第七話 最初の一週間
初日の狩りは、誰もが予想していた以上に順調だった。
第二遠征団はAtlasの指示どおり、拠点の外縁から区画ごとに掃討を始めた。
周の第一班は旧狩猟道を東へ進み、砕岳槌のいる第二班は別の班長と西の渓谷へ向かう。弓兵は近接役から離れず、分岐へ着くたび目印を残した。
鈴音は拠点に残り、各班の出発時刻、経路、遭遇した魔獣、負傷者、持ち帰った素材を紙へ記録していく。
夕方までに、二班は合計五体のD級魔獣を持ち帰った。
ボーンバック・ハウンドが二体。ブリッスル・バジャーが一体。グレイクロー・リザードが二体。
任務規定に従って素材を数え、レイモンドへ引き渡す。駐留兵も死骸の運搬を手伝い、ボーンバック・ハウンドの口元にある腐食液へ触れるな、ブリッスル・バジャーの硬い針を素手で折るなと教えてくれた。
鈴音は魔獣図鑑をめくって一つずつ照合する。顔にはまだ緊張が残っていたが、朝よりペンの動きは軽かった。
「五体か」
周は井戸脇へ座り、籠手を外して風を通した。
「この調子なら、D級は六日で終わるな」
「C級だって大したことないだろ。見つけたら俺が行く」
砕岳槌が即座に口を挟む。
晴れ晴れは、茨で手の甲を切った弓兵を治療していた。顔を上げ、男を見る。
「“俺が行く”より前にある三つくらいの話を、まず聞けるようにならない?」
拠点で笑いが起きた。
砕岳槌は顔をしかめたが、珍しく言い返さなかった。昼間、Atlasに二度も戦闘を振り返らされ、「勇敢な突撃」と「愚かな突撃」の違いを徹底的に説明されたばかりだった。
だが本当の問題は、夜にやってきた。
周の班は、最後の経路確認だけを行うはずだった。
日没前、旧狩猟道の北で押し潰された茂みを見つけ、その先にD級魔獣らしき足跡を発見した。夜に深入りすべきではない。周も戦果を欲張るつもりはなく、班を連れて拠点へ引き返した。
木壁の火が見え始めた頃、森の中から低い水音が響いた。
沢の音ではない。
泥の中で、何かが寝返りを打ったような音だった。
斜面の下から這い上がってきた魔獣を、周は最初、はっきり捉えられなかった。
全身を湿った泥に覆われ、背には石板のような硬殻が並ぶ。四肢は短く太いが、頭だけが異様に大きかった。
口を開くと、喉の奥から灰緑色の霧が溢れた。霧に撫でられた草葉が、たちまち縮れて黒くなる。
「C級だ」
同行していた前衛が囁いた。
「マッドシェル・トード」
周の脳裏に、図鑑の記述が一瞬浮かぶ。
毒霧、硬殻――あとは何だったか。
とにかく、正面へ張りついてはいけない。
次の瞬間、マッドシェル・トードが跳んだ。
ボーンバック・ハウンドのように、一度の正面衝突で片づく相手ではなかった。
周の剣は硬殻へ浅い白傷を残しただけ。矢は湿った泥へ食い込み、勢いを半分以上殺される。前衛は盾で一度目の突進を受けたが、三歩も押し戻され、その場で前腕を痛めた。
灰緑色の毒霧が何度も吐き出され、班は後退を繰り返す。近づいて止めを刺すことさえ難しい。
周の脛にも、毒霧がわずかに触れた。
最初は痺れだけだった。数呼吸後には、皮膚の下から細い針を何本も刺されるような痛みに変わる。
歯を食いしばり、横へ転がる。盾が泥へ突き刺さり、マッドシェル・トードの二度目の突進がすぐ脇を抜けた。
最後に頼れたのは、拠点の見張り台に灯る火だった。
戦いながら退き、木壁の外にある開けた場所まで魔獣を誘い出す。
物音を聞いたレイモンドが、二人の兵士と門へ駆けつけた。しかし直接手を出さず、ただ一声叫んだ。
「腹だ! 跳び越した瞬間を狙え!」
周は、その一度を掴んだ。
マッドシェル・トードが勢い余って前へ落ちた瞬間、もう一人の前衛が盾で横腹を押さえる。
周は斜め後ろから駆け込み、泥すれすれに剣を走らせ、そのまま上へ斬り上げた。
硬殻のない腹側。色の薄い柔らかな肉が、深く裂ける。
魔獣は転がりながら地面へ落ち、最後の毒霧を吐いた。
灰緑の靄は、夜風に散っていった。
戦闘が終わると、周は地面へ座り込んだ。片脚の半分が痺れている。
前衛も腕を押さえ、痛みに顔を歪めていた。
砕岳槌が門から駆けてくる。
C級魔獣と周を見比べ、しばらく考えた末に言った。
「運がよかったな」
周は顔を上げた。
「これを運がいいと言うのか?」
「C級が自分から来たんだぞ。いいに決まってる」
