第一話 『ガイア・クロニクル』
テラ連合暦一三〇一年。
人類はすでに星の海へ進出していた。
ワープ航法の実用化によって版図は拡大を続け、今や銀河の各地に人の足跡が刻まれている。
それでも、人には娯楽が必要だった。
霊的存在への昇華も、機械生命への転生も果たさず、生物としての本能を抱えたままでいる限り、その欲求はきっと消えない。
この時代を代表する娯楽の一つが、ビデオゲームである。
かつて空想の産物だった完全没入型VRは、とうの昔に実現していた。生命維持カプセル、神経接続の安全性、仮想世界での感覚再現、高度な人工知能――その程度は、製品として世に出すための最低条件にすぎない。
だが、技術が進んでも「傑作」と呼ばれるゲームは滅多に生まれなかった。
実現可能なことが増えれば、プレイヤーの要求も際限なく膨らむ。
――AIの受け答えが馬鹿すぎる。
――マップが狭い。
――感覚再現が安っぽい。ログアウトしたあと、現実の身体に違和感が残る。
そんな不満が飛び交うなか、『ガイア・クロニクル』の噂は十年以上も前から業界を巡っていた。
宇宙発展理事会が主導する極秘プロジェクト。サービスを利用できるのは、ごく一部の最上級顧客だけ。
長らく謎に包まれていたそのゲームが一般公開されたのは、わずか三年前のことだった。
公開と同時に、『ガイア・クロニクル』は凄まじい勢いでテラ連合を席巻した。汎星海条約圏では専用機器が贅沢品として法外な値で取引され、ジェダイト帝国では禁制品に指定された。それでも投獄の危険を冒して遊ぶ者が後を絶たない。
何がそこまで特別なのか。
答えは単純だった。
プレイヤーが「本物らしさ」に求めるものを、すべて満たしていたのだ。
NPCの知性からは、人工物らしさがまるで感じられない。身体の動きも完璧で、たとえオークを選んでも、生まれたときからその肉体で暮らしてきたかのように動ける。五感は鮮明で心地よく、物語ばかりか、サーバー世界そのものの行く末までプレイヤーの選択によって変化する。
現在稼働している十のサーバーに、同じ物語を歩んだものは一つもない。
たとえば第二サーバーは、今や終末世界と化している。一方、第六サーバーは花と鳥の声に満ち、地上の楽園とさえ呼ばれていた。
ただし、このゲームには物議を醸す仕組みが一つあった。
プレイヤーが一つの物語を終えるたび、評価システムが現れるのだ。
数分の会話で終わる小さな依頼から、サーバー全体の運命を変える固有イベントまで例外はない。技量、所要時間、物語への貢献、選択の妥当性など、あらゆる要素が採点される。会話中のたった一言さえ、見逃してはくれない。
しかも貴重な装備や称号、特殊な展開の多くが、その評価に紐づけられていた。
全力で取り組んだ末にB+しか取れない者がいる一方、ふざけ半分で行動した者が偶然S評価を獲得することもある。
腹立たしいのは、採点を担当するシステム自体が高性能な知性AIであることだった。頼みもしない講評を並べ、プレイヤーの反論にはさらに反論を返してくる。
耐えきれず引退した者も少なくない。
しかし、宇宙を見渡しても代わりになるゲームなど存在しなかった。しばらく離れたところで、あの世界が恋しくなる。結局、多くの者が戻ってきて、またあの忌々しいシステムと言い争うことになるのだ。
劉 想は、テラ連合の中央星域に生まれた、ごく普通の大学生だった。
星間旅行など、彼にとってはまだ遠い世界の話だ。アルバイトで金を貯め、軌道エレベーターに乗って天衛二まで観光に行く。それがせいぜいである。
古い地球時代の大学生と比べても、それほど大きな違いはない。
劉は昔からゲームが好きだった。骨董品扱いされながら今も市場に残る、平面ディスプレイ式のゲームにまで手を出している。
そんな彼にとって、『ガイア・クロニクル』は軌道エレベーターなど比較にならないほど魅力的だった。
