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追憶の辺獄  作者: 香取 仙狐
第二章 幻日の箱庭
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再演 part.6

 ――シュッ!

 リヒェンツァは迷いなく、雪那の首筋へナイフを走らせた。

 その一閃は、十分すぎるほど速い。

 だが、それは相手が"普通の人間"であればの想定だった。


「おー、怖い怖い」


 その声は、リヒェンツァの背後から聞こえた。


 ――パチ、パチパチッ!


 肉を裂く感触とは程遠い、乾いた拍手が響く。

 リヒェンツァの手に伝わったのは、何の手応えもない虚しさだけ。


 その手にあったのは、またしても大きな熊のぬいぐるみだった。


「……チッ」


 リヒェンツァは忌々しげに舌打ちし、ゆっくりと振り返る。

 その視線の先に、一人の男が立っていた。


「……ウィリディアス……」


 エフィムはガーデンチェアを蹴るように立ち上がる。

 その場の全員が、一斉に警戒を強めた。


「やっぱ来やがったか、親父」


 リヒェンツァは低く唸るように吐き捨てた。


「ご挨拶だねぇ、リヒェンツァちゃぁん? 魔術師育成協会様ご一行を引き連れて里帰りとは。これまた、どういう風の吹き回しなのやら」


 ウィリディアス・ルカ・グレイスは、冒涜的なまでに優雅で、どこか卑猥な一礼を披露する。


「……決まってんだろ。テメェらを潰しに来たんだよ」

「――うわぁ、とっても嬉しいなぁ! “娘”の晴れ舞台かぁ!」


 ウィリディアスは目尻に皺を寄せるように笑みを深めると、隣に控える女へ視線を移す。


「だってよ、円花ちゃん」

「あら、リヒェンツァも随分と大きくなったわね。それに……“紛い者”の子まで連れてきて」


 ――“紛い者”。

 その言葉に、カレンデュラの身体がわずかに反応する。

 知らないはずの単語。聞き覚えもなければ、意味すら分からない。

 それなのに――なぜか胸の奥に引っかかるものがあった。


「――はぁっ!!」


 最初に仕掛けたのは、エフィムだった。


 火弾が二発、立て続けに放たれる。

 風ごと焼き尽くすほどの熱量。

 並の魔術師なら咄嗟に防御する間もなく、そのまま灰と化していただろう。


「会長!!」


 リュディオールも即座に反応する。

 腰の刀を音もなく抜き放つと、エフィムの火弾を追うように駆け出した。


 一歩。二歩。短く刈り込まれた芝生が、その踏み込みに弾け飛ぶ。


 ――三歩目。

 踏み込むと同時に、リュディオールの身体が火弾を追い越した。


「――はぁぁぁぁぁあっ!!」


 刃が閃く。

 リュディオールはそのままウィリディアスの懐へ潜り込み、右下から左上へと逆袈裟に斬り上げた。


「――うぉっ! 危なっ!! 誰だか知らないけど、初対面からやるねぇ、君ぃ!?」


 ウィリディアスは寸前で上体を逸らし、鋭い一閃を躱す。

 だが、完全には避け切れなかった。左頬が浅く裂け、鮮血が宙を舞う。


「バライバ理事長! 避難を!! ここはオレが引き受けるっす!」

「誰に向かって口聞いてんだい、青二才が!」


 バライバは悪態を吐きながらも、カレンデュラの腕を掴み、来た道へと引き返す。


「きゃあっ! ちょ、ちょっと、お婆ちゃん!?」

「黙って足を動かしな!」


 二人が戦場を離れたのを確認すると、リュディオールは再びウィリディアスへ斬りかかる。


 激しい剣戟が幕を開けた。

 二合、三合――矢継ぎ早に放たれる斬撃を、ウィリディアスは細身のレイピア一本で軽々と受け流していく。


「おやおや、いい動きをするじゃないか〜。君、剣豪に転職した方がいいんじゃないかなぁ?」


 軽口を叩きながらも、レイピアの軌道に一切の乱れはない。

 リュディオールが繰り出す斬撃は、その悉くを受け流されていた。


「――ああ、誰かと思えば……そうか、君は」


 ウィリディアスの表情が、わずかに変わる。


 その瞬間だった。

 リュディオールの姿が掻き消える。

 次の瞬間、ウィリディアスの首元から勢いよく血が噴き上がった。


 リュディオールが刀を引き抜いたのだ。

 頸動脈を断ち切る、致命の一撃。


「――死ね」


 低い声。


「死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね……ッ!!」


 背中から倒れたウィリディアスの心臓へ、刀を突き立てる。

 一度。二度。三度――。


 それでも、リュディオールの猛攻は止まらない。

 刀身が軋み、峰が欠けてもなお、彼はウィリディアスの胸へ刃を突き立て続ける。


 もう、とっくに勝負は終わっている。

 どう見ても、ウィリディアスは死んでいる。

 それでも――血に染まった両手で柄を握り締め、リュディオールはただひたすら刀を振るい続けた。


 その姿は、もはや魔術師でも剣士ではない。

 ――獣、あるいは悪鬼。


「……リュディオールさん」


 エフィムが、恐る恐る彼の肩へ手を伸ばす。

 その瞳には、明確な異常への戸惑いが浮かんでいた。


 ――がしり。


「エフィム会長! 触ったらダメ……!」


 ライツォフィオナの悲鳴にも似た叫びが響く。

 だが。もう、遅かった。

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