第三話 村の一夜
初めのうち、事態はそれほど悪くないように見えた。
村口で話すAtlasの態度は、礼儀正しかった。サービス開始直後の大手ギルドの団長然とした威勢を見せることも、最初から村人へ協力を迫ることもない。人数と事情を説明し、必要な代金は支払うと申し出た。
夜番の老人は一行を村の低い木造家屋へ案内し、村長を起こした。
現れたのは、白髪交じりの痩せた長身の男だった。厚手の上着を羽織ってはいたが、夜中に起こされた疲れが顔に残っている。
Atlasの話を聞いても、すぐには断らなかった。ただ灯りの消えた家々を振り返り、困ったように両手を擦る。
「星界の旅人を迎えたくないわけではありません。創造神の神託で、今日、遠方から大勢のお客様が来ることは承知していました。ただ、村には空き家がそれほどないのです」
村長は申し訳なさそうに続けた。
「最近は山道が物騒で、鉄山砦へも食糧や資材を運び込んでいます。すでに二つの隊商が泊まっています。十数人となると、どうにも……」
「一人ずつ部屋を用意していただく必要はありません。風を避けて、横になれれば十分です」
Atlasが言うと、村長は苦笑した。
「それも難しい。薪小屋も水車小屋も厩も、もう人が入っています。これ以上詰め込んだら、明日の朝、村人が客人の足の下から農具を掘り出すことになりますよ」
隊列の中で、誰かが小声でぼやいた。
「初心者村の宿屋が満室ってことか」
別の者が応じる。
「本当にリアルだよな。面倒さまで本物だ」
周も聞いていたが、何も言わなかった。
疲れているのは同じだった。ゲーム内で丸一日歩き回った疲労は、単なる数字の消費ではない。足裏は痛み、肩は強張り、空腹も眠気も本物だ。最初の興奮が薄れるにつれ、皆の苛立ちは目立ち始めていた。
Atlasはまだ村長と話している。
「どんな場所でも構いません。片づけはこちらでします。村の物には触れません」
村長が考え込んだ、そのときだった。
隊列にいた大柄な前衛の団員が、とうとう我慢できず前へ出た。
「そこまで下手に出る必要あるのか?」
決して小さくない声だった。
「ただで泊まるわけじゃない。金を払うって言ってるだろ? 創造神の神託で星界の旅人を迎えることになってるのに、寝る場所も出さないのかよ」
村長の顔色が変わった。
夜番の老人も、灯りを持つ手へ力を込める。
Atlasは振り返った。
「口を挟むな」
男は不満そうに口を歪めたが、半歩下がった。だが一言で、場の空気はすでに硬くなっていた。
すぐに鈴音が前へ出る。普段より意識して声を和らげていた。
「村長さん、本当に一晩過ごせる場所だけで結構です。物を動かす必要があれば私たちが運び、明朝には元どおりにします」
もう一人、女性団員が間を取り持つために進み出た。
治療役の晴れ晴れだった。普段は口数が少ない彼女も、このときは村長へ丁寧に頭を下げた。
「一日中歩いて、皆、余裕をなくしています。先ほどの言葉は、どうかお気になさらないでください。お支払いも、村の決まりも、きちんと守ります」
村長は晴れ晴れとAtlasを見比べ、長く息を吐いた。
「古い倉庫が一つあります。雑品と干し草を置いているので、清潔とは言えません。それでもよければ、一晩お使いください。ただし、中の物を勝手に動かさないでいただきたい。特に奥の木箱は、冬と非常時に備えた村の蓄えです」
「それで結構です。ありがとうございます」
倉庫は村の西、小麦畑の近くにあった。
扉を開けると、湿った木、乾草、埃、古い麻袋の匂いが一度に押し寄せてくる。寝台はなく、壊れかけた板と数束の敷き藁、壁際に積まれた農具があるだけだった。
奥には確かに、石と古布を載せた木箱がいくつか置かれている。
村人はさらに、温かいスープを一鍋と、黒パンを何籠か運んできてくれた。
