辺境伯領と縫いぐるみ
辺境伯領での暮らしは思った以上に快適だった。一人で行動出来る範囲が、館の庭園にまで拡大されたのが大きい。王都の侯爵家ではバルコニーに出るのにも制限があったので、屋外を自由に歩き回れるのは、例え塀の中だけであっても嬉しかった。
ナルサスとの二人きりのデートも、10日に一度のペースで続けられている。私が子どもの頃に出掛けた場所の話をすると、ナルサスが拗ねるのだ。
「他の人との思い出の場所なんて、僕との思い出で上書きしなきゃ。何を見ても、何処に居ても、ナタリアが一番に思い描くのは僕じゃなきゃ駄目なんだからね!」
というよく分からない理屈を力説されて、数日後にはそこに出掛けることになる。私が話すのは家族や従兄弟達やニコラスといった、身内との思い出話ばかりなのに。ナルサスは毎回子どもらしい独占欲を発揮してしまう。
周りの準備が大変なので頻度を落とそうと言ってみたが、それも却下された。
「領地の視察は次の辺境伯として、必要なことだからね。次の辺境伯夫人として、ナタリアには色々教えて欲しいなー。僕の勉強のためにも協力してくれるよね?」
ナルサスは私と結婚したら、辺境伯家に婿入りする予定だ。そのための勉強の一環だと言われたら、引き下がるしかない。というのは建前で、私はナルサスに可愛くお願いされると弱いのだ。しかもそれが我が辺境伯領のための努力なのだから、私に断るという選択肢は無い。
こうして度々二人で出掛けていると、領民から声を掛けられることも増えてきた。初めのうちこそナルサスを恐がって遠巻きにされていたが、元来辺境伯領の民は図太いのだ。余程の事をしなければナルサスが魔力を暴走させる事は無いと分かると、慣れるのは早かった。たまに私の幼馴染みと気安く接していると、夏なのに吹雪くことはあるけれど。
私の辺境伯領生活は、特に問題もなく平和だった。ナルサスとのデート中に一度だけ、奇妙なことがあったくらいだ。
その日もいつものようにナルサスと並んで馬車の御者台に座っていると、カツンと耳慣れない音がした。でも音だけで特段何かが起こった訳でもない。それなのに、周辺一帯が瞬時に吹雪に見舞われた。馬車の周りだけは、座席に積まれた魔導装置のお陰でそよ風すら吹かなかったが。
隣に座っていたナルサスに、如何かしたのかと聞こうとしたが、聞けなかった。ナルサスは笑ってはいたが、目が座っていた。久し振りに心から怖いと感じ、じきに吹雪も止んだので、私は考えることを放棄した。何も無かった事にしよう、心の平和を保つために。
だがきれいサッパリ忘れ去ることは不可能だ。だから今のように、ふと思い出す事もある。
「あれは何だったのかな」
私はウサギの縫いぐるみを撫でながら、そう呟いた。ナルサスが贈ってくれたウサギ達で、6個ある。王都で流行っているチョーカーウサギは真っ黒のものだけなので、オーダーメイドなのだろう。白ウサギや灰色ウサギはともかく、ブチウサギのブチの位置まであの時送り出したウサギと同じなのは凄い。何処まで私の周囲を把握されているのか。
「ナタリア様、何か仰いましたか?」
不意に背後から声がして、私は飛び上がって驚いた。最近私付きの侍女になったアンは、存在感が薄いというか気配がないというか、知らないうちに側にいて驚かされることが多々ある。
「い、いえ、何でもないの。ただの独り言よ」
「そうですか。失礼いたしました。ところでナタリア様、ナルサス様がそろそろお帰りになりますが、お召し物を変えられますか?」
「いいえ、このままで良いわ」
最近ナルサスは一人で出掛けることが多い。行き先を尋ねても、野暮用だなんだとはぐらかされる。
「先日頂いたドレスをお召しになれば、喜ばれると思いますが」
そして贈り物が多い。特に一人で出掛けた日には、必ずと言っていいほどドレスやアクセサリーをプレゼントされるのだ。
これ、怪しいよね?友達が浮気された時も、行き先不明の外出が増え、罪悪感を誤魔化すためかプレゼントも増えたって言っていた。
ナルサス、好きな子が出来たんじゃないかな?その子に会いに行ってるんじゃないかな?
何処にも行かないと約束してしまったので、物理的に距離を取るのはひとまず諦めた。でも、心理的に距離を取るのは可能かもしれない。そしてナルサスが好きな子と付き合う事にでもなれば、結果的に物理的距離も離れるかもしれない。
これはナルサスから逃げるチャンスでは?
「どんな子だろう、性格が可愛い子だと良いなー」
「どなたの性格でしょうか」
「え?いえ、これも独り言よ!ちょっと、そう、この子達の性格を想像していたの!」
たまたま抱えていた赤いチョーカーの灰色ウサギの縫いぐるみを、ズイッとアンの方へ押し出す。危ない、考えていたことが口に出てしまっていたようだ。何処から口に出しちゃってた?最初からじゃないよね?
内心戦々恐々としながらも、笑顔を取り繕った。アンはナルサスの紹介だ、きっと彼の味方だろう。もちろん私もナルサスの味方だけれど、アンと私では立ち位置が違う。仮にも婚約者の私がナルサスの浮気?を歓迎しているなんて、何か良からぬ事を企んでいそうとか勘繰られそう。
「ナタリア様は想像力豊かな方ですね」
私の言い訳を信じてくれたのか、アンはにこりと微笑んだ。誤魔化せて良かった。
私はナルサスと敵対するつもりは無く、ただ穏便に距離を置きたいだけ。そうアンに理解してもらえるように、まずは仲良くなるところから始めよう。分かってもらえたら、色々と協力してくれるかもしれないしね。




