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追憶の辺獄  作者: 香取 仙狐
第二章 幻日の箱庭
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驚いた part.1

 驚いた。


 粗暴で乱暴な性格から勝手に想像していた“荒れ果てた巣”は、入口の時点で裏切られる。


 玄関は整然としていた。靴は揃い、床には埃ひとつない。廊下もまた、隅まで掃除の跡がある。

 生活感の“荒さ”ではなく、むしろ管理された静けさが漂っていた。


 そしてリビングに入った瞬間、思考はもう一段階、置き去りにされる。


 そこは一面のピンクだった。

 甘さを押し付けるでもなく、しかし徹底的に統一された空間。

 猫脚のテーブルが控えめに立ち、ソファは貝殻を模したような曲線で構成されている。

 カーテンも壁紙も、色彩の方向性を一切ぶらさないまま、徹底して“可愛い”に寄せられていた。


 清楚というよりは、完成された乙女趣味の世界。

 そしてその中心にあるはずの人物像と、この部屋はどう考えても噛み合っていない。


 リヒェンツァの外見と、この空間だけが、互いに反発しているようだった。


「……どうだ、ヤバいだろ」


 確かにヤバい。別の意味でだ。


「断じて俺の趣味じゃないからな? エミルとアリカに任せたら……こうなってただけだ」


 言い訳にしては具体性があるようで、逆に怪しい。

 数日しか経っていない新居を、ここまで“完成品”に仕上げる手際の良さ。もはやプロフェッショナルの仕事だ。


「なるほど〜」


 適当な相槌が口から出る。

 正直、ゴミ屋敷を想定していた分だけ、これはこれで平和だ。


「……まあ、女連れ込むにしてもこっちの方がウケが良いしな」


 空気が一瞬だけ静止した。

 前言撤回。


「荷物置いてきまーす」


 カレンデュラは聞こえないふりを決め込み、自分に割り当てられた部屋へと歩き出す。

 現実からの逃避速度だけは一丁前だ。


「ん、ちょっと待て。お前それなんだ」


 背中越しに刺さった声に、カレンデュラは足を止めた。

 振り返ると、リヒェンツァの視線は彼女の手元──正確には、片手で抱えている布の巻かれた長い“何か”に向いている。


「ああ、これですか?」


 軽く布を解いて見せる。


「昨日、歩いてたら急に知らない女の人に渡されて」


 説明としては雑だったが、事実なので仕方がない。


「弾き方も分からないし、重いし、でっかいし……あんまり嬉しくないかも」


 便利だったはずの身軽さが、今になって恋しくなる。

 リヒェンツァはその言葉を聞いたまま、しばらく黙り込んだ。

 楽器へ視線を落とし、次にカレンデュラの顔を見る。


 そして再び楽器へ。

 思考の気配だけが、妙に長く流れた。

 やがて、答えに辿り着いたように口を開く。


「――天燐精霊器」


 リヒェンツァは、自分で納得するように何度か頷いた。


「俺も実物を見るのは初めてだ」


 何を言われたのか分からず、カレンデュラはぽかんと口を開けたまま首を傾げる。


「いや、本当に何も分かってねえんだな。これ、相当ヤバいシロモンだぞ?」

「……ヤバいって、どのくらいですか……」


 カレンデュラは恐る恐る尋ねる。

 先ほどリビングを見た時以上の衝撃だと言われたら、今度こそ正気を保てる自信がない。


「部族の長か、神官の家系、あるいはその直系の血筋。その三択くらいしか持つことを許されねえレベルの神器だ」

「へー、それは凄いですねぇ」

「おま……っ!」


 思わず声を荒げかけたリヒェンツァだったが、途中でため息をついて肩の力を抜いた。


「……いや、仕方ねーか。今まで軟禁同然の暮らしだったんだ。そんな話をされても分かるわけねえよな」


 そう言ってから、改めて楽器へ視線を落とす。


「とにかくだ。この楽器が人前に出るのは、祭典か、式典の時くらいだ。そういうモンなんだよ」

「そんなすごい物が、どうしてあたしのところに?」


 カレンデュラは小首を傾げる。


「それは俺が聞きてえよ」


 気の抜けた返事しか出なかった。


「まあ、今さら持ち主のところへ返せって言っても無理だろうしな」


 それはそうだと、カレンデュラも思う。

 あの女性は名乗ることも、自分の事情を話すこともなく、ただ一方的にこれを託して去っていったのだから。


「誰にも見られないように隠しとけ。バレたら面倒なことになるぞ」


 リヒェンツァは手際よく布を巻き直すと、そのまま楽器を抱え、カレンデュラの部屋へ運び込んだ。

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