第十八話 高台
巡林拠点は、日に日に窮屈になっていた。
そもそも数十人もの星界の旅人が長く暮らす場所ではない。柵、見張り台、兵舎、倉庫、厩、道具小屋、駐留隊の空地と巡回路。そのすべてが、森のなだらかな狭い斜面に詰め込まれている。
第二遠征団が来た当初は小屋を二列ほど確保できたが、新人が続々と到着し、今や薪小屋の脇まで寝袋が並んでいた。
夜明け、天幕から出た者が、隣に干された革鎧へ頭をぶつける。
「誰だ、俺の入口に鎧を掛けたのは?」
「そこは俺の枕元だ」
「何でお前の枕元が俺の入口なんだ?」
「昨夜、お前が俺の足元まで転がってきたからだ」
拠点中央では、Atlasが鈴音から新人の編成報告を受けていた。
「前線への新規到着は十九人。戦闘志向十二、術者志向四、斥候志向一、生産・採集志向二。終焉の竜槍使いは基礎試験合格。槍術に問題なし。ただし戦闘中の技名詠唱は、味方の判断を妨げるため制限を推奨します」
近くで槍を磨いていた本人が顔を上げる。
「技の名は魂に刻まれし銘なり」
鈴音は頁をめくった。
「追記。意思疎通に難あり」
新人たちが笑い、Atlasも口元を緩める。
「戦えるならいい」
「白桃ソーダは?」晴れ晴れが横から覗く。
「術者予備班。基礎感知が不安定で、再訓練が必要。時間があれば教えて」
井戸端の白桃ソーダは、両手に浮かべては散らす水気と格闘していた。名を聞いて振り向く。
「頑張ります」
隣の男性団員が即座に「頑張れ!」と応じたが、鈴音に見られて黙った。
Atlasは名簿をざっと見る。
「第四班と後方輸送線を作れるな」
「ぎりぎりね。人数が増えれば、食糧、寝床、薬、装備整備も増える。軍師は独立拠点を申請済みだけど、守備隊が認められるのは駐防の必要性と暫定的な保証まで。正式な立地、建設許可、責任範囲は領主側の承認が要るそうよ」
「どれくらいかかる?」
「期限は不明」
つまり、早くも遅くもあり得るということだ。
鉄山砦の事務は、ときに実にドワーフらしい。早いときは釘を槌で打つように、一撃で決まる。遅いときも同じだが、釘の下に十八枚の申請書が敷かれている。
Atlasは驚かなかった。
「手続きは向こうに任せる。こっちは先に準備だ」
午前中から、第二遠征団は班ごとに伐採、道の整理、木材運搬を始めた。
レイモンドは計画を聞いて眉を寄せたが、反対はしなかった。
「印の先へ出るな。見張り台の視界に必要な木を切るな。巡回路に材木を積むな」
「了解」
「それと、新人には斧の使い方から教えろ。前に星界の旅人が木を切って、自分の頭へ倒しかけた」
Atlasは考えた。
「うちの団員か?」
レイモンドは黙って彼を見る。
Atlasも黙った。
理解した。追及しないほうがいい。
伐採は、新人たちに『ガイア・クロニクル』の別種の現実を教えた。
木は一度触れれば倒れるものではなく、斧も耐久値の下に貼られた絵ではない。
成木一本を倒すにも、数人で交代して刃を振るう。食い込むたび手首が痺れ、倒れる方向を読み、周囲を空け、縄を引き、風を見る。運搬はさらに厄介だ。泥、石、傾斜、蔓。そのどれもが簡単な作業を半日の苦労へ変える。
昼には何人もが切株に腰掛け、人生を疑っていた。
「こういうの、生産職の仕事じゃないのか?」
「今から転職すれば?」
「生産職って、こんな本格的なの?」
「だから稼げるんだろ」
晴れ晴れが水袋を抱えて通り、水を配りながら笑う。
「言ったでしょ。このゲームに楽な職業はないの。まだ現実に殴られてないだけ」
今日は明らかに機嫌がよかった。
理由は単純だ。拠点候補として、彼女が勧めた場所を見に行くことになっていた。
