第六話 再び旅へ
その後の流れは、驚くほど古典的な筋書きどおりだった。
気難しい猟師を訪ね、アンナが間に入って警戒を解き、森に残された痕跡を一つずつ辿る。
二日後、ようやく犯人を見つけた。
正体は、大きなヒグマだった。
一度羊囲いを破り、楽に獲物を得る方法を覚えてしまっている。生かしておけば、必ずまた村を襲う。
劉と猟師は協力し、ヒグマを仕留めた。
【任務目標を達成しました】
木杖を失った劉が使った武器は、長槍だった。
狩りは順調に進んだ。ほかのゲームで戦ってきた厄介な怪物と比べれば、このヒグマは特別な相手ではない。
突きを放ち、攻撃を躱し、不意を突いて念動力――劉が新たに命名した魔法――を叩き込む。
そうして、最後には大熊を地へ沈めた。
同行した猟師は、過去に魔獣と戦った経験があるという。それでも劉の念動力と、幾度もの戦場を潜り抜けたような槍さばきを目にして、その眼差しには敬意と畏れが加わっていた。
これで一件落着だった。
劉は村へ戻り、事情を皆へ伝えてからログアウトすることにした。
敵意がなく、滞在を許された村や街は「安全地帯」と判定される。危険地帯のように身体をその場へ残して眠る必要はなく、ログアウトと同時に消えることができた。
皆の目の前で、【狂想の主】の身体が光るデータの鎖へ変わっていく。
あれほど奇妙な魔法を見たアンナでさえ、驚いて口元を押さえた。光が消えていく空を、いつまでも見上げている。
信仰心の篤い村人二人は、胸元で祈りの仕草をした。
「創造神の奇跡だ……」
*
「窓を全景表示に」
音声指示とともに、劉は生命維持カプセルからゆっくり身体を起こした。
窓の向こうは、ちょうど朝だった。
高層建築が林立し、遠方では飛行艇と軌道輸送車が絶え間なく行き交っている。
ゲーム内では、およそ四日を過ごした。現実では、一日余りしか経っていない。
「今日が土曜ならよかったのに。あと何日か遊びたかったな」
大きく伸びをし、部屋を歩く。
これほど長くカプセルに入っていたにもかかわらず、身体に違和感はなかった。
ただし、魔力を感じ取る知覚や、空間魔法を使ったときの独特な感触は、記憶としてしか残っていない。何が起きたかは理解できても、その感覚自体を現実で呼び起こすことはできなかった。
「初心者向けの依頼も終わった。そろそろ旅立つ頃だな」
黒豹との死闘と魔法の会得を経験したあとでは、ヒグマとの戦いは少々物足りなかった。
アンナたちとの別れは惜しい。
だが自分は星界の旅人だ。いつまでも一つの村に留まってはいられない。
大学へ向かう軌道列車の中でも、劉の頭は『ガイア・クロニクル』のことでいっぱいだった。
そういえば、魔法書はまだ一頁も開いていない。次にログインしたら、少しくらい目を通し、実用的な魔法を覚えたほうがよさそうだ。
「あいつは、今どのくらい進んでるんだろうな」
劉へ『ガイア・クロニクル』を熱心に勧めてきた大学の友人は、新世界サーバー開設初日から遊んでいる。三か月が経った今なら、先頭集団にいるかもしれない。
ただし、自分がついに機器を買ったことは、まだ知らせないつもりだった。
しばらく一人で遊び、独自の技能や装備を揃えてから姿を現せば、きっと驚くだろう。
その日の講義は、数学、エネルギーシミュレーション、高度知性基礎論と、難しく退屈なものばかりだった。
最後の授業で課題を提出すると、劉はすぐ家へ戻った。
*
眩い光が消える。
【狂想の主】は、再び村へ降り立った。
近くにいたウィリアムが光を見て、すぐ迎えに来る。
「以前、街で見たことはあるが、こんなに間近では初めてだ。本当に奇跡なのだな!」
「ウィリアム村長。ちょうど探してたんです」
「何かあったのですか?」
「村を出ようと思います。ここ数日は、いろいろとご迷惑をかけました」
「迷惑だなんて! 熊の被害を止めてくださったのはこちらではありませんか」
しばらく挨拶を交わす。
劉も儀礼的なやり取りは面倒だったが、世話になった以上、最低限の筋は通したかった。
続いてアンナへ別れを告げる。
アンナは、朝に森で採ってきたキノコをすべて劉の荷物に押し込んだ。
「旅路は遠くとも、縁があればまた会おう!」
芝居がかった台詞に、アンナは吹き出した。
笑顔で、旅立つ劉を見送る。
【辺境集落イベントを集計中……】
【戦闘評価】
技巧:まずまず
与ダメージ:主戦力
演出:平凡
