第十一話 山中帝国
ドワーフ兵は声のしたほうを振り向き、相手が軍師だと分かると、きょとんとした。
目を細め、頭上に浮かぶ名を読み取ろうとする。
【社畜の顧】
その名をしばらく睨んだ末、ドワーフ兵は腹を抱えて笑いだした。
「星界の旅人の名前ってのは、どんどん訳が分からなくなるな。二つ名みたいなのもあれば、呪文みたいなのもある。酔っぱらいが酒樽に彫った寝言みたいなのまであるときた。シャチク……ノコ? お前さんの故郷の家名か?」
周囲からも笑いが起きた。
軍師は無表情のまま答える。
「違う」
「なら、どういう意味だ?」
「職業上の状態だ」
ドワーフ兵には理解できなかったが、あまりに真顔で答えるものだから、なおさら可笑しくなったらしい。
「まあいい、社畜の顧さんよ。何が聞きたい?」
「さっきの山中帝国だ。数百年前、ドワーフの坑道が周辺の山々を覆い、麓にも山中にも都市があった。鉄路は巨獣山脈の奥深くまで延びていた。――その後、何があった?」
兵士の笑みがわずかに薄れた。
「酔った勢いで口が滑っただけだ」
「聞こえた」
「聞こえたところで、酔っぱらいの大言壮語なんざ真に受けるもんじゃない」
「大言壮語には聞こえなかった。坑道、鉄路、炉、山中の都市――その場ででっち上げたにしては、妙に具体的だ」
ドワーフ兵の目に警戒が浮かぶ。その奥には、図星を突かれた気まずさもあった。
「星界の旅人ってのは、みんなこうも鬱陶しいのか?」
「いや」周が横から口を挟み、軍師を指さした。「こいつが特別しつこいだけだ」
軍師はそちらを見ようともしなかった。
「名前は?」
「あ?」
「君の名前だ。いつまでも『酔って肝心なところで話を切ったドワーフ兵』と呼ぶわけにもいかない」
レイモンドまで吹き出した。
兵士は髭を撫でる。
「ブローンだ。ブローン・アンヴィル」
「分かった。ブローン、続きを」
あまりに真剣な態度に、ブローンも毒気を抜かれたようだった。
「俺だって詳しくは知らん。家の年寄りから聞いた話だ。大昔、鉄山砦はただの辺境の砦じゃなかった。この辺りの山にはドワーフの鉱都がいくつもあって、麓で暮らし、山の中で鉄を打った。坑道は坑道につながり、軌道車に乗れば、山を出ずに別の都市まで行けたらしい。最深部には巨大な都があって、炉の火は一年中消えなかった。まるで山の心臓に太陽が埋まっているようだった、とさ」
そこまで話してから、気恥ずかしそうに頭を掻く。
「子供のころは、そりゃ胸が躍ったもんだ。山中帝国だの、百炉の玉座だの、鉄路の果ての黄金門だの。何度も聞かされりゃ、英雄物語と変わらん。大人はそれで子供を寝かしつけ、子供は翌朝、木の棒で石をぶん殴りに行く」
「その後は?」
ブローンの笑みが、今度こそ消えた。
「滅びた。それだけだ」
「なぜ?」
「誰が知るか。話ならいくらでもあるぞ。坑道を深く掘りすぎて、掘り当てちゃならんものを目覚めさせた。巨獣の森が山中まで広がり、魔獣が地下から湧き出した。ドワーフ同士で争い、鉱都を一つずつ封鎖した――とかな。俺の家に伝わるころには、もう昔話でしかなかった」
軍師は答えず、傍らの木炭を手に取った。帳面の白紙に、いくつかの言葉を書き留める。
山中帝国。
百炉の玉座。
鉄路の果ての黄金門。
巨獣山脈。
それを見たブローンの顔が引きつった。
「おい。昔話だと言っただろう。家に伝わる御伽噺だ。俺だってガキのころは、ただの英雄譚だと思って聞いていたんだぞ」
「手がかりというものは、大抵最初は物語の顔をしている」
「本気で調べるつもりか?」
「今のところは」
