第十一話 「伝説のプレイヤー」
二日後。フェス留置所。
空がようやく白み始めたばかりで、城壁の石の隙間には、まだ夜の冷気が残っていた。
睡眠王217は槍を抱え、留置所の入口に立っている。目の下には薄い隈ができていたが、意識は任務から遠く離れていた。
あの曲刀。
刀身の反りも、柄の刻印も、刃にある小さな欠けも、見間違えるはずがない。
数か月前、睡眠王はまだ何も知らない新米だった。
友人二人と野外で薬草を集めながら、「少し鍛えてから鉄山砦へ行き、一旗揚げよう」と夢見ていた。
そこへ、二人組のプレイヤー強盗が現れた。
一人はレイピア、もう一人は曲刀。連携は手慣れ、装備も上等で、睡眠王たちは瞬く間に身ぐるみを剥がされた。
最後に、あの曲刀が首筋へそっと押し当てられた。
刃の冷たさが恐ろしく、息を大きく吐くことさえできなかった。
今でも首へ触れるたび、あの感触が残っているように思う。
昨夜、睡眠王は寝返りを打ちながら、二つの可能性を考え続けた。
【狂想の主】が、あの強盗たちの仲間なのか。
それとも――二人を倒し、刀を奪ったのか。
どちらにしても、とんでもなく刺激的な話だった。
「おい。何をぼんやりしている」
隊長が建物から出てきた。手には鉄の杯を持っている。
睡眠王は慌てて背筋を伸ばした。
「い、いえ。何でもありません」
隊長は訝しげに一瞥した。
「黒豹を連れた旅人は昨日現れなかった。今日降臨したら、星界会館へ連れていけ。きちんと登録して、記録を残すんだ。抜かるなよ」
「了解!」
声だけは威勢よく答え、心の中で笑う。
ちょうどいい。本人から探りを入れられる。
何気ない顔で、どう話を刀へ持っていこうか。
考えていると、留置所の中に淡い青色の光が灯った。
無数の光粒が空中へ集まり、細い糸のように人の輪郭を編んでいく。
次の瞬間、【狂想の主】は昨夜消えた場所へ現れた。
目を細めて辺りを見回し、品のない長い欠伸をする。
「ああー、眠い……」
睡眠王が思い描いていた達人の登場場面に、その瞬間、大きな亀裂が入った。
【狂想の主】は顔を上げ、睡眠王に気づくと、自然な調子で片手を上げる。
「よう、睡眠王。おはよう」
「おはようございます、先輩!」
睡眠王は急いで歩み寄り、わざと親しげな口調を作った。
「昨夜はよく眠れました?」
「まあまあかな」
劉は髪を掻いた。
「ゲームの中と外、両方で寝てると時間の感覚がおかしくなるんだよ」
睡眠王は乾いた笑いを返した。
謎めいた大物らしさが、また少し薄れた。
この人、話し方が大学の寮にいる学生みたいだ。
「ともかく、隊長から星界会館へ連れていくよう言われてます。記録を取るそうです」
胸の内の違和感を押し込み、慣れた案内役の顔を作る。
「ちょうど俺もそちらへ行きます。フェスなら詳しいんで、ついてきてください」
「助かるよ」
劉の目が輝いた。
「正直、今は懐が寂しすぎてさ。この街でどう暮らすか困ってたんだ」
懐が寂しい。
睡眠王は、腰にある鉄床一族の名刀と、その上に着たぼろぼろの軽装を見比べた。
ひどくちぐはぐな組み合わせだった。
二人は留置所を出て、市内の大通りを歩いた。
まだ早朝だが、フェスはすでに目覚めている。
城門近くの朝食屋台から湯気が立ち、灰白色の煙が軒先を撫でて昇っていく。
乳を運ぶ荷獣が小さな車を引き、昨夜の泥が残る石畳を、細かな車輪の音とともに進んでいた。
何軒かの店では木戸が開けられている。
焼きたてのパン、錆びた鉄、濡れた木材、家畜小屋。
それらが混じり合い、辺境の小都市らしい朝の匂いを作っていた。
「ずいぶん普通の街だな」
劉は左右を眺め、少し残念そうに言った。
「もうちょっとこう、『辺境都市に渦巻く陰謀』みたいな空気があると思ったんだけど」
「それは、まだ中身を知らないからですよ」
睡眠王は声を潜め、意味ありげに続けた。
