御者と二人きりのデート
物陰に停められていた馬車に私が乗り込むと、馬車は緩やかに動き出した。次第に速度を上げて街道を走り、陸路東の国境を目指す。
ここまでは順調に、予定通り進んでいた。私はホッと一息つきながら、車窓を流れる景色に目をやった。
幼い頃と変わらない、懐かしい風景が通り過ぎてゆく。7年間ずっと焦がれていた故郷の豊かな自然が、ゆったりと広がっている。よく晴れた初夏、辺境伯領の一番美しい季節だ。だがそれも今日で見納め。
馬車は私の名残惜しい気持ちを代弁するように、少し速度を落とした。行く手から別の馬車か荷車でも来たのだろう。この街道は、王都と隣国を結ぶ主要交通網からは外れているが、辺境伯領を横断するものなので領民がよく利用するのだ。
でも、いっこうに対向車と行き合うことはなく、馬や徒歩での通行人すら通らなかった。
私は首を傾げたが、この時点ではあまり深く考えなかった。ゆるゆると変わる車窓の景色を楽しみながら、これから始まる自由な生活に思いを馳せていた。だが暫く景色を眺めていて、ふと違和感に襲われた。見知った辺境伯領の、何かがおかしい。
「そういえば、館を出てから誰も見てない……」
街道だけでなく、街道沿いの畑や点在する人家にも人影がない。こんなに良い天気なのに、洗濯物さえ干されていない。全くと言っていいほど、人の気配が無いのだ。
今の時期に人が集まるような大きな行事は無いわよね。事件でもあった?だとしても、ここまで人気がないのはおかしいわ。何か異常事態が起こっているのなら、辺境伯家の者として対処しなければ。ああでも逃げる途中だし……。
私が迷ったのは一瞬だった。内壁を叩いて馬車を止まらせ、御者が扉を開けると共に飛び降りた。
「ナタリア、危ないから。ちゃんと踏み台を使ってね」
「え……?」
何でナルサスが居るの?御者は何処に行ったの?入れ替わったの?いつの間に?
私が幾つもの疑問符を浮かべていると、ナルサスが楽しげに声をたてて笑う。
「アハハ、最初から僕だったよ。ナタリアってばちっとも気付かなかったよね」
「え、本当に最初から?」
「うん。だって今日は、ナタリアと二人きりのデートだからね。使用人にだって邪魔されたくなくて」
「これ、デートなの?」
「違うの?僕がデートしたいって言ったから、馬車を用意してくれたんじゃないの?」
こてんと首を傾げ、ちょっぴり眉を寄せて私を見上げるナルサス。か〜わ〜い〜い〜。
ハッ、危ない見惚れてた。今はそれどころじゃない、消えてしまった領民達を探さなくては!
「ええと、デート?を中断するのは申し訳ないんだけど、さっきから全然人影がなくて」
「ああ、皆避難してるんじゃない?」
「避難?」
「うん。僕が出掛けることは周辺に知らせてるから。滅多なことは無いって言っても、誰だって危険は避けたいよね」
私は何も言えなかった。私自身がナルサスから逃げようとしていたのだ、領民達を責めることは出来ない。だけど、ちょっとモヤモヤする。ナルサスが平気そうにしてるのも、なんか嫌だ。
「……ねえ、ナルサス。御者台って、二人並んで座れるの?」
「え?ああ、うん、座れると思うけど」
「じゃあ私も御者台に移るわ」
さっさと御者台によじ登ると、ポカンとしているナルサスに手を差し出す。
「やっぱり、こっちの方が景色がよく見えるわ。運転の邪魔になるなら止めるけど、駄目?」
「ううん、まさか!ナタリアが邪魔になることなんて、絶対に無いから!」
「良かった。晴れてるし、風が気持ちいいわ。お喋りしながら行きましょ」
「うん!」
ナルサスの手を取って引っ張り上げ、御者台に並んで座る。ナルサスはご機嫌で、鼻歌を歌いながら手綱を操っている。こころもち私に体重を預けて、たまに上目遣いに私を見上げては、ンフフと忍び笑っている。
「ナルサス、貴方って馬車の運転も出来たのね」
「うーん、厳密には運転してる訳じゃないんだ」
「そうなの?魔法?」
「違うよ。馬達に上下関係を教えてやっただけ」
二頭の馬達が、ビクリと体を強張らせた気がした。
「動物を虐めちゃ駄目よ」
「……ナタリアは動物好きだよね。僕と馬とウサギ、どれが一番好き?」
「皆大好きよ」
ここに何故ウサギが出てきたのかは、聞くまでもないだろう。きっと座席に置きっぱなしの私の旅行カバンの中身も、私が詰めた衣類や身の回り品ではなくなっている。
でも、今日はこれで良いか。逃げる機会はまだあるはずだし、今は何となく、ナルサスを一人にしたくない。
馬車は途中で街道を南に折れ、湖のほとりに到着した。旅行カバンの中身は敷き布やお弁当になっていて、私とナルサスは二人きりのピクニックを楽しんだ。湖畔で食休みがてら横になると、ナルサスがいそいそとやって来て隣に寝転び、私の上着の裾を掴む。
「ナタリア、大好きだよ。何処にも行かないで」
「……うん」
寂しそうな声に絆されて、つい約束してしまった。




