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追憶の辺獄  作者: 香取 仙狐
第二章 幻日の箱庭
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驚いた part.3

 医療棟の医務室は修理中で、魔法薬の治験は一時中断されていた。


「……何をすればいいんだろう」


 ここ数日、その問いばかりが頭の中を回っていた。


 思考を巡らせる。試験が近い以上、本来なら勉強に時間を割くべきだろう。

 だが手元には参考書もなければ、ノートすらない。


 やるべきことは分かっているのに、肝心の材料がどこにもない。

 どうにかしようという意思だけが空回りしていた。


「……あ、そういえば」


 図書館なら協会内にある。過去問集や問題集の類いも、そこなら揃っているかもしれない。


 カレンデュラは小さく頷き、図書館へ向かうことを決めた。


 その矢先だった。


「――おや、もしや」


 進路を塞ぐように、声が落ちてくる。


「カレンデュラ殿ですか?」


 中央棟の入り口。そこに立っていたのは、黒髪に眼鏡を掛けた、物腰の柔らかな紳士だった。


「誰ですか?」

「私めは、エフィム会長の秘書を務めております、アルキンドラネスと申します」

「あー、あのかわいい子の……」


 カレンデュラの脳裏に浮かぶのは、同い年とは思えないほど落ち着いた、あの少年の姿だった。


「ええ。エフィム会長は現在謹慎中につき、副会長の実務補佐を担当しております」


 アルキンドラネスは丁寧に一礼する。その所作はやけに整っていて、無駄がない。


「へー、よく分からないけど、すごい人なんだ」

「評価についてはさておき……どちらへ向かわれるご予定で?」


 崩れない微笑のまま、アルキンドラネスは一歩だけ距離を詰めた。


「えっと、図書館に。魔術の勉強しようかなって」

「ほう、魔術の……。それはつまり、試験対策ということでしょうか」


 声音が、わずかに探る色を帯びる。


「あ、はい。一応……」


 隠す理由もなく、カレンデュラは素直に頷いた。


「左様でしたか」


 アルキンドラネスは満足げにも、安心したとも取れない表情を浮かべる。


「では、私もご一緒しましょう」


 そう言うと、彼は自然な動きで進路へ回り込み、まるで当然のように先導の位置へと立った。


「アルキンさんも、魔術師の試験なんですか?」


 カレンデュラは後ろから歩幅を合わせながら、何気なく問いかけた。


「試験は、もう何十年も前に受けておりますよ」


 穏やかな微笑を浮かべたまま、アルキンドラネスは淡々と答える。

 歩き方も声も、一定のリズムを崩さない。


「じゃあ、どうして図書館へ?」

「娘です」

「娘さん?」


 カレンデュラが首をかしげると、彼は少しだけ目元を和らげた。


「ええ」


 短く頷き、視線だけ前へ戻す。


「魔術師育成学校への進学を目指しておりまして。私も勉強に付き添っているところです」

「へぇー。じゃあ、ライバルってことになるんですか?」


 軽い冗談のつもりだった。


「ははは、そうなりますかね」


 返ってきたのは、柔らかい笑い声だけだった。


「やっぱり、試験って難しいんですか?」

「それはどうでしょう。結局は当人の努力次第といったところでしょうから」


 曖昧とも取れるその返答に、カレンデュラは思わず眉をひそめる。


「え、そういうのって普通、ある程度決まってるものじゃないんですか? 合格率とか、平均点とか」


 学校というものすらまともに触れたことはない。

 それでも、それくらいの“常識”はどこかで聞きかじっていた。


 アルキンドラネスは小さく頷き、言葉を慎重に選ぶように続ける。


「もちろん統計は存在します。ただし……魔術師の試験である以上、単純な比較は難しい」

「うう……やっぱりハードル高そう」


 カレンデュラは肩を落とした。実技試験という響きが、特に重い。


「ですが」


 アルキンドラネスは変わらぬ微笑のまま、少しだけ間を置く。


「ご自身で目標を見出している点は、非常に良い傾向です」


 褒め言葉のはずだった。だが機械的に整えられた抑揚は、どこか定型文のように聞こえる。


「え、ありがとう……?」


 カレンデュラは曖昧に頷くしかなかった。


 そのやり取りの余韻を引きずったまま、気づけば二人は図書館の前に立っていた。

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