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追憶の辺獄  作者: 香取 仙狐
第二章 幻日の箱庭
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驚いた part.10

 魔術の訓練場と一口に言っても、その種類は多岐にわたる。


 市街戦を想定したもの、砂浜での戦闘を再現したもの。森林地帯、水上――。

 あらゆる戦場を想定した施設が用意されていた。


「これは、ただの模擬戦ではありません。本番さながらの“環境設定"なのです」


 アルキンドラネスに案内されたのは、その中でも協会から二駅ほど離れた、市街地型訓練場だった。


「すごい……!」


 広大な敷地には、ロティリスの街並みが驚くほど精巧に再現されている。


 思わず見回してしまうほどの完成度だ。


「あっ、流石に建物の中は空っぽなんだ……」


 興奮を隠せないまま、カレンデュラは近くの建物へ駆け寄る。

 次々に扉を開け、中を覗き込み、また閉める。


 そんな様子を見て、アルキンドラネスは穏やかに微笑んだ。


「そうでしょう」


 懐から小さな石を取り出し、カレンデュラへ差し出す。


「――それでは、訓練を始めましょう」


 アルキンドラネスの背に隠れていた少女が、ぱっと飛び出す。


「えいっ――!」


 指先から、小さな紫電が弾けた。


「い、いきなりぃ!?」


 放たれた魔力は、目の前で火花となって弾ける。


「――きゃっ!」


 驚いた拍子に石畳の段差へ足を取られ、そのまま尻もちをついてしまった。


「大丈夫かいな、ジブン」


 慌てて駆け寄ってきた制服姿の少女は、何事もなかったかのように手を差し伸べる。


「……あ、ありがとう」


 差し出された手を取り、カレンデュラは立ち上がった。


 少女の話し方は、独特な訛りだった。


「ええんやで、気にせんと。うちは祝部芽衣っちゅーねん。気軽にメイディって呼んで〜な!」

「わ、私はカレンデュラ・ララミデシア」

「あ、あの……ごめんなさい。いきなり」


 黒髪の少女が、申し訳なさそうに頭を下げた。


「いいって、いいって!」


 カレンデュラは慌てて両手を振り、笑顔を浮かべる。


「えっと……あなたのお名前は?」

「あ、はい。メイリア・ドレイマンと申します」

「あなたがメイリアちゃんなのね!」


 カレンデュラの表情が、ぱっと明るくなる。

 女の子と話せることが、純粋に嬉しかった。


「娘のメイリアと、そのご友人の芽衣さんです」


 アルキンドラネスが穏やかに紹介を添える。


「うわぁ! もしかしてメイディちゃんって、魔術師育成学校の生徒さん?」


 羨望を隠しきれない声だった。


「せやで。なんかフェイなんちゃらとかいう、イケすかん兄ちゃんが取り計らってくれて、入学できたんや」


 その一言に、アルキンドラネスの表情がほんの一瞬だけ曇った。


「フェイ……?」


 聞き覚えがあるような、ないような。

 カレンデュラは小さく首を傾げる。


「あ、あの……お父さん。そろそろ訓練の準備を……!」


 空気を察したように、メイリアが控えめに声を掛けた。


「ああ、そうでした」


 アルキンドラネスはすぐに穏やかな表情へ戻る。


「では、各自、魔法陣を展開してください」

「え、えっと……」


 言われるまま、カレンデュラは意識を集中させた。

 頭の中で魔法陣を思い描き、魔力を流し込む。


「うーん……」


 しかし、形にならない。

 浮かびかけた紋様は、焦点の合わない景色のようにぼやけ、そのまま霧のように消えてしまう。


「……あの、魔法陣って、どうやって展開するんですか?」

「基礎は習っていませんでしたか?」

「えっ、いや、その……なんとなくリヒェンツァさんから説明されて、それで終わりました……」

「なんとなく、ですか」


 アルキンドラネスは静かに頷く。

 何かを察したように目を細め、口を開こうとした。


 その時だった。


「――きゃっ!!」


 近くで雷鳴が轟いた。

 空気を裂くような閃光。

 自然現象ではない。明らかに人為的な雷撃だった。


「……誰ですか。姿を現しなさい」


 だが、ここは事前許可制の訓練場。

 申請のない部外者など、本来いるはずがない。

