兄と我儘な弟
「最近ナタリアが魔王領に興味を持ってるみたいなんだけど、何か聞いてないかな、兄さん?」
王宮の中庭を通り掛かった時、不意にナルサスの声が降ってきた。ボクは落としかけた書類を抱え直しながら、キョロキョロと辺りを見回し、弟の姿を見つけた。
ナルサスは中庭に放置された黄金のドラゴン像に腰掛けていた。ドラゴンの頭の上で足をぶらぶらさせながら、機嫌が悪そうに霜を降らせている。そろそろ秋も深まる時分だ、寒波を呼ばれるのは厳しくなってきた。霜で書類が濡れないようにガードしながら、ボクはナルサスに返事をした。
「ボクは何も聞いてない。ナタリアとは最近会ってないからな」
「知ってるよ。兄さんがナタリアと直近で会ったのは、36日前だよね。手紙のやり取りも24日前にニーナ嬢を通してナタリアが送ったのが最後だよね」
「ボク自身より細かく把握してるな。実は内容も把握してるんじゃないのか?」
「普通に書いてあったことはね。でも、密かに暗号とか混ざってたりしたのかなって。2人だけの暗号とか有罪だよね」
「そんな事実は無い。ただの時候の挨拶だ」
疑心暗鬼のナルサスに白を黒にされないよう、ボクはきっぱりと否定した。ナルサスがドラゴンの頭から飛び降りてくる。鋭く尖った氷の塊を捨てろ。これみよがしにお手玉にするな。
「何も聞いてはいないが、ナタリアの考えてそうな事なら分かるぞ」
「夫の僕よりナタリアの事を理解してるって自慢?」
「違う!」
「兄さんは僕より10年も長くナタリアと過ごしてるもんね。この差は如何すれば埋まるかな?」
「年数より実際にナタリアと一緒にいた時間で計算してくれ。それにナタリアは単純だ、お前だってあいつが何考えてるかくらい分かるだろ?」
「今度は魔王領に逃げようとか考えてるんだろうね……」
ナルサスの声が暗く沈む。その通り、ナタリアは新たな逃亡先候補として、魔王領に白羽の矢を立てたのだろう。懲りないな。
「僕、トカゲの次は魔王を倒さなきゃいけないのかな?」
「魔王なんて倒せるのか?」
「きちんと準備すれば出来ると思う」
「そうか、出来るのか……」
そうすると、ナルサスは魔王になるのだろうか。でも魔王領を統治するなんて面倒なこと、ナルサスがやるとは思えない。こっちに丸投げか?魔王領が我が国の支配下になるとか、また胃薬が大量に必要になるじゃないか。
「ナタリアは如何して僕から逃げようとするんだろう」
「束縛し過ぎだからじゃないか?とりあえず監視や検閲は止めろ。お前だって、四六時中ナタリアに見張られてたら嫌になるだろ」
「むしろご褒美だけど。トイレトレーニング時代は至福だった」
「トイレ中を見張られたいとか変態かよ……まさかナタリアのトイレ時間まで監視してないよな?」
「大丈夫、ナタリアも変態だから」
弟夫婦が揃って変態とかどんな苦行だ。ナタリアはご褒美だとか思ってないよな?苦痛に感じてるから逃げたくなるんだよな?
「ナルサス、一度ちゃんとナタリアと話し合え。お前の希望ばかり押し付けないで、ナタリアの望みも聞いてやれ」
「ナタリアの望みは僕から逃げる事だよね。それ叶えたら僕、如何なるか分からないんだけど」
「別にナタリアは、本気でお前から逃げたい訳じゃないだろ。適度に息抜きさせてやれば、逃げようなんて思わなくなるんじゃないか?」
「息抜きって、例えば?」
「それを話し合えって言ってるんだ」
ナルサスが真剣な顔で考え込んで動かなくなったので、ボクはドラゴン像の尻尾に腰掛けた。書類をペラペラ捲って流し読みしながら、時折ナルサスの様子を窺う。
その力を恐れて周囲が何でも言う事を聞くので、ナルサスには自分の我儘が通らない経験が少ない。人間関係にも疎いから、情緒面があまり育っていない。その辺りが問題の根底にあるのだと思うが、ナルサスはまだ7歳だしなぁ。
でも、ナタリアを今のまま、ナルサスの我儘を何でも許してくれる母親のような存在にしておくのは可哀想だ。夫婦になったのだし、ナルサスが一方的にナタリアに甘えるだけの関係では、いずれ破綻する。ナタリアは妹がいるからか面倒見の良い性格だが、それでも限度はあるのだ。
「兄さん如何しよう、何も考えつかないんだけど」
「お前な、話し合えって言っただろ」
「だから脳内でナタリアとの会話形式にしたんだ。でも僕の脳内ナタリアは、一瞬でも僕と離れたくないって言ってる」
「それはお前の願望だ。ナタリアとは別人、偽者だからなんの参考にもならないからな」
「そんな事ないよ。僕のナタリアは僕と一緒にいるのが幸せだって言ってくれるよ」
「なら聞いてみれば良いだろ」
ボクは、話の通じない弟の面倒をみるのに、少し疲れていた。ボクはナタリアほど面倒見が良くない。それにここ数日、竜の国との同盟締結のための諸々で寝不足だったのも災いした。
「ナタリアに、今1番やりたい事を聞いてみろ。そして聞いた事を叶えてやれ。お前の希望と違っていたとしても、お前が嫌だと思ったとしても、だ」