ブローンは救いを求めるようにレイモンドを見た。隊長は木椀を抱えたまま、俺に聞くな、星界の旅人のことなど知らん、という顔をしている。
軍師は木炭を置いた。
「ブローン、頼みがある」
「先に言っておくが、俺は分家の下っ端だぞ。巡林拠点の一兵卒であって、一族の長老でも、鉄山砦の名匠の直弟子でもない。どの坑道がどこへ通じているかなんて聞かれても、実家の近所の古い路地すら全部は分からんからな」
「君の家族と話がしたい」
ブローンが眉を寄せる。
焚き火を囲む笑い声も、少しだけ静まった。
彼はすぐには断らず、周囲を見回した。第二遠征団と守備隊の兵士が入り交じっている。人間も、ドワーフも、星界の旅人もいた。つい先ほどまで焼きパンと麦酒を奪い合い、弓兵は若い槍兵に弩の弦の張り方を見せている。少し離れたところでは、脇腹に包帯を巻いた砕岳槌が、別のドワーフ兵と口喧嘩をしていた。
やがてブローンは口を開いた。
「親父に会わせるくらいなら、できなくもない。俺より話を知っているし、俺より口も悪い。罵倒に耐えられるなら、試してみろ」
「一族の長老には?」
ブローンは即座に首を振った。
「話が別だ。俺はもちろん、親父が頼んだって会えるとは限らん。まして、お前たちは人間だ」軍師を見て、それから周と砕岳槌に視線を移す。「一族の長老に話を聞いてもらいたければ、試練を越えなきゃならん」
「どんな試練だ?」
「人を見るんだ。腕前も、胆力も、ドワーフから古い話だけ聞き出して消えるつもりではないかもな。一族ごとに違うから、俺にも何をさせられるかは分からん」
軍師が立ち上がった。
その動きがあまりに改まっていたため、食事中の団員まで顔を上げる。
「ブローン・アンヴィル。第二遠征団を代表し、正式にアンヴィル一族との面会を申し入れる。我々はこれを酒席の戯言として扱わない。君の立場を越える要求もしない。まずは父上に会い、その先に試練が必要なら、そちらの作法に従おう」
大仰な申し出に居心地が悪くなったのか、ブローンの髭がもぞりと揺れた。
「お前たち星界の旅人は、酒場のごろつきみたいに喋ったかと思えば、急に役所の書記みたいになるな」
「場合による」
軍師は周と砕岳槌を振り返った。
「明日は二人も来い」
「俺も?」
「まだ傷が治りきってねえぞ」砕岳槌も顔を上げる。
「歩けるなら十分だ。ブローン、この二人なら信用できるだろう」
ブローンはまず周を見た。
周は普段から、特別目立つ男ではない。使い走りをし、巡回に出て、伝言を運び、揉め事を丸く収める。どこへ行っても誰とでも二言三言を交わせた。拠点の人間兵にもドワーフ兵にも顔が利く。最強でも、切れ者でもないが、彼を嫌う者はほとんどいない。
次に砕岳槌を見る。
腕を組んだ本人の顔には、見るな、と書いてあった。気は荒い。口も悪い。それでも、ともに森を巡り、柵を直し、魔獣と戦ってきた姿を、ドワーフ兵たちはきちんと見ている。何より彼の槌は、まっすぐで、重く、容赦がない。小細工のない戦い方は、ドワーフの気質によく合った。
最後にブローンは鼻を鳴らした。
「まあ、この二人なら悪くない」
「悪くないって何だよ」砕岳槌が眉を吊り上げる。
「口を開いたときの印象よりは、少しマシだって意味だ」
周は俯いて笑いをこらえた。
砕岳槌が睨みつける。
軍師は紙を折り、帳面に挟んだ。
「では、明朝出発する」
「待て」ブローンが止めた。「親父は本当に口が悪いぞ」
「問題ない。こちらにも、人を怒らせるのが得意な者がいる」
全員の視線が、申し合わせたように砕岳槌へ集まった。
「何で俺を見る?」




