第二話 開幕初日
サーバーが開かれた日、新世界は一瞬で火がついたような騒ぎになった。
無数の星界の旅人が、都市や村、道端、山麓、何もない荒野で次々と目を覚ます。
広場の鐘に出迎えられ、目を開けた瞬間から耳を塞ぐ者。宿屋の前へ現れ、スープを運んでいた給仕に危うく怒鳴り倒されそうになる者。畑の畦に立っていたせいで、鍬を持つ農夫と延々見つめ合い、どちらから挨拶すべきか分からなくなる者もいた。
初期設定を終えた途端、頭を抱えた者もいる。
望んでいたシステムの姿は「冷徹な美人メイド参謀」だった。ところが現れたのは、小さな丸帽子を載せた木彫りの鳥。
しかも鳥は、いかにも真面目な声で告げた。
「お客様の表現をもとに、可能な限りご要望を再現しました」
現地のNPCたちも、反応はさまざまだった。
村口に突然現れた旅人を見て、その場に跪き、創造神の奇跡だと拝み始める老人。母親の背に隠れ、半分だけ顔を出して珍しい服装を盗み見る子供。素早く商機を嗅ぎつけ、温かいスープや保存食、安物の外套を道端へ並べて「遠方よりお越しの星界のお客様」と笑顔で呼び込む商人。
槍を握ったまま、旅人を慎重に登録所へ誘導し、危険な行動をしないか何度も確かめる衛兵もいた。
あとになって周は、現地の人々も何も知らなかったわけではないと知った。
創造神の神託は、すでに下されていたのだ。
――今日、星界の旅人が降臨する。
ただし、知っていることと、目の前で見ることは違う。
とりわけ鉄山砦一帯は凄まじかった。
多くのプレイヤーが、最初から魔獣の大氾濫という一大イベントを狙っていた。開始地点を選ぶ際、「鉄山砦」を迷わず押した者も多い。
だが、すぐに一つの事実を思い知らされる。
開始地点が鉄山砦だからといって、全員が鉄山砦の城門前へ降り立つわけではない。
指定されていたのは、もっと広い地域だった。
砦の下層外街に現れた者もいれば、周辺の鉱山町へ飛ばされた者もいる。山裾の村や、砦へ通じる街道の宿場から始めた者までいた。
さらに面倒なことに、ログイン時刻も全員同じではない。
第二遠征団の集合は、最初からどうしようもなく混乱した。
周が目を覚ました場所は、山麓にある小さな町の厩舎だった。
二頭の荷獣が周を見る。
周も二頭を見る。
背後ではドワーフの馬丁が、干し草用のフォークを構えていた。その目が「神託にあった星界の旅人」と「いきなり俺の厩舎へ現れた不審な人間」の間を行ったり来たりしている。
周は、真っ先にフレンド一覧を開いた。
空だった。
このゲームには、最初から使えるチャット欄も、遠隔音声通話も、顔写真を押せば即座に個人会話が始まる便利な機能もない。
フレンドにならなければ連絡できず、フレンドになっても思念で会話できるわけではない。「魔法伝書鳩」という機能で、手紙を送るのだ。
魔法伝書鳩は素晴らしい。
しかし、ひどく不便でもあった。
鳩は飛ぶ。
本当に、空を飛んでいく。
送信者のいる場所から受信者まで、自力で移動する。当然、時間もかかる。地形や天候、都市の結界、相手が特殊な区域にいるといった事情で、遅れることさえあった。
初日に半透明の光る鳩が羽ばたきながら飛んでくるのを見て、隠しクエストが始まったと勘違いしたプレイヤーも少なくない。
周は自分のシステムへ、団員の居場所を直接検索できないか尋ねてみた。
返事は、どこまでも丁寧だった。
「フレンド、手紙、現地の地図および道標、住民への聞き取りなどを通じて情報を取得してください」
質問の仕方を三度変えても、同じ意味の答えしか返ってこない。
集合に関する限り、どうやら役に立たないらしい。周も認めるしかなかった。
第二遠征団の古参たちは、ゲーム内の手段だけで集まるのは非常に苦しいと、すぐ悟った。
そこで何度もログアウトした。
現実の連絡用グループでは、凄まじい勢いでメッセージが流れていた。
