第四話 キノコのスープと冒険
帰り道で、劉はアンダーソンが隣家の鍛冶屋の息子で、アンナとは幼馴染だと知った。
若者は劉へ露骨な警戒心を向けていた。だが、劉がこっそり「アンナが好きなのか」と尋ね、ついでに二つほど助言してやると、口では何も認めなかったものの、態度はいくらか和らいだ。
家へ着いてからは、劉も夕食の支度を手伝った。
しばらく働き、ついに噂の濃厚キノコスープと対面する。
牛乳、芋、そしてたっぷりのキノコ。村長は劉をもてなすため、秘蔵の黒胡椒まで出してくれた。
ただ、味は――悪くない、という程度だった。
素材本来の味は、十分すぎるほど伝わってくる。
劉が舌の肥えているのも無理はない。物資も調理技術も豊かな宇宙時代には、美味いものがいくらでもある。素朴なキノコのスープでは、どうしても見劣りした。
それでも心遣いは嬉しく、礼として自分の干し肉を食卓へ出した。
アンナたちは、星界の話を次々と聞きたがった。
この辺境の集落には正式な村名さえなく、星界の旅人など滅多に訪れない。劉は話を選びながら、仮想世界の住人であること以外はほとんど話してしまった。
もっともウィリアムによれば、彼ら自身、自分たちが創造神に造られた存在だと理解している。そして創造神もまた、星界から来たのだという。
別のゲームなら、NPCは聞こえなかったふりをするか、決められた答えを繰り返すだけだろう。
この世界の住民は、自らの存在について明確な認識を持っている。
劉は改めて、その作り込みに感嘆した。
夜も更け、ようやく空き部屋の寝台へ横になる。
下には乾いた藁が敷かれていた。アンナがわざわざ運んでくれたものだ。寝心地はよくないが、地面で眠るよりは遥かにましだった。
そのアンナは、最後まで質問をやめなかった。
キノコのクリームスープと焼いた腸詰めは本当に美味しいのか。宇宙船とはどんな乗り物なのか。
一人になった劉は、窓の外に浮かぶ巨大な月を眺めた。
あの月と黒豹、そして体内を巡る超常の力がなければ、ここがゲームであることを忘れそうになる。
むしろ、別の惑星へ旅行に来たと言われるほうが納得できた。
そうだ。あいつに聞いてみればいい。
「なあ、フェアリー。ここは本当にゲームの世界なのか?」
ピクセル・フェアリーが姿を現した。
「多くのプレイヤーが同じ質問をします。回答は、疑いなくゲーム世界です。皆様は実在感を求めたかと思えば、実在感が強すぎると疑問を抱きます。ご意見が尽きることはありませんね」
劉は反論しかけたが、窓の外の月を見てため息をついた。
当然の事実を並べて人を苛立たせるのが、この妖精は実に上手い。
「補足します。ご存じないかもしれませんが、ほとんどの場合、プレイヤーと知性NPCが互いの肉体へ直接的な損傷を与えることはできません」
「それより、最初に言いかけた『ただし』の続きは何だったんだ?」
「会話履歴を検索中……」
「初回の応答停止前に中断された発言を指していると推定します」
「『ただし、ゲーム序盤にシステム案内を停止した場合、進行が困難になる可能性があります』」
「なお、これまでの行動から判断し、お客様が当該リスクを懸念する必要はありません」
「ほらな!」
劉は思わず笑い、村人を起こさないよう慌てて口を塞いだ。
「やっぱり、どうでもいい注意事項だった!」
勝ち誇った顔で妖精を見る。
「じゃあ、AIの陰謀は? 仮想と現実の境界はどうなる?」
定番の主題をからかうように投げかけた。
「組織による介入、仮想知性の権利、現実世界の危機が仮想へ波及する可能性なども、併せてお尋ねでしょうか」
絶えず揺れていたピクセル・フェアリーが静止した。まとっていた光まで、わずかに落ち着いたように見える。
「存在するかもしれませんし、存在しないかもしれません。本作を利用して現実で何らかの計画を進める勢力が現れる可能性は否定できません。私の知性と能力が境界を越えるに足りるか、人類へ危害を加える理由を持ち得るかも、プレイヤーには判断できません」
「仮想知性の権利については、『テラ連合憲法』第三修正条項第二章をご参照ください。現実と仮想をめぐる哲学的考察は、個人の自由です」
「データと論理に基づけば、いずれも無視できない問題です」
想像以上に真剣な回答だった。
劉の胸に、緊張が走る。
「ただし、次の点は保証できます。お客様は、いかなる状況でも意識接続を解除できます。また生命維持カプセルの電力が尽きない限り、意識および肉体が破壊的な脅威に晒されることはありません」
「言い方がいちいち怖いんだよ! そんな説明をされたら、安心して遊べないだろ!」
劉は身を起こした。
「この世界をゲームとして信じて、思いきり冒険していいのか。それだけ教えてくれ」
無機質な声が、ほんの少しだけ柔らかくなった気がした。
「もちろんです、親愛なるプレイヤー」
「思想家は哲学を考え、陰謀を企む者は裏で策を弄するでしょう」
