第十二話 ブローン家
翌朝、鉄山砦へ戻る一行が巡林拠点を発った。
軍師は二人の補佐役を連れていた。
一人は帳簿と物資を、もう一人は各種手続きと連絡を担当している。二人とも現実ではAtlasの会社に勤める社員だった。正確に言えば、冒険への情熱に駆られて参加したのではない。Atlasが提示した「ゲーム内業務手当」と「プロジェクト報奨金」に雇われ、『ガイア・クロニクル』の中まで出勤してきたのだ。
その態度は至って現実的で、荷造りは並のプレイヤーより手際がいい。その一方、顔には社畜特有の淡い諦観が染みついていた。
周と砕岳槌も同行する。
ほかにはブローンと、交代のため帰城する守備兵が数名。
Atlasは引き続き、巡林拠点に残った。
ここ数日の活動で、周辺の調査可能な経路はほぼ洗い出している。古い狩猟道、倒木坂、西の渓谷。崩れやすい泥溝まで地図に書き込まれていた。いつまでも同じ場所を巡回していては、得られるものが減る一方だ。
第二遠征団には、正式なギルド登録と規模の拡大が必要だった。同時に、さらに森の奥へ踏み込まなければならない。
そこで部隊は、自然と二つに分かれることになった。
軍師は鉄山砦へ戻り、登録、人脈、物資、今後の駐屯地に関する手続きを進める。
Atlasは主力を率いて前線に残り、巡林範囲を広げていく。
誰にとっても意外ではない役割分担だった。
ただ、出発前の軍師は、Atlasをもう一度振り返った。
「張り切りすぎて全員を森の奥で死なせるなよ。順調に進んだら、まだ人手が要る」
Atlasは笑った。
「分かってる」
軍師の顔には、信じていないとありありと出ていた。
巡林拠点から鉄山砦までの道を、周はすでに一度歩いている。
だが、前回とは気分がまるで違った。
あのときの彼らは、護送される罪人だった。罰金と借金を背負い、周囲から刺すような視線を浴びていた。今は交代の兵士たちと肩を並べ、荷車には持ち帰る素材と書類が積まれている。道中、ブローンは鉄山砦で最も水増しのひどい黒麦酒はどの店かを巡って、仲間と延々と言い争っていた。
鉄山砦は、相変わらず混み合っていた。
昇降台が岩壁を上下し、軌道車が轟音を立てて線路を走る。鍛冶区の熱気は、通りを半分隔てても顔を炙った。
砦へ入るなり、軍師は二人の補佐役を連れて別れ、星界会館と守備隊本部へ直行した。去り際、周に一言だけ残す。
「砕岳槌がドワーフの家で問題を起こさないようにしろ」
周は隣を見た。
砕岳槌は、通り沿いの鍛冶屋に掲げられた巨大な槌の看板を仰いでいる。
「……努力はする」
ブローンの家は、鉄山砦の中層と下層の境にあった。
鍛冶区にほど近い、古びた石造りの家々が並ぶ一角だ。狭い街路の石床は、車輪と鉄靴に磨かれて鈍く光っている。軒下には使い古された道具と乾燥させた薬草が、いくつも吊るされていた。石炭の煙、熱した鉄、油、麦酒の匂いが混ざり合っている。
ブローンは低い路地へ二人を導き、分厚い木の扉を押し開けた。
扉の先にあったのは居間ではなく、広い中庭だった。
片側には屋根付きの作業場があり、炉が赤々と燃えている。
金床の前には、ブローンよりさらに長い髭を蓄えた老ドワーフが立っていた。太い腕をむき出しにして、真っ赤に焼けた鉄材へ槌を振り下ろしている。長い髭は三つの鉄輪で束ねられ、眉は灰黒色の刷毛を貼りつけたように太い。
槌が落ちるたび、鉄材の縁から火花が跳ね、石床の上で瞬く間に消えていった。
ブローンが声をかける。
「親父――」
老ドワーフが顔を上げた。
息子を見て、その後ろにいる周と砕岳槌を見る。
たちまち顔が険しくなった。
「人間を二人も連れてきて、何のつもりだ」
ブローンがため息をつく。
「やっぱりな」
老ドワーフは赤熱した鉄材を炉の脇へ戻すと、槌を手にしたまま歩み寄った。
「ここはブローン家の裏庭だ。星界の旅人の酒場じゃない。出ていけ、出ていけ」
周はすぐさま半歩進み出て、できる限り穏やかな笑顔を作った。