【俺、鉄山砦にいる……のか? 違うな、鉄山砦地方の鉱山村っぽい】
【誰か、このふざけた地図の見方を教えてくれ】
【まず座標を出せ。ゲーム内に座標がない? じゃあ地名だ!】
【Atlasをフレンドにした。伝書鳩を送ったぞ。到着予定、十分後。笑うしかない】
【笑ってる場合か。こっちは伝書鳩が煙突に飛び込んだ】
【軍師は?】
【今日は入らないって】
【何で?】
【原始的な通信社会を体験するために、お前らに付き合う気はないそうだ】
Atlasは現実のグループで数秒沈黙したあと、一言送った。
【ログインも残業扱いにすると伝えろ】
二分後、軍師から返事が来た。
【三倍でも断る。一週間お前のために働いて、退勤後までゲームで山越えさせられるのか? 冗談じゃない】
周は笑いすぎて、厩舎の柵から落ちかけた。
だが、面白がってばかりもいられない。集合が難しいことに変わりはなかった。
まず現実で大まかな方針を決め、ゲームへ戻って道を探す。分からなければログアウトして確認し、また入り直す。現地の人を捕まえて地名を尋ね、街道を聞き、宿場を教えてもらう。
共通語を話せるドワーフの鉱夫へ酒を奢り、鉄山砦へ向かう車列を聞き出した者もいた。村長に引き留められ、「空から落ちて倉庫を壊した人物の賠償責任は自分にない」と三十分も説明する羽目になった者もいる。
ログイン直後、興奮のあまり魔獣を試し斬りしようとした者は、山道の獣に追われて全力で逃げ、最後はNPCの猟師団に救われた。
周が最初の仮集合地点へ着いたのは、もう午後だった。
鉄山砦の外にある、斜面の市場だ。
人で溢れ返っていた。
新しい水槽へ一斉に放たれた魚のように、プレイヤーが右へ左へ走り回っている。
鉄山砦を背景にシステムで記念撮影を続ける者。道端にしゃがみ込み、火の起こし方を研究する者。友人と木剣で打ち合い、巡回兵から「往来を乱すな」と注意される者。
隊商の馬車を降りた途端、青い顔で「乗り物酔いまでこんなにリアルにする必要があるか」と悪態をつく者もいた。
少し離れた掲示板の前では、一人のプレイヤーが自分のシステムと大声で言い争っている。
なぜ「初心者向けの近隣依頼」で、石材運びを勧められるのか。
システムは冷静に同じ答えを繰り返した。
「当該依頼は安全で安定しており、報酬も明確です。初心者向けの推奨基準を満たしています」
しばらく聞いていた野次馬たちも、システムの言い分はもっともだと思った。
もっとも、それで本人の怒りが収まるはずもない。
現地の人々は、最初の緊張と驚き、警戒を経て、少しずつ慎重に状況へ馴染み始めていた。
市場の端で焼き麦餅を売る女は、朝にはプレイヤーが近づくたび半歩下がっていた。だが半日も経つ頃には、奇妙な髪形のプレイヤーへ平然と麦餅を渡し、真剣な顔で値段交渉までしている。
「神託で、あなたたちが来るとは聞いていたよ」
周には、こう言った。
「でも、こんなに騒がしいとは聞いてなかった」
周は全プレイヤーを代表して謝りたくなった。
ところが振り返れば、第二遠征団の面々も決して静かではない。
Atlasは周より先に到着していた。
市場脇の大きな岩に立ち、買ったばかりの濃い色の外套を羽織っている。手には現地の宿場で書き写した粗末な地図。
当時のAtlasには、今の中層事務所で見せる落ち着きなどなかった。
その目は明らかな興奮に輝いている。新しい大型アップデートの最前線へ、ようやく自分の手を伸ばした古参プレイヤーそのものだった。
「まだ砦へ入るな。人も揃ってないし、道も分からない。今突っ込めば、自分から人混みに散らばるだけだ。周、二人連れて南の道へ迎えに行け。鈴音、到着済みの名簿を作れ。オンライン、ログアウト中、未ログインを全部分けろ」
「もうやっています」
鈴音は顔も上げなかった。
ゲームを始めて二時間も経っていないのに、すでに大量の紙を抱え、急ごしらえの木箱を机にして記録を始めている。NPCの文具屋で紙とインク、書類留めの紐を買い揃え、まとめ買いの値引きまで成立させていた。
