驚いた part.1
驚いた。
粗暴で乱暴な性格から勝手に想像していた“荒れ果てた巣”は、入口の時点で裏切られる。
玄関は整然としていた。靴は揃い、床には埃ひとつない。廊下もまた、隅まで掃除の跡がある。
生活感の“荒さ”ではなく、むしろ管理された静けさが漂っていた。
そしてリビングに入った瞬間、思考はもう一段階、置き去りにされる。
そこは一面のピンクだった。
甘さを押し付けるでもなく、しかし徹底的に統一された空間。
猫脚のテーブルが控えめに立ち、ソファは貝殻を模したような曲線で構成されている。
カーテンも壁紙も、色彩の方向性を一切ぶらさないまま、徹底して“可愛い”に寄せられていた。
清楚というよりは、完成された乙女趣味の世界。
そしてその中心にあるはずの人物像と、この部屋はどう考えても噛み合っていない。
リヒェンツァの外見と、この空間だけが、互いに反発しているようだった。
「……どうだ、ヤバいだろ」
確かにヤバい。別の意味でだ。
「断じて俺の趣味じゃないからな? エミルとアリカに任せたら……こうなってただけだ」
言い訳にしては具体性があるようで、逆に怪しい。
数日しか経っていない新居を、ここまで“完成品”に仕上げる手際の良さ。もはやプロフェッショナルの仕事だ。
「なるほど〜」
適当な相槌が口から出る。
正直、ゴミ屋敷を想定していた分だけ、これはこれで平和だ。
「……まあ、女連れ込むにしてもこっちの方がウケが良いしな」
空気が一瞬だけ静止した。
前言撤回。
「荷物置いてきまーす」
カレンデュラは聞こえないふりを決め込み、自分に割り当てられた部屋へと歩き出す。
現実からの逃避速度だけは一丁前だ。
「ん、ちょっと待て。お前それなんだ」
背中越しに刺さった声に、カレンデュラは足を止めた。
振り返ると、リヒェンツァの視線は彼女の手元──正確には、片手で抱えている布の巻かれた長い“何か”に向いている。
「ああ、これですか?」
軽く布を解いて見せる。
「昨日、歩いてたら急に知らない女の人に渡されて」
説明としては雑だったが、事実なので仕方がない。
「弾き方も分からないし、重いし、でっかいし……あんまり嬉しくないかも」
便利だったはずの身軽さが、今になって恋しくなる。
リヒェンツァはその言葉を聞いたまま、しばらく黙り込んだ。
楽器へ視線を落とし、次にカレンデュラの顔を見る。
そして再び楽器へ。
思考の気配だけが、妙に長く流れた。
やがて、答えに辿り着いたように口を開く。
「――天燐精霊器」
リヒェンツァは、自分で納得するように何度か頷いた。
「俺も実物を見るのは初めてだ」
何を言われたのか分からず、カレンデュラはぽかんと口を開けたまま首を傾げる。
「いや、本当に何も分かってねえんだな。これ、相当ヤバいシロモンだぞ?」
「……ヤバいって、どのくらいですか……」
カレンデュラは恐る恐る尋ねる。
先ほどリビングを見た時以上の衝撃だと言われたら、今度こそ正気を保てる自信がない。
「部族の長か、神官の家系、あるいはその直系の血筋。その三択くらいしか持つことを許されねえレベルの神器だ」
「へー、それは凄いですねぇ」
「おま……っ!」
思わず声を荒げかけたリヒェンツァだったが、途中でため息をついて肩の力を抜いた。
「……いや、仕方ねーか。今まで軟禁同然の暮らしだったんだ。そんな話をされても分かるわけねえよな」
そう言ってから、改めて楽器へ視線を落とす。
「とにかくだ。この楽器が人前に出るのは、祭典か、式典の時くらいだ。そういうモンなんだよ」
「そんなすごい物が、どうしてあたしのところに?」
カレンデュラは小首を傾げる。
「それは俺が聞きてえよ」
気の抜けた返事しか出なかった。
「まあ、今さら持ち主のところへ返せって言っても無理だろうしな」
それはそうだと、カレンデュラも思う。
あの女性は名乗ることも、自分の事情を話すこともなく、ただ一方的にこれを託して去っていったのだから。
「誰にも見られないように隠しとけ。バレたら面倒なことになるぞ」
リヒェンツァは手際よく布を巻き直すと、そのまま楽器を抱え、カレンデュラの部屋へ運び込んだ。