あまりに堂々と言うので、周は怒るより先に笑いそうになった。
レイモンドはマッドシェル・トードの傷を確かめ、次に周の脛を見る。
「これなら大丈夫だ。毒は深くない。今夜はもう出歩くな。処置をすれば、明日には歩ける」
晴れ晴れもすぐに駆けつけた。
開いたばかりの魔法書を握り締め、額には汗が浮いている。瞑想中に呼び出されたらしい。
周の脇へしゃがみ込むと、先に断った。
「言っておくけど、治癒術はまだ安定してない。変な治り方をしても、私を責めないでね」
周は痺れた脚を見て、少し黙った。
「今から断るのは?」
「無理」
その夜、第二遠征団の戦果はD級五体、C級一体となった。
数字を見た拠点の空気は、一時的に沸き立った。
鈴音が記録を書き換えている木机へ、一人が身を乗り出して言った。
「この調子なら、軍師の補給が届く前に鉄山砦へ帰れるんじゃないか?」
「それもいいな。無駄足にしてやれば、毎日俺たちへ文句を言うのも少しは収まる」
周は脚へ布を巻かれ、壁にもたれたまま笑った。
Atlasだけは記録紙を見つめ、冗談に加わらなかった。
二日目は、D級四体。
三日目は、二体。
四日目は、一体。
五日目には、二班が外縁林をほぼ一周しても、見つかったのは古い足跡と、冷え切った糞だけだった。
砕岳槌は茂みの前へしゃがみ、痕跡を長々と見つめた末、結論を出した。
「俺たちが任務を進めてると知って、隠れたんじゃないか?」
「そう考えておこう」
周が答える。
「“俺たちは魔獣を探すのが下手だ”よりは、聞こえがいい」
砕岳槌は睨んだ。
数日の掃討が効き、周囲の魔獣が減ったのかもしれない。人の活動が増えたことで、本能的に拠点を避け始めたのかもしれない。
おそらく、その両方だった。
ともかく、少し歩けば魔獣に出会えた最初の二日間は戻ってこなかった。
鈴音の記録に増える数字も、どんどん遅くなった。
D級、十二体。
C級、一体。
そこで止まる。
六日目の夕方。
草葉と泥にまみれて戻った周は、Atlasの手の甲へ魔法伝書鳩が降りるところを見た。
Atlasは手紙を読み、表情をほとんど変えずに折り畳んだ。
ほぼ同時に、第二遠征団の全員へ任務表示が現れる。
【賦役:魔獣狩り】
【任務状態:終了】
【現在の討伐数:D級魔獣十二体、C級魔獣一体】
【以後の処理については、星界会館で確認してください。】
拠点の空き地が静まり返った。
「終了? D級はあと十八体、C級は四体残ってるぞ」
「システムの故障か?」
「口は悪いけど、間違ったところは見たことないぞ」
砕岳槌がすぐAtlasを見る。
「団長、何が起きたか知ってるのか?」
Atlasは手紙を懐へしまった。
「だいたいはな」
「なら言えよ」
Atlasは笑った。
「もう少し待て」
「何を?」
「来るべき奴を」
答えを知っていながら、わざと明かさず楽しんでいるような顔だった。
鈴音の眼差しは、たちまち柔らかくなる。
周は木杭へもたれ、目を回した。
「団長。今の顔、すごく殴りたくなるって知ってるか?」
「知ってる」
「なら、何で笑うんだ」
「こういう機会は珍しいからな」
周は返す言葉を失った。
さらに一日が過ぎても、討伐数はD級十二体、C級一体のままだった。
七日目の午前。
巡林拠点の外にある山道から、車輪の音が聞こえてきた。
まず林から戻った斥候二人が、輸送隊がこちらへ向かっていると報告する。続いて見張り台からも声が上がった。
第二遠征団は木壁へ集まり、遠くを見た。
荷獣と荷車の列が、山道をゆっくり近づいてくる。
先頭では、中年の男が荷獣へ跨っていた。身体に合わない旅装の外套を羽織り、顔には「なぜゲームの中でまで、こんな苦労をしているのか」とありありと書いてある。
その後ろには古参団員と見知らぬ顔が数人、護衛の兵士、それに文書箱を背負った書記官が続いていた。
長槍を担ぐ者、弩を背負う者、箱を積んだ荷車を押す者。
兵士たちは隊列に混ざって雑談することもなく、鉄山砦領の山をかたどった紋章を胸につけ、書記官を守るように荷車の脇を歩いている。
隊列の中ほどには、痩せた若いプレイヤーもいた。
静かに歩き、腰へ短剣を吊るしている。歩調に合わせ、外套の裾がかすかに揺れた。
周は目を細めた。
「Bladeまで来たのか?」
Atlasは近づく隊列へ向かい、歓迎するように笑った。
「軍師が到着したぞ」