スープに肉はほとんど入っていない。細かく刻んだ根菜と、わずかな豆だけだ。黒パンは硬く、酸味が強い。噛めば粗い穀皮が舌に触れた。
村人にとっては、夜中に急いで用意できる精一杯の食事だった。
だが現実世界から来たばかりで、まだ「宿屋の食事」や「初心者用の配給」を思い描いていたプレイヤーには、とても満足できるものではない。
先ほどの前衛は、スープを一口飲んだだけで顔をしかめた。
「何だよ、これ」
「この辺りの普通の食事だと思う」
晴れ晴れが答える。
「普通でも、ここまで不味くすることないだろ。一日歩いて、食えるのがこれか?」
男は椀を地面へ置いた。
鈴音の視線が冷たく刺さる。
「食べないという選択肢もあるわ」
「本当のことを言うのも駄目なのか?」
「あなたが言っているのは、ただの無駄口よ」
周は敷き藁に座り、疲れた顔で眉間を揉んだ。
確かにスープは美味しくない。パンは魔獣に投げつければ武器になりそうなほど硬かった。それでも村がわざと粗末な食事を出したわけではないことくらい、周にも分かる。
この村には、もともと上等な食事などないのだ。
村人の夕食も、似たようなものだろう。
しかし全員が、そう考えられるわけではなかった。
予定が大幅に狂ったことで、何人かの団員は早々に限界を迎えた。現実に用事があり、今日はサービス開始と集合、鉄山砦での登録だけを済ませるつもりだったのだ。まさか合流だけでゲーム内の一日が終わるとは思っていなかった。
「俺は先に落ちる」
「続きは明日だな。集合自体はできたんだし」
「この倉庫、安全な場所だよな?」
危険がないことを確かめると、数人が隅で相次いでログアウトした。
身体が淡い光へ変わり、すぐ倉庫から消える。敷き藁に、浅い窪みだけが残った。
人数が減っても、倉庫は静かにならなかった。
あの前衛は考えるほど腹が立つらしく、二、三人を連れて入口で愚痴をこぼしていた。小声のつもりらしいが、倉庫の全員に聞こえている。
「この村に、本当に何もないわけないだろ」
「NPCなんて、少しくらい圧をかけなきゃ最低の待遇しか出さないぞ」
「ゲームなんだから、そこまで気を使う必要あるか?」
一人が同調する。
「だよな。殴ったわけでもないし、補給品を少し取るくらい何だっていうんだ。こんな飯を出したんだから、向こうが補償してもいいくらいだろ」
返事をせず、聞こえないふりをする者もいた。
Atlasは入口に寄りかかり、夜の村を見ていた。
もちろん、話は耳に入っている。間違っているとも分かっていた。
だがそのとき、彼の頭を占めていたのは明日のことだった。どう鉄山砦へ入り、登録を済ませ、第二遠征団を正式に発足させるか。散らばりかけた団員を、どう組み直すか。
一度だけ振り返る。
もう誰も、大声では騒いでいない。
それでAtlasは、その場で止めなかった。
のちに何度も思い返し、最も認めたくなかったのは、そのことだった。
事件は、突然起きたのではない。
小さな一線を、何度も見過ごした末に起きた。
夜が更け、村は静まり返った。
倉庫では大半の者が、敷き藁の上で思い思いの姿勢で眠っている。
周は浅い眠りの中で、木箱を動かす音を聞いた。
目を開けると、あの前衛と二人の団員が倉庫の奥にしゃがみ込み、箱の上の古布を剥がしている。
「何をしてるの?」
晴れ晴れが低い声で尋ねた。
男は振り向き、唇に指を当てた。
「食い物を探してるだけだ。そう神経質になるなよ」
「村長は、奥の物に触るなと言ってた」
「言われたら、腹を空かせたまま我慢するのか?」
すでに蓋はこじ開けられ、隙間から紙包みの干し肉と、干し茸の袋が覗いていた。
「ほらな。あると思ったんだ」
鈴音も目を覚ました。
数歩で男たちへ近づき、声を抑えて言う。
