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ガイア・クロニクル ~世界は、星界の旅人を待ってはくれない~  作者: またおれがっ
第二章 第二遠征団

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第一話 事務所

鉄山砦の中層は、いつも下層より静かだった。


外壁や昇降機、鉱車の軌道、無数の倉庫が集まる下層では、昼夜を問わず車輪の振動が鉄路を伝ってくる。炉区からはドワーフ職人の槌音が絶え間なく響き、荷運びの獣が街角で白い息を吐く。その間を縫って、プレイヤーたちが仲間を募り、値を争い、声を張り上げて情報を交換していた。


砦全体が、火を落とすことのない巨大な戦争機械のようだった。


だが中層まで上がれば、その喧騒も分厚い石壁と幾重もの坂道に削られ、遠い地鳴りに変わる。


第二遠征団の事務所は、中層西側の広い石室に置かれていた。もとは鉄山砦守備隊が使わなくなった資料庫で、天井は低く、窓は矢狭間のように細い。机も椅子もドワーフの倉庫から譲り受けた中古品だ。


唯一、真新しいものが入口の脇にあった。


【第二遠征団 鉄山砦事務所】


磨き上げられた銅板は、角にまだ削りたての跡を残している。


Atlasは事務室の西側にある執務机で、書類に目を通していた。


机の上には三つの山がある。左は処理済み、中央は未処理。そして右端は鈴音が選り分けた重要案件――言葉にするなら「団長が自分で見なければ、あの役立たずどもがいつか必ず台無しにする」といったところだ。


卓上のランプは明るく調整され、黄橙色の光が石の机を照らしていた。羊皮紙の縁にある細かな繊維までよく見える。


Atlasは物資支出書の末尾へ短い注記を書き込み、紙を裏返して次の一枚を取った。


フェスから届いた情報の要約だった。


一行目を読んだところで、眉がわずかに動く。


【フェス近郊において、過去半月の間に空間魔法の異常現象が複数回目撃された。】


【東部森林では、大規模な魔法行使の痕跡を見たとの猟師の証言あり。現場では樹木が折れ、地面が鋭利に切断されていた。】


【守備隊の記録によれば、星界の旅人一名が“ブラックシャドウ”と見られる黒豹を伴い、フェスへ入城。フェス―鉄山砦間の街道でも複数の目撃証言があり、当該魔獣は旅人に使役されている、あるいは一時的に同行している可能性がある。】


Atlasのペン先が止まった。


「ブラックシャドウ?」


部屋の脇では、鈴音が背の低い書類棚を整理していた。濃い色の長衣は袖口まできっちり絞られ、長い髪も隙なくまとめられている。作業は速く、正確だった。


声を聞くと、すぐに振り返る。


「フェスからの補足報告です。守備隊員が、その黒豹が裂け目へ飛び込むところを直接見たと」


「ブラックシャドウを従えた空間魔法使いか」


Atlasは小さく笑った。


「このサーバーが始まって、まだ十か月だぞ。もうそんな奴が育ってるのか?」


「誤報の可能性もあります。フェスの守備隊は新人が多いので。何を見ても大げさに話す者はいます」


Atlasは答えず、もう一度その数行へ目を走らせた。


空間魔法の異常。大規模な魔法の痕跡。ブラックシャドウらしき黒豹。


一つずつなら、錯綜した情報として片づけられる。だが同じ地域で、ほぼ同じ時期に重なっているとなれば、ただの偶然とは考えにくい。


あとで読み返すため、報告書を右端の山へ置く。


そのとき、扉が叩かれた。


「入れ」


石扉が開き、紐で綴じた報告書を抱えた周が入ってきた。


外の冷気をまとい、肩当ての端には灰が付いている。下層を半周して上がってきたばかりらしい。入室するなり鈴音を見て、ほんの一瞬、足を止めた。


鈴音も見逃さなかった。


「周、いえ――改心コーヒーすじ肉。ようやく事務所の入口を思い出したのね」


声に、ごく薄い笑いが混じっている。


周の口元が引きつった。


「周でいい。おととい巡回表を出しに来ただろ」


「休みの二人が記載されておらず、休暇中の人間が一人余計に入っていた、あの巡回表?」


鈴音は紙の端を揃え、まるで抑揚なく続けた。


「あれで提出したことになるなら、今月の事務仕事もすべて終わったことにしてあげられるわ」


「……分かった。俺の負けだ」


周は片手を上げ、Atlasへ向き直った。


「団長、頼まれてた調査報告」


Atlasはペンを置いた。


「お前と老陳で調べたのか?」


「ほとんど老陳が」


周はあっさり認めた。


「俺、こういうの苦手なんだよ。人を率いて戦え、見張れ、急いで移動しろっていうならいい。でも絡み合った情報を調べるのは、三行読んだら眠くなる。かなりの部分は、別のギルドの奴に教えてもらった」


「自分の不得手を把握していたなんて、驚きね」


鈴音の冷たい一言に、周は深く息を吸った。ここで言い返すな、と自分へ言い聞かせているのが丸分かりだった。


二人を眺めていたAtlasが笑う。


「要点を言え」


周は報告書を差し出した。


「言われたとおり、最近この辺りで動いている出所の知れない物資や人、それから急に進路を変えた小規模ギルドを調べた。結果は、あんまりよくない。団長、本当に裏で何かの勢力が動いてるかもしれない」


