第二十話 地下遺跡
軍師は、すぐに「山中帝国」の名を持ち出さなかった。
それでは軽すぎる。
いかにも本筋の入口めいた言葉ほど、酒場で噂を拾ったプレイヤーのように食いついてはいけない。アンヴィル一族が会談に応じたのは、周と砕岳槌がドワーフの流儀で扉を叩いたからだ。だが扉が開いたからといって、中のものを好きに持ち出していいわけではない。
まず補佐役に木箱を開けさせた。
手土産は高価なものではない。
巨獣の森外縁で得た魔獣素材。第二遠征団がまとめた巡林記録。そして前線から持ち帰った鉱石標本の小袋。アンヴィル一族の評議堂に並べれば、目を引く品とは言い難い。だが、どれも実用的だった。
女性長老が巡林記録を一枚取り上げ、目を通す。
「魔獣が現れた場所まで記してあるのか?」
「はい。倒すだけでは足りません。どこから来るのか、いつ来るのか、なぜ来るのか。それを知る必要があります」
右の長老が眉を上げた。
「星界の旅人で、こういう記録を残す者は少ない」
「残さなかったせいで、痛い目を見ましたから」
軍師の声は平坦だった。
だが、長老たちは意味を理解した。
第二遠征団がサービス開始直後に起こした村の一件は、アンヴィル一族も調べている。ドワーフは失態を覆い隠す者を好まない。だが、失態を隠すことしかできない者はさらに嫌う。損失から学び、過ちを規則へ反映できる者は、胸を叩いて二度と間違えないと叫ぶ者より、少なくとも信用に値した。
中央の長老が石椅子の肘掛けを指で一度叩く。
「それで、今日は何を聞きに来た?」
軍師はそこで初めて顔を上げた。
「山中帝国について」
その名が落ちた瞬間、評議堂の炉火がわずかに沈んだように見えた。
扉際にいるブローンの肩が、目に見えて強張る。視線を床に据え、黒鉄の扉を留める鋲の一つになりたいとでもいうように動かない。砕岳槌さえ珍しく身じろぎせず、茶器を持ったまま縁を指で擦った。
最初に答えたのは中央の長老だった。
「ブローンから昔話を聞いたか?」
「少し。かつて山中にはドワーフの都市が広がり、坑道が山脈を貫き、鉄路は遥か遠くまで続いていた。だが何かが起こって帝国は失われ、鉄山砦だけが山口を守るため残った、と」
「昔話は、語られるほど立派になる。子供は山のように高い城門や、太陽の裏まで延びる鉄路を好む。年寄りも酔えば、つい余計な一言を足すものだ」
女性長老の指で、鉄片がまたゆっくり回り始めた。
彼女は周を見る。
「ブローンはほかに何と言った?」
問われるとは思わず、周は軍師を見た。
だが軍師は代わりに答えない。
周は少し考え、正直に話した。
「話にはいくつも種類があって、どれが本当か分からないと。それと、本当のことを知りたいなら、昔を知っている人に会え、と言っていました」
女性長老が頷く。
「酒の席の話を鵜呑みにはしなかったようだな」
ブローンへの評価でもあり、彼らへの評価でもあった。
中央の長老はしばらく黙り、やがて口を開いた。
「山中帝国という名は、何もかもが作り話というわけではない」
周の胸が小さく跳ねる。
軍師の指は動かなかった。
「遠い昔、鉄山砦は単なる砦ではなかった。門であり、炉であり、山脈北側に延びる多くの坑道が集まる場所だった。祖先は山に道を穿ち、鉄路を敷き、居住区を築いた。工房、倉庫、哨所も残した。その一部は崩れ、一部は水に沈み、一部は魔獣に奪われた。中には、名を口にすることすら憚られる場所もある」
誇張のない話だった。
だからこそ信じられた。
軍師は頷き、しばし考える。
「つまりアンヴィル一族には、その事実を裏づける記録があるのですね」
中央の長老はすぐには答えなかった。
右の長老が短柄の槌を手元へ立て直す。
「先を急ぎすぎだ」
軍師は頭を下げた。
「失礼しました」