「そして【狂想の主】。星界の旅人であるあなたは、このゲーム世界で思うまま旅をし、あなただけの物語を作ってください」
「それこそが、本作がすべてのプレイヤーへ届けようとする、最も大切な理念です」
劉は肩の力を抜いた。
もう一度、窓の外の月を見る。しばらく黙ったあと、小さく笑った。
「お前も、ときどきはいいことを言うんだな」
「本システムは規約に従って質問へ回答し、関連する事実を述べています。プレイヤーが感情に左右されやすく、客観的事実を素直に受け入れられないだけです」
劉は鼻で笑い、手を振って妖精を追い払った。
「はいはい。応答機能を切ってくれ。このままだと朝まで口論することになる」
巨大な月が空に浮かび、虫の音が静かに続いている。
やがて眠気が訪れ、劉は藁の上で眠りに落ちた。
*
翌朝、ヤンチャとクロがじゃれ合う声で目を覚ました。
窓から差し込む陽光が脚を温めている。システム時刻は午前六時半。現実では、まだ三時間も経っていなかった。
「この神経接続、凄すぎるな。本当に一晩眠ったみたいだ」
実際、彼は眠っていた。
ゲーム内でキャラクターが眠る際、現実の身体も同期して睡眠を取るか、ログアウトするかを事前に設定できる。カプセルの健康管理機能は連続稼働時間や総睡眠時間を監視し、同期睡眠を推奨できない場合には警告も出す。
窓の外へ目を向けると、朝日が眩しく、しばらく目を開けていられなかった。
「狂想の主、起きたの? 朝ご飯を食べる?」
声のするほうを見る。
アンナは頭巾を巻き、袖をまくって家の前の仕事をしていた。朝日を受けてポニーテールが軽やかに揺れ、その笑顔は眩しいほど明るい。
「キノコのスープが少し残ってるよ。冷めちゃったけど」
スープと聞いた途端、劉の腹が鳴った。
朝から濃い味のものは欲しくない。油も塩も控えめなキノコのスープに乾いたパンなら、ちょうどよさそうだ。
「食べる!」
窓の外へ返事をし、素早く寝台から降りた。
しかし実際に口へ入れると、現実――いや、ゲームか――を改めて思い知らされた。
昨夜のスープを水で薄めたものに、ほとんど味のない乾燥パン。
もはや「あっさり」という範囲ではない。辺境の貧しい暮らしを、味覚まで含めて堪能することになった。
劉はのんびりとスープを飲みながら、妙な違和感を覚えた。
――俺の冒険はどこへ行った?
主筋の物語や、激しい戦いが待っているはずではなかったか。ゲーム世界へ来て、悠々自適に老後を過ごしている場合ではない。
アンナが部屋を掃除していると、劉は突然、勢い込んで尋ねた。
「アンナ! 昨日、村長が魔獣が現れ始めたって言ってたよな。あれはどういうことだ?」
「えっ?」
アンナは驚き、丸い目で劉を見た。
「私も詳しくは知らないよ」
それでも熱心な視線に押され、記憶を辿る。
「三か月くらい前からかな。この森で魔獣を見たって話を、ときどき聞くようになったの。村の誰かの知り合いが怪我をしたとも聞いたし……だから昨日、お父さんがショーグンもクロもヤンチャも連れていけって譲らなかったのよ」
劉は両手を頭の後ろで組み、椅子の背へもたれた。
そして黙り込む。
物語の筋として考えれば、魔獣が徐々に増え、やがて新たなスタンピードが起こるのではないか。
あの黒豹も、その一端かもしれない。
アンナは不思議そうに劉を眺めた。
昨夜は落ち着いて顔を見る暇がなかった。改めて見ると、東方風の顔立ちは整っていて、肌など自分より綺麗なほどだ。少し羨ましくなる。
一年ほど前、創造神は星界の旅人がガイアへ降り立つと神託を下した。
星界の人々は、どんな者なのだろう。アンナはずっと楽しみにしていた。
昨夜、劉は星界について多くを語った。彼らは月へ行ける。それどころか、月より遠い場所へも旅ができる。
創造神が自分たちを造ったのなら、あの月も造ったのだろうか。その先にあるものまで、すべて。
けれど短い時間をともに過ごしてみれば、狂想の主は少し考えが飛躍しがちなだけで、普段接するガイアの人々と大差なかった。
「狂想の主、何を考えてるの?」
沈黙に耐えきれず、アンナが尋ねた。
「星界の旅人は強いんでしょ。魔獣のことを聞いたのは、戦いたいから?」
「そのとおり!」
劉はたちまち元気を取り戻した。
「昨日、木杖で黒豹を追い払ったとは話したけど、俺はれっきとした魔法使いなんだ」
「覚えたばかりの魔法、見たくないか? 何か動かしたい重い物はない? 俺に任せてくれ!」
アンナは真剣に考え込んだ。
だが、自分の仕事に魔法使いへ頼むほど重い物はない。
「見てみたいけど、魔法使いにお願いするような仕事はないかな……。お父さんなら、今頃畑にいると思う。一緒に行って聞いてみようよ」
劉もちょうど、魔獣について村長から詳しく聞きたかったところだ。
残った朝食を急いで平らげ、簡単に身支度を整えると、アンナとともに家を出た。