「元に戻しなさい」
静かな声は、刃物のように冷たかった。
「鈴音、そこまで真面目に考えるなよ」
別の団員が囁く。
「少し食べるだけだ。明日、鉄山砦で買って返せばいいだろ?」
「これがいくらするのか知ってる? 誰の物か分かる? 冬や山道が閉ざされたとき、村人がこれを食べて生き延びるのかもしれないのよ」
「NPCが本当に飢え死にするわけないだろ」
一瞬、倉庫が静まり返った。
周は起き上がった。
Atlasも目を開ける。
だが彼が言葉を発するより先に、前衛は干し肉を一本ちぎって口へ入れた。
「話を大げさにするなよ。俺たちはプレイヤーで、聖人になりに来たんじゃない。それに、こんな扱いをされたんだ。少しくらい取って何が悪い」
肉を噛みながら言うと、何人かが笑った。
動かない者もいる。
眉をひそめながら寝返りを打ち、見なかったことにする者もいる。
しばらく黙ったあと、箱から干し茸を一袋取り、自分の荷物へ入れる者まで現れた。
鈴音の顔が、怒りで白くなる。
晴れ晴れは箱を閉じようとしたが、横から押しのけられた。
ようやくAtlasが立った。
「もういい」
声は大きくない。
それでも笑いは止まった。
前衛が振り返る。口には、まだ干し肉が半分残っていた。
「団長、食い物を少し取っただけだ。明日返せばいいだろ」
Atlasは男を見た。
「食べた量と、持ち出した物を覚えておけ。明日、補填する」
鈴音が勢いよく振り向いた。
「団長?」
Atlasは、その目を見なかった。
「今夜は休め。処分は鉄山砦へ入ってからだ」
その言葉は、ある種の許可になった。
少なくとも何人かには、そう聞こえた。
結局、彼らは干し肉だけでなく、干し茸を数袋、塩の小袋を一つ、丈夫な麻縄を二巻持ち去った。
「借りるだけだ」と言う者。「明日、新しい物を買って返す」と言う者。「NPCの倉庫なんだから、取らなきゃ損だ」と笑う者。
鈴音と晴れ晴れが最後まで止めても、取り戻せたのは干し肉半袋と麻縄一巻だけだった。
夜明け前になり、ようやく倉庫は完全に静まった。
周は敷き藁へ横たわっていたが、どうしても深く眠れなかった。
何かが間違っている。
ぼんやりと、そう感じていた。
だが当時の彼は、まだ理解していなかった。
『ガイア・クロニクル』で生じた違和感は、決して胸の内だけでは終わらない。
翌朝、第二遠征団は村を出た。
村人の朝は早い。井戸で水を汲む者も、荷獣を畑へ引いていく者もいる。
村長は道端で一行を見送り、疲れてはいたが、まだ丁寧な笑みを浮かべていた。倉庫から何が消えたのか、知らないのだろう。
Atlasは約束どおり、宿代を支払った。
鈴音はさらに、小さな銅貨の袋を置く。
「昨夜はご迷惑をおかけしました」
村長は驚いた。
「すでに十分いただいています」
「余分は、お礼です」
後ろにいた前衛が、小さく呟く。
「本気でNPC相手の芝居をしてるよ」
晴れ晴れは聞き逃さず、振り返って男を見た。
男は肩をすくめ、それ以上は何も言わなかった。
一行は再び歩き出した。
太陽が昇るにつれて、鉄山砦は近づいてくる。
日中に見る山中の巨城は、夜の遠景よりも圧倒的だった。山の起伏に沿って道が幾重にも重なり、その間へ無数の建物が食い込んでいる。
外壁の下では入城待ちの車列が続き、側面の坂を鉱車の軌道が横切る。鉄輪の重い音が山肌へ反響していた。
さらに高い場所では、太い鎖に吊られた昇降台が岩壁の間をゆっくりと上下している。鉱石、木材、穀物の袋、鎧を着た兵士まで載せていた。
砦の内部は、もっと混雑していた。
城門をくぐった途端、熱気と騒音がぶつかってくる。
左手には鍛冶炉が連なり、半開きの鉄扉から真紅の火が明滅している。太い腕を剥き出しにしたドワーフの職人が槌を振るうたび、火花が雨のように石床へ散った。