 アルキンドラネスの表情が一変する。


「さて、誰だと思う?」


 木陰の奥から、一人の男がゆっくりと姿を現した。

 見覚えのない顔。

 だが、その声音には妙な色気がある。


「……この間は世話になったからな。今日は礼をしに来た」

「お礼……?」


 カレンデュラは思わず首を傾げた。


「女子寮を荒らしたのは、お前んとこの副会長だろ?」


 男は鼻で笑う。


「おかげで問題になって、結局オレは追い出されたんだよ」


 淡々とした口調だった。

 それでも、一語一句に粘つくような恨みが滲んでいる。


「……だからといって、カレンさんに罪はありません。お引き取りください」


 アルキンドラネスは一歩前へ出て、静かに言い放つ。


「それはどうかな」


 男は口元を大きく歪めた。


「魔術師育成協会の連中は、全員許せねぇんだよ」


 低く吐き捨てるように笑う。


「オレを……いや、オレたちを裏切りやがった」


 その瞳には、正気とは呼べない光が宿っていた。


「あの女には借りがある。なら、あの女が大事にしてるモンを壊しゃ、少しは気が晴れるだろ」


 その言葉を理解するよりも早く、全身の血が凍りつく。


「――来る!」


 本能が危険を叫んだ。


「カレンさん! 出口まで逃げてください!」


 アルキンドラネスが即座に魔法陣を展開する。

 放たれた光の矢は一直線に男を射抜こうと迫る。


 ――だが。


「遅ぇよ」


 男は涼しい顔で身を捻るだけで、それをかわした。


「メイディちゃん! 助けを呼んできて!」


 カレンデュラは芽衣の背中を押し、出口へ向かわせる。


「わ、分かったで!」


 芽衣は迷わず駆け出した。


「――メイリア! そっちではありません!」


 アルキンドラネスの鋭い制止が飛ぶ。

 しかし、遅かった。


 突然の雷鳴に混乱したメイリアは、父の声も耳に入らないまま、訓練場の奥へと走り出してしまう。


「メイリアちゃん!」


 その一瞬だった。

 メイリアへ意識を向けた隙を突き、火球がカレンデュラの足元で炸裂する。


「きゃっ!」


 スカートの端へ炎が燃え移り、瞬く間に火の手が広がる。


「――カレンデュラお姉さん!」


 半狂乱になったメイリアの悲鳴が、鼓膜を震わせる。


「他人の心配とはな。随分と余裕じゃねぇか」


 男は口元を歪めて嗤った。


「そのオッさん片付けたら、次はオマエら二人まとめて犯してやるよ」


 その一言に、背筋がぞくりと粟立つ。


「カレンデュラさん! 逃げてください!!」


 アルキンドラネスの叫びが響く。


 次の瞬間。

 轟ッ、と疾風が渦を巻いた。

 カレンデュラの髪が大きく舞い上がる。


 荒れ狂う風は一直線に男へ襲いかかり、その身体を勢いよく吹き飛ばした。


「よう。また会ったな、ド変態クソ野郎」


 砂煙の向こうから、一人の女が姿を現す。

 燃えるような赤髪を逆立て、その双眸には怒りだけが宿っていた。


「――リヒェンツァさん!!」


 カレンデュラが名を呼ぶ間もない。

 地を蹴る。次の瞬間には、男の懐へ潜り込んでいた。


「――んおぉぉ!?」


 容赦のない蹴りが男の腹部へ突き刺さる。

 吹き飛ばされた身体は建物の壁へ激突し、そのまま石畳を何度も跳ねながら転がった。


 それでも終わらない。リヒェンツァはさらに加速する。

 まるで怒りそのものが人の姿を取ったように、倒れた男へ縋りつき、容赦なく蹴りを叩き込んだ。


「死ねぇ!! テメェみてぇな変態は、ここで死ね!!」


 ――蹴る。蹴り飛ばす。


「生き恥晒して恥ずかしくねぇのか、このクソったれ!!」


 また、蹴る。鞠ゴムの如く、蹴ったくる。


 やがて男の身体から力が抜ける。意識を失ったのだろう。

 それでも、リヒェンツァは止まれなかった。


「あ、あの……! もうやめてください!! それ以上は、本当に死んでしまいます!!」


 その悲鳴に、誰もが一瞬息を呑む。

 裏返ったその声は、小さく震えていた。


 紛れもなく、それはメイリアが絞り出した声だった。


「あのなぁ。こんな変態野郎、ここで殺しておかなきゃ、また同じこと繰り返すだけだろ」


 それでもリヒェンツァは足を止めない。

 男はすでに虫の息だった。

 それでも拳は止まらず、怒りだけが際限なく叩きつけられる。


