風の語り部 part.5
「なんで!? なんで追いかけてくるんですかぁぁぁ!?」
カレンデュラは半泣きになりながら廊下を駆け抜ける。
目尻には涙まで浮かび、ただ無我夢中で逃げていた。
だが、リヒェンツァも追う足を緩めない。
しなやかな身のこなしは猫のようで、その距離は少しずつ縮まっていく。
「――テメェが止まらねぇからだろッ!!」
ひたすら走る。
あと少し。仮眠室まで、あと少し。
不意に、背後から腕が伸びる。
捕まる。反射的に身を捩るが、それすら読まれていた。
「……あっ!」
腕を絡め取られ、そのまま壁際へ追い込まれる。
背中に伝わる冷たい壁の感触。
逃げ場は、もうない。
「はぁ……はぁ……もう! 一体なんなんですか!」
肩で息をしながら叫ぶ。
だが、リヒェンツァは息こそ乱れているものの、どこか呆れたように肩をすくめた。
「馬鹿野郎。てめぇが逃げるからだろ」
常夜灯の淡い光が、二人を照らす。
互いに息を整えながら、しばらく睨み合った。
「いや、だって……いきなり追いかけてくるから!」
カレンデュラはぎゅっと目を閉じ、半ば悲鳴のように言い返す。
その反応に、リヒェンツァは苦笑を漏らした。
「落ち着けよ。別に取って食いやしねぇ」
その言葉すら信用できず、カレンデュラはじり、と壁に背を預ける。
「……お前、仮眠室で寝泊まりしてるって本当か? 苦情入ってんぞ」
「……え?」
予想もしなかった話題に、カレンデュラは目を瞬かせた。
その様子を見て、リヒェンツァは呆れたように息をつく。
「あのな。ここは宿舎じゃねぇ。シャワー室は開放してるが、仮眠室は文字どおり仮眠用だ」
そう言って腕を離す。
「毎晩占領されたら、他の連中が困る」
ようやく自由になったカレンデュラは、恐る恐る距離を取った。
「いえ……でも、治験のために泊まり込みをしないといけなくて……」
少し俯く。
「あたし……もう、実家には帰れないし」
その一言で、場の空気が変わった。
リヒェンツァは眉間を押さえ、大きく息を吐く。
「アホォ、ドアホォ……!」
頭を抱えるように吐き捨てる。
「仮眠室は誰でも使えるんだぞ。男だって出入りする。その意味、分かってねぇだろ」
呆れを通り越し、声には苛立ちが滲んでいた。
だが、その矛先はカレンデュラではなく、彼女をそんな状態で放り出した環境へ向けられている。
「意味……って?」
カレンデュラはきょとんと首を傾げる。
その無垢すぎる反応に、リヒェンツァはとうとう額を押さえた。
「あぁ、もう……バライバのヤツ。放り出すなら、せめて男の怖さくらい教え込んどけよ」
舌打ちをひとつ。
苛立ちを紛らわせるように煙草へ手を伸ばす。
「とにかく。女子寮を手配してやる」
「で、でも……あたし、お金持ってない……」
「ったく。金の心配なんざしてんじゃねぇよ。バライバに請求しとけ」
「……なんか」
カレンデュラは、ふっと頬を緩めた。
「お婆ちゃんみたい」
その一言に、リヒェンツァは眉をぴくりと動かす。
バライバとリヒェンツァ。
口は悪くても、面倒見の良さだけは、どこか似ているのかもしれない。
「……似てねぇし」
不機嫌そうに言い返しながらも、その声音から棘は消えていた。
「今日は、俺ん家に泊まれ」
「……え?」
あまりにも唐突な提案に、カレンデュラは目を丸くした。