人によっては、ゲームの始め方から違う。
周がそれを身に染みて理解したのは、このときだった。
「Bladeは?」
誰かが尋ねる。
Atlasは鈴音を見た。
鈴音は記録をめくる。
「ログイン済みです。集合には来ないとだけ連絡がありました」
「理由は?」
「書いてありません」
人垣の中で、誰かが舌打ちした。
Atlasは怒らず、しばらく黙ってから言った。
「記録しておけ。十七人を前提に進める」
「軍師はログインしていません」
「知ってる」
「ですから、実際に集合できるのは十六人です」
「知ってる。こういうときに俺の計算能力を確認しなくていい」
鈴音は即座に視線を落とした。
「はい、団長」
周は隣で、笑いを堪えるのに必死だった。
だが鈴音が顔を上げる。
「ずいぶん暇そうね?」
「今すぐ南の道へ行ってくる」
周は素早く背を向けた。
午後から夕方まで、ひたすら人を迎えに行った。
第二遠征団の団員たちが、四方から少しずつ集まってくる。
ドワーフの鉱山トロッコで来た者は、真っ青な顔で降りてきて、シートベルトのない山道輸送など二度と御免だと言った。隊商について遠回りした者は、誰に押しつけられたのか分からない黒パンを二個、荷物に増やしていた。
装備欄の使い方が分からず、初期の肌着姿で宿屋から飛び出してしまい、道中ずっと現地の子供に追い回された者までいる。
初日の驚きと戸惑いと狼狽は、何もかも極端だった。
空へ連なる鉄山砦の城壁を仰ぎ、このゲームならどれほど高くても買った価値があると呟く者。
小川で顔を洗っている途中、ふいに顔を上げ、水も風も冷たい、足裏の小石まで本物のように痛いと感嘆する者。
昔ながらのMMOにあった、地図を押せば目的地まで自動で歩いてくれる機能を懐かしむ者もいた。
Atlasだけは、一度も立ち止まらなかった。
位置を報告させ、迎えの経路を組み替え、即席の二人組を作る。NPCへ道の安全を確認し、集合地点の変更を魔法伝書鳩で未到着者へ送った。
一羽、また一羽と、淡い光の尾を引いて鳩が斜面から飛び立つ。
夕暮れを待たずに昇った、小さな星のようだった。
周は三往復した。
連絡のつく最後の一人を迎えたときには、すっかり夜になっていた。
その日は鉄山砦へ入らなかった。
Atlasは近くの村で一夜を明かすことに決めた。
街道に近く、寝泊まりできて水もあり、翌日の態勢を整えやすい。何より小さな村なら、ようやく集めた仲間が鉄山砦の下層で再び散り散りになる心配もなかった。
十六人は夜道を歩き、村の入口へ着いた。
外周には低い木柵があり、獣避けの鈴が吊るされている。軒下の油灯が泥道と薪の山、道端の水桶を照らしていた。
畑を抜けてくる夜風は、湿った土と草の匂いを運んでくる。
一行が近づくと、村口で夜番をしていた老人が灯りを掲げた。
最初は驚き、やがて神託を思い出したのだろう。構えていた木の叉を、ためらいながら下ろす。
「星界の旅人か?」
先頭にいたAtlasが、一礼して頷いた。
「そうです。今夜、ここへ泊めていただきたい。定められた金額を払い、村の決まりにも従います」
老人はAtlasを見た。
その後ろに並ぶ、旅の埃にまみれ、疲れているのに目だけは異様に輝く十数人も見た。
近くでは家々の窓が開き、村人が顔を覗かせていた。囁き合う声がする。抱き上げられて、こちらを盗み見る子供もいる。近寄ろうとした若者は、母親に腕を掴まれて引き戻された。
列の中ほどにいた周は、肩が痛み、腹も鳴っていた。
だが村口で揺れる灯りと、ようやく同じ場所へ集まった十六人を見ると、不思議なほど心が落ち着いた。
ゲームの中で丸一日を費やし、やっと第二遠征団は、この現実としか思えないほど不便な新世界で一つに集まったのだ。
夜の闇が、静かに村を包んでいた。