「……見つけたぞ、貴様」


 不意に、落ち着いた声が響く。

 気づけば、一人の青年が男とリヒェンツァの間へ割って入り、その腕を強く掴み上げていた。


「やはり貴様には、副会長の職務など務まらなかったか」

「……テメェ何しに来やがった」

「監督不行届きの責任を取って、無能な副会長殿を連れ戻しに参ったまでだ」


 まるで、最初から決められた台本を読み上げるように、フェイルツィーオは淡々と言い放つ。


「――ジャンパカダへ帰るぞ、リヒェンツァ」

「リヒェ姐!!」


 ほとんど同時に、リュディオールの悲痛な叫びが響いた。


「これで二度目っスよ! 就任早々問題起こすなって、あれほど言ったじゃないっスか!!」


 三者三様の声が飛び交う。

 誰もが自分の言い分を譲らず、場は完全な混乱に包まれていた。


「……おやめください」


 その喧騒を静かに断ち切ったのは、アルキンドラネスだった。


「リヒェンツァ副会長」


 穏やかな声で名を呼び、一礼する。


「助けてくださり、ありがとうございました。おかげで被害は最小限に抑えられました」


 感謝を述べた後、気絶した男へ視線を向ける。


「この者は、私が協会まで搬送いたします。医術師の診断を受けさせ、しかるべき処置を施しましょう」


 そして、カレンデュラへ向き直る。


「それから、カレンさん」

「は、はい」


 思わず背筋が伸びる。


「また後日、ご連絡いたします」


 一拍置き、柔らかく微笑んだ。


「娘たちとも、また遊んでいただけますか」

「も、もちろんです」


 少し上擦った声で、それでも力強く頷く。


「ありがとうございます」


 アルキンドラネスは男を抱え上げると、娘へ穏やかな笑みを向けた。


「行きますよ」


 そう言い残し、アルキンドラネスはメイリアを連れて静かにその場を後にした。


「……さて」


 フェイルツィーオが、わざとらしく間を置く。


「リヒェンツァ、貴様の言い分でも聞いてやろう。何をしにここへ来た?」

「別に。カレンが訓練場に行ったって聞いたから、見に来ただけだ」


 悪びれる様子もなく、平然と言い放つ。


「……ほう。それで何故暴力沙汰になる」

「知るかよ、俺がここに来た時には、あのおっさんがカレン達を襲ってたんだっつの」

「はぁ」


 フェイルツィーオがため息をそのまま言葉として吐き出す。


「そんなものは、警察が解決すべき事案だ。貴様が出る幕ではない」

「はぁ? テメェな、人が襲われてたら助けるだろ、普通」

「普通、だと?」


 フェイルツィーオがわざとらしく首を傾ぐ。


「貴様はまず、立場を弁えろ。話はそこからだ」

「あ……?」


 リヒェンツァの顔がさらに険しくなる。


「誰のお陰で今の地位にありつけているか、考えろと言っている」

「ハッ。どの口が言ってんだよ。俺が邪魔なクセによ」

「邪魔、とは随分な言い草だな。貴様を副会長に推薦したのは誰だと思っている」


 ぴたり、とリヒェンツァの動きが止まる。


「――チッ! ……頼んでねーわ、ボケ!!」


 そのままフェイルツィーオの胸ぐらを掴み上げる。


「ちょっ、リヒェ姐! やり過ぎっすよ!!」


 リュディオールが慌てて止めに入るが、リヒェンツァは構わず続けた。


「んなに、俺のことが嫌いなら、首輪でもつけて檻ン中にでもブチ込ンどきゃいいじゃねーか!!」


 ――パチンッ。乾いた音が響く。

 誰も反応する間も無かった。


 リヒェンツァの顔が大きく横へ弾かれ、白い頬がみるみるうちに腫れ上がっていく。


 その場が水を打ったように静まり返る。


「……貴様は」


 低く、押し殺した声だった。


「このボクが、魔術師育成協会の一員として、その程度の認識だと思っていたのか」


 その瞳には、怒りが宿っている。

 だが、それ以上に深い失望があった。


「――見損なったぞ、リヒェンツァ」


 それだけを吐き捨て、フェイルツィーオは踵を返した。


「もう、明日から来なくていいぞ」


 捨て台詞の如く、冷たく言い放った。

 リヒェンツァは、何も言い返さない。ただ、静かに俯いたまま、拳を握りしめている。


 カレンデュラはその背中にかける言葉が、見つからなかった。

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