「ご老人、無礼を働くつもりはありません。私たちは第二遠征団の者です。山中帝国について、少しお話を――」
「断る。さっさと出ていけ」
取りつく島もなかった。
周は人との折衝を得意としている。少なくとも砕岳槌よりは、遥かに得意だ。だが、老ドワーフの拒絶は、内側から焼きつけられた鉄扉のように揺るがない。
ブローンが眉間を揉んだ。
「親父、こいつらは騒ぎを起こしに来たんじゃない」
「槌を背負った人間が裏庭に立っているのに、騒ぎを起こす気はないだと?」
それまで黙っていた砕岳槌が、自分の背負った大槌を見た。それから、老ドワーフの手にある鉄槌を見る。
「あんたも槌を持ってるだろ」
周の胸に、嫌な予感が走った。
ブローンは目を閉じた。
老ドワーフの眉が跳ね上がる。
「何だと?」
砕岳槌としては、軽く言い返しただけだったのだろう。だが、そう聞き返された途端、持ち前の短気に火がついた。
「あんたが槌を持てば鍛冶で、俺が背負えば喧嘩か? ドワーフの道理ってのは、背丈で変わるらしいな」
中庭から音が消えた。
周は素早く手を伸ばす。
「いや、こいつもそういう意味で言ったわけでは――」
老ドワーフが笑った。
低い笑い声は、炉の奥で雷が鳴ったようだった。
「背丈で変わる、か」
鉄槌を肩に担ぐ。
「小僧。背中の槌を下ろせ」
砕岳槌も笑った。
「いいぜ」
周はブローンを振り返った。
ブローンは、すべてを諦めた顔をしている。
「口が悪いとは言ったぞ」
「殴り合いになるとは聞いてない!」
「まだ殴り合っちゃいない」
言い終わるより先に、砕岳槌が背中の大槌を抜いた。
老ドワーフは、構えるのを待たなかった。
炉端の熱風を巻き込み、鉄槌を横薙ぎに振るう。
砕岳槌は両手で柄を握り、大槌を傾けて受け止めた。
があん、と金属音が中庭を揺るがした。
作業場の屋根に吊られた古い鉄片が、がちゃがちゃと騒ぐ。
砕岳槌の両腕が沈み、踵が石床をわずかに滑った。
老ドワーフは小柄だが、その一撃は凄まじく重い。間髪を入れずに振り下ろされた二撃目は、鋭い角度で砕岳槌の手首を狙った。
砕岳槌は悪態を吐きながら半歩退き、柄を返して下から弾く。
炉のそばで火の粉が舞った。
「炉を壊すなよ!」ブローンが怒鳴る。
老ドワーフは聞いていない。
砕岳槌も聞いていなかった。
二本の槌が何度もぶつかり、衝撃音が石壁を叩く。老ドワーフは歩幅が狭く、重心も低い。一撃ごとに大地から生えてきたかのような安定感があった。
一方の砕岳槌は、腕力と体重にものを言わせて押し返す。大槌が風を巻き起こし、木棚に置かれていた鉄釘がばらばらと床へ転がった。
周は隙を見て止めようとする。
「二人とも、話し合えば――」
があん!
「ここは狭いんだから――」
どん!
「せめて、こっちへ振るな!」
砕岳槌は水槽のそばまで追い込まれた。反撃の大槌を石床へ叩きつける。
地面が揺れた。老ドワーフはその反動を利用して跳び退き、着地とともに髭を揺らす。その目は、いつしか楽しげに輝いていた。
「少しは力があるようだな」
脇腹の古傷を引きつらせながら、砕岳槌も口角を上げる。
「あんたもな」
ブローンは二人を眺めていた。その顔は頭痛をこらえる表情から、さらに深刻な諦めへと変わっていく。
「終わったな」
周が聞く。
「何が?」
ブローンは父親を指さした。
「親父が楽しくなってきやがった」
老ドワーフが三度目の突進に出る。
今度は大槌の頭を正面から受けず、その内側へ沿うように半歩踏み込んだ。鉄槌を短く跳ね上げ、砕岳槌の手首を弾く。
砕岳槌の反応も速い。左肩を突き出し、老ドワーフの肩へ強引にぶつけた。
二人が同時に後退する。
水槽の水面に、幾重もの波紋が広がった。
いつの間にか、中庭の入口から近所の住民たちが顔を覗かせている。
ドワーフの子供が、興奮して叫んだ。
「ブローン爺ちゃんが、また誰かと喧嘩してる!」
周はようやく悟った。
今日は仲裁役として役に立てそうもない。




