一匹狼 ending
ジャリ――。
靴の甲が、漆喰の瓦礫を踏み締める。
バルディナ王国、王都ヤナサヤ。
かつて栄華を誇った都は、今や荒野と化していた。
崩れた城壁。焼け落ちた宮殿。
吹き抜ける風は、死者の悲鳴か、それとも生き残った者たちの慟哭か。
静まり返った街に、冷たい風が吹き抜ける。
「よう、ヴォルーツォ!」
その静寂を破ったのは、陽気な声だった。
ノッシ、ノッシと四足の蹄を鳴らしながら、大きな水牛が崩れかけた宮廷の床を踏みしめる。
「おや、君は――」
ヴォルーツォが振り返る。
人の気配が消えて久しい宮廷。
本来なら、朽ち果てるだけの墓所。
だが、時としてそこに意味を見出し、足を運ぶ者がいる。
「あら、珍しいじゃない。また戦争ゴッコの下見にでも来たわけ?」
足元へ黒猫が纏わりつき、からかうように声を上げた。
「違うよぉ。少なくとも僕は、もうそんなことに興味はないさ」
ヴォルーツォは楽しげに笑う。
「あいつにしても、お前にしても、その執着ぶりには呆れるばかりだがな」
水牛が呆れたように鼻を鳴らす。
「そう言うなよ〜。僕だって好きで戻って来たんじゃないしぃ」
ヴォルーツォは肩をすくめ、崩れたままの王宮を見渡した。
「……ただ、妙な胸騒ぎがしてさ」
「ほう?」
「理由はわからない。でも、どうにも嫌な予感が拭えないんだ」
黒猫が目を細める。
「ウィリディアス?」
「いいや」
ヴォルーツォは静かに首を横へ振った。
「もっと黒くて、底の見えない何かだよ」
「あら、気味が悪いわね」
黒猫は前足で顔を洗いながら、小さく呟く。
「ウィリディアスが、また何か企んでるとしたら……」
「――ヴォルーツォ。よく来たわね」
凛とした声が、風に乗って届いた。
瓦礫の山を挟んだ向こう側。
神々しい気配を纏った一頭の雌羊が、黄金の瞳でヴォルーツォを見つめている。
「やあ、久しぶりじゃないか、ムー・ヌー」
立派な角を揺らしながら、雌羊は瓦礫など意にも介さず軽やかに飛び越えてきた。
ヴォルーツォは懐かしそうに目を細める。
「まさか、ムー・ヌー神話の神々が一堂に会するとは」
ムー・ヌーは小さく首を傾げた。
「あなた、自分が今どんな状況に置かれているのか、分かっていないようね」
「んぇ、何が?」
思わず素っ頓狂な声が漏れる。
「私たちは本来、人間に干渉するつもりはないわ。でも今回は、見過ごせそうにないの」
穏やかな口調とは裏腹に、その声音には静かな威圧感が滲んでいた。
「あらん。ムー・ヌーがそこまで言うなんて」
いつの間にか黒猫はヴォルーツォの肩へ飛び乗り、面白そうに短い尾を揺らした。
「早く行ってあげたらん?」
黒猫は、意味ありげに目を細める。
「婚約者、でしょう?」
――その瞬間。
ヴォルーツォの表情から、笑みが消えた。
「……エフィム、くん……?」
嫌な予感。
それは時として、ただの杞憂では終わらない。
ヴォルーツォは一言も発することなく、崩れた王宮を後にして駆け出した。
――そして、彼の予感は最悪の形で現実となる。