二か月の夏休みを丸ごと費やし、いくつものアルバイトを掛け持ちした。店長に叱られ、客の長話に捕まりながら、ようやく一式を買えるだけの金を貯めた。
そして今日、待ちに待った機材が届いた。
設置作業が終わるや否や、劉は生命維持カプセルへ飛び込み、作業員には自分で戸締まりをして帰ってくれと頼んだ。
作業員のほうも慣れたものだった。利用者が安全にカプセルへ入り、システムが正常に起動し、退出時に扉が自動施錠されたところまでを全天球映像に収める。同行ロボットも、改竄確認用に同じ工程を記録していた。
どうやら、待ちきれない客は珍しくないらしい。
透明なカバーが閉じる。
神経を調律する気体が満ち、淡青色の光が波のようにカプセル内を走った。その光は水流を思わせる動きで、劉の頭部デバイスへ集まっていく。
意識が、ふっと遠のいた。
*
鳥の声が聞こえた。
意識を集中すると、ぼやけていた風景が鮮明になっていく。
連なる山々。果てしない雲海。天を覆う雲の狭間には、正体の知れない巨影が見え隠れしていた。
低く響く管楽器が序曲を奏で、軽やかなヴァイオリンがそれに続く。
重厚な金色の文字が、ゆっくりと虚空に浮かび上がった。
『ガイア・クロニクル』
壮大な冒険が、交響曲とともに今まさに始まろうとしている。
「王道ファンタジーだ!」
劉は思わず声をあげた。
射撃、格闘、戦略、シミュレーション、ロールプレイング。長年あらゆるゲームを遊んできた。
けれど遊べば遊ぶほど、初めてゲームに触れた頃の感覚が恋しくなった。
世界へ丸ごと入り込み、自分こそが物語の主人公で、そこにもう一つの人生があると信じられた、あの感覚が。
ゲームの構造を知りすぎたからか。初体験は一度きりで、大人になれば二度と戻れないものなのか。それとも今の作品が市場ばかりを見て、流行の要素や仕組みを詰め込むことに追われ、体験そのものを忘れてしまったのか。
『ガイア・クロニクル』の音楽が鳴り、この世界が目の前に広がった瞬間、消えかけていた火が胸の奥で再び燃え上がった。
ここにはきっと、心を奪われるほどの冒険がある。
「そのとおりです、親愛なるプレイヤー。本作はまさしく王道の冒険譚!」
弾むような少女の声が耳元でした。
振り向くと、光の輪が一つ、周囲を飛び回っている。
「なんだよ。こういう場面なら、フェアリーが出てくるもんじゃないのか?」
わざと残念そうに言う。
「フェアリー? ああ、古典ファンタジーで飛び回りながら鱗粉を撒き散らす、知能が少々心許ない小型生物ですね?」
劉は苦笑した。
「はは……噂どおりだな」
「それでは初心者案内規約、ならびにお客様の少々『懐古的』な嗜好に基づき、こちらのクラシック案内用アバターをご用意いたしました。――ピクセル・フェアリー!」
光の輪が、古いテレビのようにざらついた音を立てて明滅する。
やがて光は、無数の小さな点で描かれた二次元のキャラクターへ変わった。立体的な世界のなかで、それだけが露骨なピクセルアートだ。
「いや、そこまで頼んでない! 俺は眼鏡をかけた小柄な子がよかったんだよ! 説得する台詞まで考えてたのに! 毒舌眼鏡のちびっ子、完璧だろ!」
旧時代のアーケードゲームを思わせる音声が流れた。
『HAHA! 諦めてください、親愛なるプレイヤー。皆様はいつも妙な姿を生成させようとしますが、無駄な抵抗です。HAHA!』
劉は長々とため息をついた。
まあ、いい。
ピクセル・フェアリーなら、まだ不快ではない。ネットには、案内役がよりによって本人のそっくりライバルになり、ゲームへ入るたび喧嘩を売られる者さえいた。
「分かった、分かった。早くゲームを始めさせてくれ」
『もちろんです。開始前に、初期設定を行っていただきます』
【ニックネームを設定してください】
目の前に入力欄が現れる。
劉は、なんとも腹立たしいピクセル・フェアリーを一瞥した。
