風の語り部 part.8
この物語はフィクションです。
差別を目的としたものではありません。
リヒェンツァは女子寮の敷地へ足を踏み入れた。
寮といっても、建物は決して新しくない。
壁はあちこち煤け、屋根にも年季が見える。お世辞にも綺麗とは言えなかった。
一瞥だけでそう結論づけると、リヒェンツァは寮母の待つ事務室へ向かった。
途中、すれ違う寮生たちが一斉に足を止めた。
視線は、リュディオールへ集まる。
怯えるような者。顔を伏せる者。小走りでその場を離れる者までいた。
「てめぇは寮の外で待ってろ」
「……分かったっス」
短く言い残し、一人で事務室の前へ立つ。
扉を二度ノックすると、間を置いて気怠そうな返事が返ってきた。
「失礼」
ドアを開ける。
室内には、六十代ほどの女性が一人。 事務机に腰掛けたその姿を見て、リヒェンツァは、この人物が寮母で間違いないと判断した。
「……おやまあ、あんた、女の子かい」
開口一番、寮母は目を丸くした。
「なんか文句あんのか?」
リヒェンツァは眉ひとつ動かさず、淡々と返す。
「いやいや。背も高いし、その格好だからねぇ。てっきり男の人かと思っちまって」
老眼鏡の位置をずらしながら、寮母は苦笑する。
「別に人の勝手だろ。服装にまで口出しされる筋合いはねぇ」
ぶっきらぼうな返答にも、寮母は怒る様子を見せなかった。
むしろ困ったようにため息をつく。
「本当ならそうなんだけどねぇ……今の寮じゃ、そうも言ってられないのよ」
「……どういうことだよ、婆ちゃん」
寮母は少し言い淀み、それから静かに口を開いた。
「二か月くらい前だったかねぇ。自分を『女の子』だと言い張る大男が、ここへ入ってきたんだよ」
「……あぁ?」
「女子寮に住む権利があるってね。あれこれ理屈を並べ立てられて、多様性を尊重しろだなんだと押し切られちまったの」
寮母は力なく肩を落とす。
「それ以来、寮の空気が変わっちまってねぇ」
寮母は、退寮する子が後を絶たない。苦情も増えた。部屋から出ようとしない子までいる、と付け加えた。
「……それで、退寮が相次いでるっつーわけか」
リヒェンツァは低く呟く。
話は思っていた以上に根が深い。
「あたしゃもう歳だからねぇ。あんなのに暴れられでもしたら、ひとたまりもないよ」
寮母は苦く笑い、そっと視線を伏せた。
「――で、被害は?」
リヒェンツァは腕を組んだまま問い詰める。
「風呂を覗かれたとか、夜這いだとか、盗撮だとか。何かされてねぇだろうな」
「うーん……今のところ、そういう報告はないねぇ」
寮母はゆっくり首を横に振る。
「見た目は派手な割には、大人しいもんさ。……ただねぇ」
「……ただ?」
リヒェンツァの眉がぴくりと動く。
「下着がなくなった」
一瞬、沈黙が落ちた。それだけで十分だった。
「――ブッッッッッ殺すッ!!」
怒声が事務室を揺らす。
立ち上がる勢いで椅子が跳ね、鈍い音を立てて脚が一本へし折れた。
「ちょ、リヒェ姐!」
制止の声も聞かず、リヒェンツァは事務室を飛び出す。
その背中を、リュディオールが慌てて追いかけた。