中央の長老がゆっくり頷く。
「まあよい」
「鉄山砦から巨獣山脈の間には、所在の判明している古道と遺跡が幾つかある。その一つは、アンヴィルの古記録で『炉背の地下道』と呼ばれている。山腹の下、旧坑層から南へ延び、途切れた鉄路を幾つか迂回した先で、巨獣山脈の外縁近くへ至るという」
記録を取る補佐役の筆が、わずかに止まった。
長老はその動きを見なかったかのように続ける。
「記録によれば、山中帝国が失われたあとも、鋳造器具や古代の技術が山に残された。帝国の深部には、真の鍛造神器が今も眠るという説もある」
砕岳槌の目が輝いた。
「鍛造神器?」
口にしてから、自分が喋ったと気づいた。
長老たちの目が一斉に集まる。
砕岳槌は固まり、苦し紛れに続けた。
「ちょっと聞いただけだ」
周は、まるで挽回になっていないと思った。
ところが右の長老は低く笑った。
「間違った質問ではない。槌を振る者が神器と聞いて顔も上げんほうが不自然だ」
砕岳槌が目に見えて安堵する。
軍師も咎めなかった。その一言で、重くなりすぎた空気が少し緩んだからだ。
女性長老が説明を引き継ぐ。
「神器といっても、古記録にそうあるだけだ。大師が使った槌かもしれん。炉具一式か、特殊なルーンに耐える鉄床かもしれん。あまりに昔のことで、保証はできない」
「それでもアンヴィル一族は、記録に信憑性があると考えている」
「当然だ」
右の長老は、質問の質が気に入らなかったらしい。短柄の槌頭を指で撫でる。
「信憑性もないのなら、この数年、若い者に練習させたルーンはどこから出てきた? まさか俺が夜中に酔って、炉灰の中から掘り出したとでも――」
そこで言葉が止まった。
女性長老が横目を向ける。
中央の長老も、ゆっくり彼へ視線を移した。
評議堂が半呼吸ぶん静まる。
右の長老は、自分が口を滑らせたとようやく気づいたように咳払いした。
周は茶器を手に、石のような顔を保とうと努めた。
砕岳槌は何も分からないまま茶を飲んでいる。
それにしても、ドワーフの淹れる茶もなかなか悪くない。
軍師は追及しなかった。
目を輝かせることさえせず、今の発言に別の意味などなかったように受け止める。
「なるほど。アンヴィル一族は、過去に遺跡のルーン器物へ接触しているのですね」
右の長老が軍師を見る。
「少なくとも出所の明らかな旧物が一族にある。記録は空論ではない、ということです」
『一族が人を送った』という事実を含ませつつ、その場で認めろとは迫らない。ドワーフへ退路を残す言い方だった。
石柱の間で、炉火が静かに燃えている。
中央の長老は長く黙り、ついに言った。
「そこまで聞いたなら、もう回りくどい話はやめよう」
ブローンの髭がかすかに動いた。
「炉背の地下道へ、アンヴィル一族は人を送ったことがある。一度ではない。ルーン器物、古地図、折れた犬釘、それに今では使い方の分からぬ道具を持ち帰った」
右の長老を見る。
彼は鼻を鳴らしたが、否定はしなかった。
周はようやく理解した。
第一の層は、子供や酔漢が語る昔話。
第二の層は、系譜や古地図、存在を確認された遺跡。
そして今、ようやくアンヴィル一族が手にしている事実へ辿り着いた。
彼らは中へ入り、物を持ち帰っている。
「今も入れますか?」と軍師が尋ねた。
女性長老は鉄片を肘掛けへ置く。
「五年前までは入れた」
「そのあとは?」
「地上で大規模なスタンピードが起きた年、地下も荒れた。炉背の地下道の奥に魔獣が現れた。数は多くないが、どこから来たのか分からない。その後、一隊が行方不明になり、別の一隊は傷を負って戻った。それきり、一族は道を封じた」
声は静かだった。
だが周には、その下に押し込められたものが聞こえた。
ドワーフは、危険に遭っただけで退く種族ではない。
