兄と上機嫌な弟
「何の用?僕、忙しいんだけど」
国王陛下主催のお茶会から10日ほど経った今日、ボクは辺境伯領のナルサス達が暮らす館に来ていた。あの日以降何度か足を運んでいたのだが、ナルサスは寝室に篭ったまま顔も出さなかったので、会うのはあの日ぶりだ。
今日こそは顔を見るまで帰らないと寝室前に居座ったかいがあり、ナルサスはやっと応接室まで出てきた。素肌にガウンだけ羽織った格好は、身内相手でもどうかと思うが、そこは目を瞑ることにする。
ぶっきらぼうに言いながらも口元が緩むのを隠せないナルサスに、ボクは呆れた声で答えた。
「お前が国王陛下からの親書を無視してるからだろ。再三王宮に行くよう要請されてるのに」
「だから忙しいんだよ。僕の可愛い奥さんを、目一杯可愛がってあげなきゃいけないから」
「まだ奥さんじゃないからな?あと8年は結婚出来ないからな?」
とりあえず釘を刺しておくが、ナルサスは聞いちゃいない。ソワソワと寝室のある方向を気にしながら、幸せそうに顔を綻ばせている。ナルサスのこんな顔は初めてだ。
子どもらしさの欠片もない我が弟は、無邪気を装う事はあっても、心から笑うことは稀だった。普段は皮肉げに、馬鹿にしたように、作り物の笑顔を貼り付けるばかり。ナタリアにじゃれついている時でさえ、自然に笑っていてもどこか不安げで、可愛くて可哀想な子どもを演じているように見えていた。
けれど今のナルサスは、幸せが滲み出るような、一点の曇りもない満面の笑顔だ。何故か色気のようなものが漂っているのは気づかないようにして……実の弟の色気に当てられるのは、兄として御免被りたい。
「だいたい何で僕が王宮に行かなきゃいけないの?新婚生活を中断してまで行かなきゃいけない用事って何?」
「だから結婚はまだ、ってそこは置いといてだな。お前、あれだけのことを仕出かしたんだから、説明くらいしに行けよ」
「兄さんが説明しといてよ。全部見てたでしょ」
「ボクはお前のやらかしの尻拭いで忙しいの!」
「ああ、宰相補佐就任おめでとう」
「何で知ってんだよ……」
素行の悪い貴族が大勢居なくなったため、人事が大幅に刷新された。予め人材は確保されていたし、居なくなった貴族達はろくに仕事をしていなかったので、現場の混乱は少なかった。とはいえ諸々の後始末で慌ただしく、日々バタバタと過ごしているうちに、勝手に宰相補佐に就任させられていたのだ。
「僕が辺境伯になる頃には、兄さんは宰相閣下だね」
「やめてくれ、過労死まっしぐらじゃないか。今でさえ忙しくて死にそうなんだ、だから一度だけで良いから王宮に来てくれ」
「うーん、じゃあ婚姻許可証を持って来てくれたら、ナタリアと一緒に挨拶に行くよ。国王陛下の署名入りのやつね」
「だからお前はまだ結婚出来る年齢じゃないだろ」
「特別措置、兄さんならもぎ取って来れるよね?」
無茶言うな。ボクにそんな権力があれば、宰相補佐になんかなってない。全力で逃げていた。
「僕ね、ナタリアが眠ってる間に、新しい魔術を構築してるんだ。身体の成長を促す魔術なんだけど、これがなかなか難しくて。ちょっと時間が掛かりそうなんだよね」
「何故それをボクに話す。いや待て聞きたくない」
「一時的に成長させるだけでも、かなり複雑な術式になりそうでさ。使う魔力も膨大になりそうなんだけど、早くナタリアに僕の子どもを生んで欲しくて。ねえ、一回の効果を長くするのと、効果時間が短くてもインターバルを短くして頻度を高くするのと、どっちが妊娠しやすいと思う?」
「知らないよ!」
「だよね、となると実際に試してみるしかないかな。兄さん、魔術の構築だけでも半年くらいは掛かりそうだから、それまでに婚姻許可証を準備しておいてね。順番が逆になったらナタリアが恥ずかしがるだろうから。あ、ナタリアの目が覚めたみたいだ。ちょうど話も終わったことだし、僕はこれで失礼するよ。後よろしくね、兄さん」
言いたい事だけ言って、ナルサスは止める間もなく消えてしまった。館内で転移しなくても。廊下を移動する時間すら惜しいのか?
結局ボクは、何の成果も得られないまま王宮に取って返すことになった。いや成果どころか、国王陛下から婚姻許可証をもぎ取ってくるという宿題を課されてしまった。ナルサスのあの調子だと、猶予は半年もないかもしれない。半年先でもナルサスは8歳だ、8歳児の婚姻許可なんて前代未聞だ。ああ、胃が痛い……。
だが、ナルサスの精神が安定するのは我が国のためにも重要なことだ。ナルサスが辺境伯になれば、脳筋集団のブレーンとして活躍してくれるだろう。魔法攻撃が弱点だった辺境伯家にとっても、ナルサスは最適な婿だから、何とかして協力を取り付けて後押ししてもらえないだろうか。ニーナを通して辺境伯に連絡を取ってみるか。
ボクは更に忙しくなりそうな気配に、軽く目眩を覚えた。だけど、ナルサスのあの笑顔を思い出すと、何とかして願いを叶えてやりたいとも思う。なんと言ってもボクは、ナルサスの、たった一人のお兄ちゃんなんだから。




