウィリディアスと、背後から迫る漆黒の焔。
その両方に、リュディオールは追い詰められていく。
「ごめん、なさい……ごめんなさい、もう、しません……だから、許して――」
泣きながら、怯えながら。
それでも、リュディオールは踏み止まった。
背後にはリヒェンツァがいる。
ここで見捨てて逃げることだけは、できなかった。
「あ〜あ、可哀想」
ウィリディアスは、わざとらしく肩を竦める。
「そんなに泣かれちゃうと、僕が虐めてるみたいじゃないか」
「――風よ、刃となりて切り裂け!!」
鋭い風が奔った。
鎌鼬がウィリディアスの髪の束を切り裂き、赤茶色の毛が宙へ舞い散る。
「おやぁ?」
ウィリディアスが振り返る。
その先、前方斜めに立っていたのは、黒髪の美少年。
肩で荒く息をしながらも、その眼光には明確な敵意が宿っていた。
「うわぁ、エフィムくん、探したんだよぉ!」
「黙れ」
次の瞬間。
エフィムが放った無数の風の刃が、ウィリディアスへ一斉に襲いかかる。
だが、そのほとんどは寸前で弾かれ、虚空へと四散した。
「リュディオールさん、早く!」
エフィムの背後から、ゾロゾロと人影が駆けてくる。
馴染みのある顔もあれば、見覚えのない顔もある。
大人も、子供も。
「ここは、わたしが引き受けます! だから、リヒェンツァさんを連れて逃げてください!」
「リヒェンツァさん!」
カレンデュラが駆け寄り、リヒェンツァの腕を取る。
「さ、一緒に行こう! リヒェンツァさん!」
しかし、リヒェンツァは反応を示さなかった。
両手で膝を抱えたまま、身体を小さく丸めている。
まるで貝に閉じこもるように、自分の世界へ逃げ込んでしまったかのようだった。
「リヒェンツァさん、立って。早く!」
「ああ、まったく」
見かねたバライバが、リヒェンツァの腕を掴んで無理やり引き起こす。
「行くよ、アンタも!」
バライバがリュディオールの背中を叩いた。
その勢いに押し出されるように、リュディオールも無言で駆け出す。
「ふふっ」
その前方で、ウィリディアスが静かに笑った。
「“息子”が、可愛い“娘”に懐いちゃってさぁ」
エフィムの眉間が、僅かに寄る。
「……何が言いたい」
ウィリディアスは、そんなエフィムを眺めながら、いつもの調子で笑みを浮かべた。
「ん〜。ごめんね、エフィムくぅん? さっきの凄かったねぇ。偉いね〜」
明らかに見下した口調。
それでも、エフィムは動じなかった。
ただ一歩。ウィリディアスとの距離を詰める。
「魔術師育成協会会長として、貴様ら『イル・マット』に禁術使用の疑いで連行令が出ている」
そして、人差し指を突きつけた。
「大人しく同行願おう。――ウィリディアス」
「ンッフフ……やだぁ、怖ぁい。怖〜い♡」
相変わらず、その真意は読めない。
だが――笑っている。
その間にも、漆黒の焔は確実に迫ってくる。
逃げ道は、もうほとんど残されていない。
エフィムとウィリディアス。
二人は、燃え盛る薔薇園の中で睨み合っていた。
その決断が、魔術師育成協会の命運を左右することになるとしても。
エフィムには、もう迷っている暇などなかった。