西の渓谷沿いを南へ下った先の高台。既存の巡林路から遠すぎず、拠点周辺の過密な林を外れている。第三巡林班に同行した晴れ晴れが高所を回り込んだ際に見つけ、帰るなり珍しく興奮してAtlasへ語った。
水があり、高く、視界がいい。
そして何より、景色が素晴らしい。
Atlasは当初、資源地を優先していた。Bladeには第九サーバーの情報をもとに、鉱脈がありそうな区域を調べさせている。だが最も近い候補でさえ森の奥へ数キロ入らなければならない。現在の戦力と許可範囲で、資源地の近くまで拠点を進出させるのは危険だった。
晴れ晴れの高台は、まず足場を築く場所として現実的に思えた。
午後、Atlasは一隊を率いて出発した。晴れ晴れは斥候より意気込んで先頭を歩く。
「こっちから回るの。前に通った道よ。先に石の斜面があって、雨の日は大変そうだけど普段は平気」
いつも晴れ晴れへ近づく団員が尋ねた。
「団長より陣取りに来た顔してない?」
「見る目があるから」
「そんな自信満々なの、初めて見た」
「人には得意分野が必要なの。治癒術はまだ普通だけど、景色のいい場所探しなら才能があるわ」
Atlasは笑い、口を挟まなかった。
一行は渓谷沿いを南下した。左から絶えず水音が聞こえる。
小川は狭いが澄み、岩の間で細かな白泡を立てる。岸には低木が茂り、葉が陽光に明るく緑を返す。その先の斜面は徐々に高くなるが、拠点周辺ほど木々は密集せず、枝葉の間から十分な空が覗いていた。
石の斜面に入ると、地面は草根に抱かれた薄土と露出した岩へ変わった。渓谷から水気と森の匂いを含む風が吹き上がる。鳥が樹冠から飛び立ち、翼を光らせて上方の影へ消えた。
ついに高台へ出ると、Atlasさえ言葉を失った。
山腹から自然に突き出した平地だった。
北は緩斜面を背負い、縁に立つ大樹の根が岩の割れ目を掴んで、天然の柵を作る。西には林間を縫う小川が見え隠れし、南には鮮緑から深緑、さらに暗い墨色へ変わる森が広がる。その彼方、薄雲に半ば隠された巨獣山脈の峰は、眠る巨大な何かのようだった。
風が抜け、草が波のように伏しては起きる。
鉄山砦の蒸気音も、巡林拠点の雑踏も、柵外から響く魔獣の唸りもない。あるのは水、風、葉擦れ、そして思わず息を潜めるほど開けた眺めだけ。
白桃ソーダが縁に立ち、目を見開いた。
「わあ……」
小さな声が、全員の気持ちを代弁した。
終焉の竜槍使いが槍の石突きを地へ置く。
「この地こそ、遠征の誓約台に相応しい」
今度は誰も笑わなかった。本当にそう見えたからだ。
眼下で渓谷は高台の麓を曲がり、森の奥へ流れていく。桟道と木橋を設ければ、水を得ながら谷口を監視できる。北斜面は訓練場に、東は既存の巡林路へ繋げられる。資源が最も豊かな場所ではないが、堅実で、開けていて、本当の出発点に相応しかった。
Atlasは屈んで土を掴んだ。層は深くないが、下の岩盤は安定している。北斜面の傾斜を確かめ、渓谷を振り返った。
鈴音はすでに記録を始めていた。
「利点。良好な視界、水源に近い、背後が緩斜面、防衛線を築ける、現拠点から適度な距離。欠点。初期輸送路の開削が必要、平地が狭い、南側の継続伐採が必要、雨季の増水リスクあり」
晴れ晴れはAtlasだけを見ている。
「どう?」
Atlasはすぐに答えなかった。
効率だけ見れば、欲張った立地ではない。鉱脈も、高位素材の区域も直接押さえられない。従来のMMOなら、資源と交通と狩場を同時に確保し、他勢力の将来の拡張路まで塞ぐ場所を選んだだろう。
だが『ガイア・クロニクル』では、拠点を置いても倉庫や転移地点は自動で現れない。