祖先の遺跡へ通じ、鍛造神器すら眠るかもしれない道を封じたのだ。中の危険が、単に数匹の魔獣では済まないことは明らかだった。
補佐役は何かに思い当たり、鞄から小さな手帳を取り出した。
何度もめくられ、角は丸まり、細長い紙片が幾枚も挟まれている。素早く中ほどを開き、略記の数行に目を走らせる。頁を指で押さえ、軍師の耳元へ身を寄せて囁いた。
声は小さい。「公開情報」「サーバー」「初期探索」といった、星界の旅人にしか通じない言葉が混じっている。ドワーフには対応する意味のない囁きにすぎない。だが軍師にとっては、スタンピードの大型イベント、遺跡における魔獣の出現地点、第八・第九サーバーで鉄山砦に阻まれた初期探索。それだけあれば、炉背の地下道の重要度をさらに一段引き上げるには十分だった。
聞き終えた軍師の目がわずかに沈む。
判断は固まった。
「炉背の地下道を、我々に探索させてください」
誰も驚かなかった。
「ただし、そこはドワーフの祖先が残した遺跡です。中に何があろうと、名目においても、感情においても、しきたりにおいても、我々のような外来者が無償で持ち出してよいものではない。アンヴィル一族には入口の情報、古記録、危険に関する説明、必要な立会人を出していただく。第二遠征団は探索を組織し、死傷の危険を引き受け、道中の魔獣を排除する。得た品は、事前の取り決めに従って分配します」
右の長老が鼻を鳴らした。
「聞こえはいい。星界の旅人は死んでも戻れるが、背嚢の中身まで勝手に戻ってくるとは限らんぞ」
砕岳槌が口を開きかける。
周が即座に膝をぶつけ、どうにか呑み込ませた。
「ですから探索範囲は、まず一族が認めた経路に限定します。出入りのたびに人数、装備、携行容器を記録する。必要なら一族の同行者も受け入れます。危険区域へ一族の者を入れたくないのであれば、封鎖地点の外で、持ち出した品を検めていただいても構いません」
中央の長老が問う。
「アンヴィル一族に何をもたらせる?」
「第一に、危険の排除です。魔獣のため封鎖した以上、放置して安全になる場所ではない。第二に、情報。星界の旅人は何度でも挑み、独自の方法で経路、魔獣の種類、異常区域を整理できます。第三に、利益。遺跡から持ち出した素材、ルーン、器物は、アンヴィル一族にも十分に分配します」
軍師は一度言葉を切った。
「最後に、関係です」
女性長老が彼を見る。
「第二遠征団は鉄山砦に根を下ろす必要がある。一度だけ訪れ、品を持ち去って終わるつもりはありません。我々にとってアンヴィル一族との協力は、一度の取引ではなく、これから歩く道です」
そして、すでに決まった事実を述べるように、まっすぐ言った。
「我々はやがて、この地でアンヴィル一族と互いに利益をもたらせる勢力へ成長する。その自信があります」
長い沈黙が評議堂へ降りた。
炉火が鉄床の底をゆっくり舐める。
火の粉が弾け、静寂を破ったあと、中央の長老が口を開いた。
「よかろう」
「ただし、条件が一つある。アンヴィル一族に由来する品は、我らが優先して選ぶ」
軍師は即答しなかった。
炉背の地下道に本当に神器があろうと、入れなければ意味はない。それに第二遠征団が鉄山砦に根を下ろすなら、アンヴィル一族と長く歩ける関係が必要だ。
だが『一族に由来する』という言葉は広すぎる。祖先の旧物も、ドワーフが見覚えのある道具も、すべて収められてしまう。
その条件をめぐり、さらに幾度か言葉を交わした。
最終的に合意したのは、アンヴィル一族は持ち出された品のうち、合計五点を無条件で要求できる、というものだった。それ以外については、由来を証明でき、アンヴィル一族との明確な縁が認められる旧物なら、第二遠征団は分配時に優先して考慮する。ただし確約はしない。