【任務評価】
重要人物との協力により、目標を達成しました。
巨獣の森および、この地の日常生活に関する一般情報を獲得しました。
【物語評価】
平凡ながら穏やかな辺境集落での経験を通じ、村人との絆を深めました。
失敗に終わった魔法披露が、かえって魔法技能の向上へ繋がった点には多少の面白みがあります。しかし、またしても特別な武器を失いました。これは果敢な冒険心なのか、単なる無謀なのか、判断に迷うところです。
【最終評価:B】
「やっぱりな」
劉は口を尖らせた。
もはや妖精を呼び出して言い争う気にもならない。望むのは、報酬として再び木杖が返ってくることだけだった。
「報酬を精算! 俺の杖を虚空から引き上げてくれ!」
【イベント報酬】
称号獲得:【濃厚キノコスープ】
効果:キノコスープ系料理による体力回復量が上昇します。
アイテム獲得:【黒い魔晶石】
アイテム獲得:【澄んだ魔晶石】
説明:魔法エネルギーを秘めています。
アイテム獲得:【巨獣の森・境界地域地図】
装備獲得:【猟師の軽装】
説明:森での狩猟に適した、軽く丈夫な衣服です。
武器獲得:木弓×1、普通の矢×10
【精算完了】
「武器獲得」の文字を見た瞬間、劉は喜んだ。
木杖が戻ってくる。
だが最後まで待っても、現れたのは木の弓だけだった。
「応答機能を有効にしろ! おい、俺の木杖はどこへ行った!」
「今回の評価では、お客様が再度紛失した杖を獲得する条件に達していません。また、イベント報酬がお客様のご要望を常に満たすとは限らないことも、ご理解いただけるかと存じます。それに……」
言葉が途中で止まった。
「それに、何だ?」
「何でもありません。お気になさらず」
「また途中で止めて人を焦らすのか! 今度こそ言え!」
「先ほどは私の過失でした。お詫びします。規約により、プレイヤー体験に関わる情報は開示できません」
「またそれか。なら俺が当ててやる。誰かが木杖を拾った!」
劉は妖精の動きを観察し、普段との違いを探した。
だが、ピクセル・フェアリーはいつもどおり、のんびりと周囲を漂っている。
「木杖は空間の裂け目で消滅した!」
「最初に戻ってきたのは初心者特典で、もう機会はない!」
「別の時間軸へ移って、ここには存在しない!」
思いつく限りを並べても、妖精は何の反応も示さない。
「何か言えよ!」
「大変豊かな想像力をお持ちです」
「応答機能を切れ!」
「消えろ!」
妖精が消えた空間を指差し、劉は悪態をついた。
だが、すぐ気持ちを切り替える。
「まあ、杖がなくてもいい。槍と弓がある。これこそ魔法戦士だ!」
地図を開き、足元の道と周囲の地形を見比べる。
そしてフェスの方角へ、歩き始めた。
*
魔法が暴走した空き地には、もともと人が寄りつかなかった。
事故のあと、村人はそこを恐れて避けるようになり、近づく者は完全にいなくなった。
森の縁の木々は、以前より葉を減らしている。下草も誰かが円を描いたように、中心へ近づくほど疎らになっていた。
その中央には、直径十メートルほどの大穴が口を開けている。
静寂のなか、その光景だけが異様に浮かび上がっていた。
森の草むらには、一つの黒い影が身を伏せていた。
夜が訪れるまで、微動だにしない。
劉が戦った、あの黒豹だった。
漆黒の毛皮は影へ溶け込み、切断された尾の断面は滑らかだった。空間の裂け目に断たれた痕だ。
ただし、以前より身体が大きい。
背には小さな骨鰭が生え、前脚には何本もの血の跡が走っていた。傷はまだ完全には塞がっていない。
黒豹は片方の前脚を庇いながら、大穴の周囲を何度も回った。
耳を立て、風の音を拾い、周囲にほかの生き物がいないことを確かめる。
やがて後脚で地を蹴り、穴の底へ飛び降りた。
首をいっぱいに伸ばし、かつて黒点が生まれた空間の匂いを嗅ぐ。
そして空間を引き裂き、その中へ跳び込んだ。
次の瞬間、さらに高い位置に開いた亀裂から飛び出す。空中で姿勢を整え、大穴の縁へ着地した。
すぐには立ち去らなかった。
前脚に残っていた傷が、目に見える速さで塞がっていく。
月光を冷たく反射する双眸が、何もない黒点の跡を長く見つめていた。
その眼差しには、畏敬にも似たものが宿っている。
最後に短い尾を揺らすと、黒豹は身を翻し、闇の中へ消えた。
夜光が一瞬だけ背の骨鰭を照らす。
それは先ほどより、わずかに大きくなったように見えた。




