驚いた part.9
「……また、やっちまったっす」
行き先なんて考えていなかった。
すれ違う人々が怪訝そうな視線を向けても、気にならない。
ただ、この場から消えたかった。
「……くそっ」
靴底が石畳を強く鳴らす。
普段なら、魔術師としてだけでなく、剣士として染みついた足運びが乱れることなどない。
それほどまでに、心が乱れていた。
「オレは……どうして、いつもこうなんだ」
正門を抜け、庭へ出る。
見渡す限り芝生が広がるだけの、人気の少ない広場。
空いていたベンチへ腰を下ろし、膝の上で固く手を組んだ。
「はぁ……」
重いため息が漏れる。肩から力が抜け落ちていく。
「なんで、うまく話せねぇんだ……」
両手で額を押さえ、深くうつむく。
「もっと……伝えたいことがあるのに」
悔しさだけが、胸に蟠る。
「――あの小娘がいなければ」
思ってしまった。
口にしてはいけない願いだと分かっている。
それでも、湧き上がる感情を押さえ込めなかった。
「カレンデュラさえ、いなければ……」
その名を口にした瞬間、胸の奥で黒く澱んだ感情が渦を巻く。
「オレは、オレは――!」
「――グッモーニン。リュド君」
軽薄な声が、思考を真っ二つに断ち切った。
隣へどさりと腰を下ろしたのは、フェイルツィーオだった。
「はて? どうしました。ボクがいるのが信じられない、とでも言いたげな顔をしていますね」
わざとらしく首を傾げながら、にこりと笑う。
「ボクはただ、リヒェンツァが粗相をしていないか確認しに来ただけですよ」
相変わらず、底の見えない男だ。
まるで幽鬼のように神出鬼没で、本音も建前も一切読ませない。
「……別に心配することなんか、一つもないっすよ。支部長は大人しく報告書でも読んでればいいと思うっす」
「残念、報告書はもう読み飽きていますので」
飄々とした口調が、妙に癪に障る。
「リヒェンツァが女子寮に迷惑をかけた、と報告が上がっていましてね」
「それは……」
どうやら、もう耳に入っていたらしい。
「リュド君。先ほどから黙ってばかりですが、どうかしましたか?」
フェイルツィーオは顎に手を添え、わざとらしく考え込む素振りを見せる。
「具合でも悪い? ……それとも、尻拭いでお疲れですか?」
矢継ぎ早に投げられる問い。
どれも的外れで、どれも妙に核心を突いていた。
「それとも、『ロコモティ部! ~戦禍の誓い~』のランキングを、ボクが抜いてしまったことを根に持っている? まあ、その件は気に病む必要はありませんよ。ボクはただの暇人ですので」
聞いてもいない話を一方的に続けるフェイルツィーオに、リュディオールの苛立ちは少しずつ積み重なっていく。
「……今期のランキング一位は“へるへる”でしたか。いやぁ、廃人というのは素晴らしい。時間の使い方に、遠慮も休憩もありませんからね」
唐突に始まるソーシャルゲームの話題。
その口ぶりには、露骨な挑発が滲んでいた。
「……やっぱ、コイツのこと好きになれねぇ」
「おや? 何か言いましたか?」
「なんでもねーっすよ」
視線も向けず、リュディオールは足元の雑草を一本引き抜き、放り投げる。
「本当にどうしたんですか? 悩みがあるなら、一つくらい相談に乗りますよ。例えば……」
そう言いながら、フェイルツィーオはすっと距離を詰めた。
リュディオールが反射的に立ち上がろうとした、その瞬間――肩を強く掴まれる。
「――何故、逃げるんですか」
先ほどまでの軽薄さは消えていた。
「本部が襲撃されたそうじゃないですか」
耳元へ落とされたその一言が、鋭く突き刺さる。
「どうして、ボクにだけ通達が来ないんですか」
淡々とした口調。
だからこそ、余計に恐ろしい。
「他の支部には連絡が行っているのに。おかしいでしょう?」
その眼差しに射抜かれ、リュディオールは身動き一つできなかった。
「なんで……」
掠れた声が漏れる。
「――知っているのか?」
フェイルツィーオは左目を細め、ゆっくりと口角を吊り上げる。
その笑みは愉快そうでありながら、どこか相手を試すような色を帯びていた。
「し、知らない……何も」
「ふふ。そうですか。何も知らない、と」
フェイルツィーオはわざとらしく首を傾げ、小さく唸る。
「ヴォルーツォ」
その名を口にされた瞬間、リュディオールの心臓が強く跳ねた。
安堵する暇すら与えられない。
「知っていても、知らないふりをする。それも一つの美学ですからね」
その一言に、背筋がぞくりと粟立つ。
「あの男と瓜二つの人物が、バライバ理事長の孫娘を襲撃した。そう、ルネイ氏から伺いました」
言葉は穏やかだ。
だが、一つ一つが毒を垂らすように耳へまとわりつく。
「しかし当の本人は、その時間、あろうことかエフィム会長とセッ……ふふ、同衾中だったとか」
まるで逃げ道を塞ぐように、事実だけを淡々と積み重ねていく。
「さあ、お答えください」
柔らかな声音。
それなのに、刃を喉元へ突きつけられているような冷たさがあった。
「し、知るわけねーっす!!」
リュディオールは肩を掴む手を乱暴に振り払う。
「も、もう! オレたちに関わるのはやめろッ!」
「……ええ、もちろんですとも」
フェイルツィーオは抵抗する様子もなく両手を軽く上げ、あっさりとうなずいた。
「ですが、一つだけ警鐘を鳴らしておきましょう」
その声色だけが、わずかに真剣味を帯びる。
「今回の件は、間違いなく貴方にも関わってきます」
そう言い残し、フェイルツィーオは立ち上がった。
「――リヒェンツァ・デ・ゲシュケ・メグミ」
その名を耳にした途端、リュディオールの肩がびくりと震える。
「あの女には……監視が必要かもしれません」
誰かへの忠告ではない。
まるで、自分自身へ言い聞かせるような呟きだった。
「それでは、いずれまた」
それだけを残し、フェイルツィーオは踵を返す。
去っていくその背中からは、最後まで本心を読み取ることはできなかった。