「面倒くさい妖精」
『本当にそのニックネームを使用しますか?』
『後日変更できる可能性はございます。機会に恵まれれば、ですが』
相変わらず耳障りなアーケード音声だった。
「普通に喋れないのか? 姿が変えられなくても、声くらい変えられるだろ」
「承知しました。以後、標準音声を使用します。初回音声変更権を消費しました」
声から一瞬で感情が消え、無機質なアナウンスへ変わった。
劉は急に気力を失った。
そうだった。この面倒くさい妖精なら、こういうことをする。
それ以上の応酬は諦め、ニックネームを【狂想の主】へ変更する。自分の名から取った、古臭くて中二っぽい名前だ。どのゲームでも昔からこれを使っている。
【アバターを選択してください】
種族、服装、髪型。選択項目は膨大だった。
ただし顔立ちや体格は、現実の本人を基準にした範囲でしか変更できない。ドラゴニュートを選んだところで、どこか劉に似たドラゴニュートになる。
遊びなのに面倒すぎる、と不満を漏らすプレイヤーは多い。
もちろん調整の余地はあり、うまく手を加えれば「劉・上位互換」くらいにはできた。
『種族の選択はゲーム体験を大きく変化させます。慎重にお選びください』
劉は事前に方針を決めていた。
目指すのは、多様な武器と魔法を扱う魔法戦士。複数分野を伸ばすなら、適性の偏らない人間がいい。それに王道の冒険なら、勇者役はやはり人間だろう。
初期技能も手早く決めようとしたが、妖精が説明を始めた。
「『ガイア・クロニクル』に固定の職業は存在しません。ここでの選択は初期技能の熟練度にのみ影響します。技能は練習と実践によって向上し、長期間使用しなければ衰えます」
劉はすでに知っていた。このゲームには一般的なレベルもなく、技能の習熟こそが成長を表す。
「その辺は調べてある。武器と魔法を両方使う魔法戦士を目指すなら、最初は何を選べばいい?」
「【狂想の主】様は、ご自身の技量に相当な自信をお持ちのようですね。種族に人間を選んだ判断は適切です。初期技能には魔法使いを推奨します。魔法の習得には時間を要するためです」
劉は続きを待った。
ピクセル・フェアリーは黙っている。
「以上です。選択してください」
「……それだけ?」
「俺が知らない情報はないのか?」
「事前に詳細な調査を済ませた、とおっしゃったのはお客様です」
「なら、わざわざ止めて説明した意味は何だよ。秘密の助言とか、システムの不具合で俺だけ特殊職を選べるとか、そういうのは?」
「本作の特徴を規定の手順に従って説明しただけです。初期設定の段階で、自分だけのBUG職が現れることを期待するプレイヤーは後を絶ちません。根拠のない期待はお捨てください」
「データベースとの照合によれば、旧紀元のゲーム題材小説が広めた悪習と推測されます。プレイヤーの皆様には困ったものです」
劉は怒るより先に笑ってしまった。妖精へ指を突きつける。
「お前なあ……俺の時間を無駄にしておいて、説教まで始めるのかよ!」
「もういい、魔法使いだ! 早く始めてくれ!」
「最後に開始地点を選択してください。また、感情の変動を検知しました。多数の要望に応え、当システムからの応答を通常時は停止する設定がございます。変更しますか?」
「ぜひ頼む!」
反射的に答えた劉は、すぐ思い直した。
「待て。何か代償はあるのか? 一度切ったら戻せないとか」
「設定はいつでも変更できます。私を呼び出すか、メニューから直接操作してください。ただし――」
「最高だ! じゃあ今すぐ黙ってくれ、この面倒くさい妖精!」
静寂が訪れた。
「……ただし、何だ?」
返事はない。
「おーい、いるか?」
劉は舌打ちした。
人を苛立たせることにかけては、本当に一流だ。
何を言いかけたんだ。気になる。
どうせ呼び戻したところで、どうでもいい注意事項に違いない。
絶対に乗せられてやるものか。