右手には臨時の露店が並ぶ。水、保存食、粗末な防具。「旧サーバー経験者直筆・鉄山砦攻略書」を売るプレイヤーまで混ざり、肩が触れ合うほどだった。
鉄の延べ棒を満載した鉱車が、道の中央で止まっている。
荷台の上では、ドワーフの親方と人間の軍需官が顔を真っ赤にして怒鳴り合っていた。軍需官は西の倉庫へ食糧を先に入れると言い、親方は荷台を叩き、炉の火は待ってくれないと罵る。
傍らの衛兵は慣れた様子で、見物に集まる星界の旅人を道端へ追いやっていた。
深刻な対立というより、前線都市で毎日繰り返される古い言い争いに見える。
それでも周は、鉱車の周りでドワーフと人間が自然に二つへ分かれていることに気づいた。誰も武器は抜かない。だが、どちらも先に退こうとはしない。
木箱の上から、募集の声が飛ぶ。
「鉄山砦前線パーティー、ヒーラー募集!」
「旧サーバー指揮官が引率! スタンピード前提任務、攻略保証!」
「鉱石と魔獣素材、買い取るぞ! 適正価格だ!」
さらに多くの者は、人の流れに押されるまま奥へ進んでいた。
新たに来た星界の旅人は吊橋や歯車、岩壁を埋める石造家屋と旗を仰ぎ見る。地元の住民は彼らの間をすり抜け、荷物を担いで悪態をつく。巡回兵は長い棒を使い、道の中央で記念撮影する者を脇へ押しのけていた。
昨日の騒ぎは、収まっていなかった。
村や斜面、市場、街道から、この巨大な砦へ流れ込んだだけだ。
より混雑し、より騒がしく、そして、より現実味を増していた。
第二遠征団も、初めはその迫力に呑まれた。
例の前衛さえ立ち止まり、二つの岩壁をまたぐ鉄鎖の橋を仰いだ。
「ここは、悪くないな」
小さく呟く。
Atlasの気持ちも、再び前を向いた。
昨夜何があったとしても、鉄山砦は目の前にある。ここにはギルド登録があり、前線任務があり、プレイヤーと現地勢力が絡み合って生まれる無数の機会がある。
ここへ足場を築ければ、第二遠征団はようやく動き出せる。
星界会館は、中層への入口近くにあった。
山壁へ埋め込まれた大きな石造の広間だ。入口には星の紋様を刻んだ二本の黒鉄柱が立ち、頂上の魔法灯が淡い青色に光っている。
扉の前には長い列ができていた。身分登録、依頼の受注、ギルド手続きの相談、素材の交換。さまざまな目的の人々で、身動きも取れない。
壁面には、光る告示が何列も浮かび、文字を絶えず更新していた。
【鉄山砦地域臨時通達:許可なく軍需倉庫へ立ち入ることを禁ずる。】
【巨獣の森外縁部において魔獣の活動が活発化。低位の旅人は単独行動を控えること。】
【星界の旅人によるギルド登録には、構成員名簿、保証金、拠点説明、および現地での信用証明を要する。】
最後の一文を見て、Atlasの足がわずかに鈍った。
「現地での信用証明?」
周も気づいた。
「そんなものまで要るのか?」
「交渉はできるだろう。まず登録だ」
一行が受付へ着き、まだ何も言わないうちに、深灰色の制服を着た一隊が脇の扉から出てきた。
先頭に立つのは、中年の人間の士官だった。腰には短剣、胸には鉄山砦領の山をかたどった紋章。その後ろに二人のドワーフ兵と、記録板を持つ書記が続いている。
士官は一行を見回し、Atlasへ目を止めた。
「第二遠征団か?」
Atlasの胸に、嫌な予感が落ちた。
「そうです」
士官が文書を開く。
「昨夜、西南の村へ宿泊した際、倉庫の備蓄品を盗み、住民の安寧を乱し、協力を強要したとの訴えが、鉄山砦守備隊および星界会館へ正式に提出された。調査に協力してもらう」
列に並んでいたプレイヤーとNPCが、一斉にこちらを見た。
前衛の顔色が変わる。
鈴音は目を閉じた。
周はようやく理解した。
昨夜感じた小さな違和感が、もう彼らに追いついたのだ。