「最近のフェスは、結構きな臭いんです」
「へえ?」
劉が興味を示す。
「鉄山砦は知ってますよね? 二か月もしないうちに、あそこでスタンピードが起きます。今のエノクス大陸で野心のあるプレイヤーは、みんな鉄山砦を見てます」
「フェスは小さいですけど、鉄山砦からそれほど遠くない。補給も、情報も、人手も、ここから送り込める。最近は外から来る旅人が増えました。仲間を集める奴、物資を買い占める奴、それに巨獣の森や山道を嗅ぎ回る怪しい奴も」
劉は真剣に聞いていた。
「つまり、ここも前線の一部ってことか」
「そんなところです!」
調子に乗った睡眠王が街路脇を指す。
ちょうど数人のプレイヤーが、通行人へ声をかけていた。
全員の鎧は整い、胸には同じ銅板の徽章。背後の木札には、こう書かれている。
【鉄山砦先遣互助会】
【勇士募集。食住、高評価、将来を保証】
先頭の男は目敏かった。
道の向こうから劉の曲刀と傷を見つけると、すぐ笑顔で近づいてくる。
「お二人とも、少しよろしいですか! 外から戻ったばかりとお見受けします。うちの互助会で話を聞きませんか?」
特に劉を見る目が熱い。
「鉄山砦では今、あなたのような腕の立つ人を求めています。私たちには旧サーバーの経験があり、スタンピードに備える方法も、功績の稼ぎ方も、高評価を取る方法も――」
「本当ですか?」
劉が真顔で尋ねた。
男は胸を張る。
「もちろんです」
「旧サーバーでは、何て名前だったんです?」
「ええと……それはほら、渡世ではいくつもの名を使いますから……」
「スタンピードには参加したんですよね?」
「当然です!」
「城壁のどの区画を守ったんです?」
「それは……」
男の額に汗が浮かんだ。
睡眠王は隣で、吹き出すのを必死に堪えている。
「なるほど」
劉は頷いた。
「それじゃ、俺たちはもう少し街を見て回るので」
男を避け、そのまま先へ進む。
距離が開いてから、小声で呟いた。
「旧サーバーの経験って、攻略記事を二つ読んだだけじゃないのか?」
「分かったんですか?」
「そりゃ分かるよ。本当に経験がある奴は、道端に看板を立てて待ったりしない」
何気ない言葉だったが、睡眠王には妙に説得力があるように聞こえた。
街の奥へ進むほど、見慣れない顔が増えていく。
大荷物を背負う者。路地で声を潜めて話す者。
掲示板のそばでは、外套を着た二人組が、行き交う旅人を素早く見定めていた。特定の誰かを探しているようにも見える。
睡眠王も気づいた。劉も一度そちらを見たが、何も言わない。
星界会館は街の中心よりやや東にある、旅人のための石造りの施設だった。
入口には人の腰ほどの発光石碑が立ち、依頼、告知、都市規則、プレイヤー間の取引情報が絶えず流れている。
隊長から連絡が入っていたため、受付の中年書記は「危険な魔獣の同行者」をひどく重く見ていた。
帳簿を何冊もめくり、黒豹を安定して呼び出せるか、明確な指示に従うか、都市住民を自発的に襲ったことがあるかと、延々質問する。
劉はとうとう頭を抱え、両手を広げた。
「正直なところ、あいつが俺の言うことを聞くか、俺にもよく分からないんですよ」
書記の筆が止まり、顔が上がる。
隣の睡眠王は冷や汗をかいた。
この大物が次に、「機嫌がよければ空間旅行へ連れていってくれる」などと言わないよう祈る。
幸い、書記は無言で一行書き足しただけだった。
「フェス領内では、理由なくその魔獣を呼び出さないこと。異常が起きた場合、守備隊と星界会館へ直ちに報告してください」
「分かりました。もちろんです」
劉は何度も頷いた。
登録を終えると、書記は一枚の木札を差し出した。
「新たに来た旅人なら、まず地元の依頼で環境に慣れるといいでしょう。ちょうど簡単な仕事があります。報酬は少ないですが」