Atlasは受け取り、指先で結び目を押さえた。だが、すぐには解かない。


「かもしれない?」


「決め手がないんだよ。全部、ばらばらの欠片だ。鉄鉱石の副産物を買い集めてる奴がいる。山道の案内人を探してる奴がいる。いくつかのプレイヤーギルドから経路を聞き出そうとした奴も、俺たちとドワーフの関係を探ってる奴もいた。一つなら何でもない。でも並べると、どうも変だ」


鈴音も眉を寄せた。


Atlasは紐を解く。


最初の一枚は整然と書かれていたが、周の字ではない。別の団員が清書したのだろう。冒頭に異常事例が列挙され、細かな文字で情報源、信頼度、未確認事項が添えられている。


Atlasが一枚ずつめくる前で、周はまだ話を続けた。


「もう一つ、書くべきか迷ったことがある」


「言え」


「前に鉄山砦の中で、角の生えた奴を見た……ような気がする」


鈴音の手が止まった。


Atlasも顔を上げる。


「角?」


「亜人の角じゃない」


周は自分の頭の上を指してみせた。


「姿は人間に近かった。外套を羽織ってて、頭巾の端から角が少し出てたんだ。横顔しか見えなかったし、すぐ人混みに隠れた。もう一度見ようとしたときには消えてたよ」


「なぜすぐ報告しなかった?」


「本当に見たのか、自信がなかったからさ」


周は苦笑した。


「今の鉄山砦には何だっている。遠くからオークや亜人のプレイヤーまで押しかけてるし、ドワーフの兜だって相当奇抜だろ。見間違いだと思ったんだ」


鈴音の目は、期待した自分が間違いだったと言わんばかりだった。


Atlasは責めず、報告書の余白へ短く記した。


「不得手な仕事で、ここまで調べたなら十分だ。情報をくれたギルドの人間は?」


「灰炉旅団の斥候、木鴉って奴だ。どこまで知ってるかは言わなかった。ただ最近、中間業者を通して情報を買ってる奴がいるらしい。細かく、広く。普通のギルドが新地域を攻略するときの買い方じゃないって」


Atlasは頷き、さらに先をめくった。


やがて、一つだけ囲まれた記述が目に入る。


【正体不明の勢力が存在する可能性あり。】


部屋が静まった。


外を昇降機が通り、低い振動が響く。山腹の奥で巨獣が寝返りを打ったようだった。


Atlasは囲みを見つめたまま、指先で机を一度叩いた。


この調査は、周が他所から持ち帰った話をまとめたものではない。周と老陳へ調べさせたのは、Atlas自身だった。


もっと以前から、いくつかの出来事に違和感を覚えていた。


誰かが先回りしたような経路。あまりにも都合よく現れる情報。本来なら狭い範囲でしか流れないはずの話が、見えない指で弾かれたように、不意に向きを変える。


疑いは口にしていない。


報告書にも、その名は書かなかった。


ただ周に、調べろと命じた。


「団長?」


長い沈黙に耐えかね、周が遠慮がちに呼ぶ。


Atlasは報告書を閉じた。


「よくやった。引き続き監視しろ。ただし、まだ刺激するな。お前と老陳は周辺の探りだけに留めろ。深追いはするな。灰炉旅団への接触もしばらく控えろ。向こうまで巻き込む必要はない」


「了解」


周はほっと息をついた。


そのとき、ふと思い出した。


劉の奴、もう始めてる頃だよな。


現実では、しばらく話していない。劉が夏休み中ずっと働き、『ガイア・クロニクル』の機材を買う金を貯めていたことは知っている。日数から考えれば、もう届いているはずだ。


どこに降りたのだろう。


運が悪ければ、今頃は森で迷っているかもしれない。もっとも劉のことだから、迷いながら大喜びしていそうだ。


想像すると、口元が勝手に緩んだ。


鈴音は、そのわずかな変化も見逃さない。


「何を笑ってるの?」


「何でもない。友達を思い出しただけだ」


周はすぐ真顔へ戻った。


「仕事中に友達のことを考える。いかにもあなたらしいわね」


「なあ鈴音、今日はどうしても俺に喧嘩を売りたいのか?」


「今日に限った話ではないけれど」


「そこまでだ」


Atlasが二人を遮った。


「仕事へ戻れ。周、あとで老陳を呼んでこい。鈴音、この報告は機密資料へ。通常の回覧には載せるな」


「承知しました」


鈴音が即答し、周も頷いて出口へ向かう。


Atlasは机を二度叩き、細い窓の外を見た。


「正体不明の勢力、か……このゲーム、ますますゲームらしくなくなってきたな」


二人とも答えなかった。


「俺たちが来たばかりの頃も、ずいぶん授業料を払わされたものだ」


鈴音は資料棚の最下段にある古びた帳簿を一瞥する。


「ええ、全員で払いましたね。団長が当時、深く考えずに動いたせいで生じた授業料は、今もあの帳簿に残っています」


周は唇を結んだ。口を挟む勇気はない。


Atlasは気を悪くするどころか、声を上げて笑った。


「ははは、そうだな。そのとおりだ」


笑いながら、椅子の背へ身を預ける。


「あの日は本当にひどかった。全員揃うかどうかまで、運任せだったからな」


また昇降機の轟音が、窓の外を通り過ぎた。


Atlasの意識は、一年前へ遡っていく。


第十サーバーが開かれた、あの日へ。

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