木材を本当に運び、基礎を築き、ここで夜を越え、巡回し、食事を作り、鎧を直し、負傷者を治す。第二遠征団が森で陣取り遊びをしているのではなく、外縁の圧力を長く担える前線支点を作るのだと、鉄山砦にも信じさせなければならない。
資源だけではない。人がここで生きられるかが重要だ。
Atlasは手の土を払った。
「悪くない」
晴れ晴れの目が輝く。
「悪くないだけ?」
「かなりいい」
「じゃあ、ここにする?」
「軍師の手続きを待つ」
「手続きは待てばいい。でも候補には今決められるでしょ。団長、本当にここにしましょうよ。山も水もあって、景色もいい。巡林から戻った皆が見上げれば、高台に拠点が見えるの。木の中に押し込まれるより、ずっといいでしょう?」
晴れ晴れは一歩近づき、Atlasの袖をそっと引いた。
強くはない。親密と呼ぶほどの動作でもない。だが普段は穏やかで一線を越えない彼女にしては、明らかにいつもより近かった。
Atlasが袖を見る。
晴れ晴れは気づいたように手を離したが、遠くへは下がらず笑った。
「団長?」
少し離れた場所で、鈴音の筆が止まった。
大盾は本能的に一歩横へずれる。この間合いは危険だ。大盾を貫くA級魔獣より危険かもしれない。
空気を読まない新人たちは、口々に賛成した。
「ここ、いいですよ」
「完成したら絶対きれいだ」
「ギルドの記念撮影はここで」
「資源はあとで広げればいい。まず家が要るよ」
「そうそう、先に旗を立てよう」
Atlasは高台を見渡した。
確かに悪くない。
「よし。候補地はここにする」
一瞬の静寂のあと、歓声が弾けた。
斧を掲げる者、泥で作った徽章を胸に当てる者。倉庫、訓練場、川辺の小さな船着場まで、早くも話し始める者もいる。
終焉の竜槍使いは風の中で槍を横たえ、厳かに宣言した。
「今日、第二遠征団はこの地に誓いを立てる」
同じ班の者はまた始まったと言いかけ、自分も笑っていることに気づいた。
晴れ晴れはAtlasの隣に立ち、風に前髪を揺らしながら高台を眺めていた。その目には、未来の拠点がもう見えているようだった。
鈴音は歓声を上げない。俯いて記録を続けた。ただ、その頁の筆圧はいつもより少し強かった。
皆が境界の測量へ散ると、晴れ晴れはAtlasのそばを離れ、鈴音の隣へ回った。
鈴音は顔を上げない。
「暇なの?」
「暇じゃないわ。記録を見に来たの」
「見せる必要はない」
「じゃあ、あなたを見に来た」
鈴音がようやく目を上げる。
晴れ晴れは身を屈め、声を潜めた。
「さっき、見たでしょう?」
「何を?」
「団長、私の選んだ場所をすごく気に入ったみたい」
鈴音は無表情だった。
「ギルドの仕事よ。個人的な手柄ではないわ」
「うんうん、ギルドの仕事」晴れ晴れは悪戯っぽく笑う。「でも忠告しておくわ。あなたが動かないと、私がさらわなくたって、新人たちにあなたのAtlasを取られるわよ」
鈴音の筆先が、紙に黒い点を穿った。
通りかかった大盾はその音を聞くなり進路を変え、心の中で自分を称えた。
――さすが俺。これぞ一流タンクの危険察知だ。
だが白桃ソーダは横から顔を出していた。
「誰のAtlasですか?」
空気が止まる。
鈴音がゆっくり顔を上げた。
白桃ソーダは瞬く。
「聞いちゃいけないことでした?」
晴れ晴れは肩を震わせて笑った。
遠くではAtlasが団員と防衛線を相談し、高台の反対側で何が起きているかまるで気づいていない。
渓谷から吹く風が、選定記録の端を巻き上げた。
まだ乾かない文字が並んでいる。
『第二遠征団独立拠点――候補地:西渓谷南側高台』
『備考:建設許可を早急に確認すること』
鈴音はしばらくその行を見つめ、下へもう一つ書き足した。
『備考二:新人団員の規律を重点的に改善すること』