「東門の外にある菜園で、古い水路が詰まり、苗の籠が二つなくなったという報告がありました。様子を見て、記録を持ち帰ってください」
劉は依頼札を見る。
【日常委託:東菜園の巡回】
報酬は、情けないほど安い。
「割に合わないなあ」
「金になる仕事は、登録したばかりの新人には回しません」
書記は顔も上げなかった。
「……それもそうか」
劉が木札を受け取ろうとしたとき、睡眠王は何かを思いついた。
受付の反対側へ走り、顔見知りの当番兵へ盛んに目配せする。
少しして戻ってくると、いかにも偶然を装って咳払いした。
「ちょうどよかった。隊長が、東門の外は最近落ち着かないから見てこいって。俺も一緒に行きますよ」
劉は特に疑わなかった。
「助かる。知り合いに案内してもらうほうが、一人で迷うよりずっといい」
星界会館を出て東へ向かう。
城門近くより静かな一帯で、道の両側には製粉所、倉庫、菜園が並んでいた。さらに向こうは、緩やかな斜面と灌木地になっている。
睡眠王は少しずつ話題を曲刀へ近づけるつもりだった。
だが話せば話すほど、分からなくなっていく。
劉は、想像していた「正体を隠す伝説のプレイヤー」とはまるで違った。
キノコのスープが薄いと文句を言い、フェスで一番美味そうなパン屋を真剣に分析する。
魔法使いを選んだのに毎日武器で殴り合っていると愚痴をこぼし、さらには平然と言った。
「始めて、まだ数日なんだ」
「数日?」
睡眠王は危うく、道端の泥へ足を踏み入れるところだった。
「本気で言ってます?」
「本気だよ。機器が届いたのも数日前だし」
睡眠王は黙った。
数秒後、苦しそうに尋ねる。
「じゃあ……あの黒豹は?」
「道で知り合った」
「その刀は?」
「拾った」
「空間魔法は?」
劉は顎へ手を当て、真面目に考えた。
「たぶん……偶然かな?」
睡眠王は、とうとう何も言えなくなった。
低い壁を曲がると、東菜園が見えた。
朝の光の下、畑は整然と並び、低い木柵に囲まれている。遠くでは数人の農夫が腰を屈めて働いていた。
本来なら、眠くなるほど退屈な依頼のはずだ。
ただし依頼札にある「水路の詰まり」は、どうやら正確な表現ではなかった。
事情を尋ねようとした瞬間、菜園の奥から激しい衝突音が響いた。
続いて悲鳴が上がる。
二人が同時に振り向いた。
人の腰ほどもある灰色の背と、太い牙を持つ獣が、木枠を次々と薙ぎ倒し、泥の中を突進してくる。
口には、半分に割れた野菜籠が引っ掛かっていた。
「知ってるぞ! 畑荒らし猪だろ?」
劉の目が輝く。
「なんで嬉しそうなんですか!」
睡眠王は叫びながら槍を抜いた。
「依頼には、こんなの書いてませんよ!」
灰背の牙獣は水路脇の杭へ激突した。
杭が折れ、溜まっていた水が一気に溢れ出す。
驚いた獣は頭を振って向きを変え、呆然と立つ農夫へ突進した。
睡眠王が駆け出すより、劉が先に動いた。
前へ飛び込むのではなく、斜めに一歩踏み出す。
右手は曲刀の柄へ。左手は、地面の何かを掴むように宙で閉じられた。
牙獣の前脚が水路の縁を踏んだ瞬間、足元の泥が大きく崩れた。
湿った土が雑草ごと持ち上がり、獣の顔面へ叩きつけられる。
灰背の獣がくぐもった声を上げ、勢いを失った。
次の瞬間には、劉が側面へ張りついている。
曲刀が鞘を走り、冷たい光が前脚のそばを抜けた。
急所は狙っていない。
首に絡まっていた切れかけの縄だけを、正確に断ち切った。
痛みに獣が頭を振る。
劉は刀を逆手へ持ち替え、柄頭で鼻面を強く殴った。
乾いた音が響き、牙獣は短い悲鳴を上げて空き地へ逃げようとする。
ようやく追いついた睡眠王が、進路へ長槍を横たえた。
前後を塞がれた牙獣は二度ほど地面を掻き、木柵の隙間を見つけると、そこを突き破って走り去った。
菜園には、水の流れる音と二人の息遣いだけが残る。
劉は刃についた泥を振り払い、何事もなかったように刀を納めた。
「片づいたな」




