第2章 人間みたいな猫に導かれて
一
下校の時間になった。昨日のことがあって、何となく真っすぐ家に帰りたくない。「おーい。なんか今日一日、暗くない? 」
ミドリが声をかけてくれた。ソフトテニス部のエースは、こういう時結人の変化に敏感だ。そういえば、うちで飼っているマーブルも、ちょっと寂しそうにしていると、寄り添ってきてくれたりする。猫って、人間の気持ちがわかったりするのかな。ミドリも猫並みにするどい何かを持っているのだろうか。
「あ、うん。昨日ちょっと親と喧嘩ってほどでもないんだけど……」
「ええ! ナオが? 珍しいね」
「いや、大したことじゃないだけどさ」
「ふーん。相談にのろっか? 」
「いや、大丈夫だよ。ミドリは部活あるじゃん」
「いや、まあ、そうだけど」
「ホント、大したことじゃないから、大変になったら話すよ」
「ふーん。じゃあまあ、無理しないでね」
「うん。ありがとう」
ミドリに声をかけてもらったのは嬉しかった。でも、何となく、ミドリにも言いたくなかった。かと言って、私は今日部活もない。帰路に着く以外にあまり選択肢もなく、いつもの流れに沿って下駄箱に行って、靴に履き替えようとすると、紙が一枚ひらりと鞄から出てきて床に落ちた。
「あ、これ」
『木になる絵本屋さん』と書かれた名刺だった。別に名前がそうだから気になったわけではないが、裏に書いてある地図を見てみた。
「あ、意外と……? 」
学校から家に帰る通学路から、そう遠い場所ではなさそうだった。手書きで書かれていて、いまいちわかるようなわからないような地図だったけれど、真っすぐ家に帰る気になれなかったので、そこを目指してみることにした。
ニ
地図のとおりと思われる道を進む。通学路からはずれた道を行くと、商店街のような場所に出た。地図にも商店街と思われるものが記されている。この商店街の中……?「ええっと、商店街だよね? そんな店あったかな? 」
この商店街は、昔何度か来たことがある。正直、そんなに人通りも多くないし、シャッターが閉まっている店も多い。雰囲気もちょっと暗いし、あまり好き好んで来てみようと思う場所ではなかった。昔は、もっと活気があったのだろうか?
そんな活気のない商店街を歩いていると、一匹の猫を見つけた。茶色い色をしていて、猫らしく、愛嬌とそっけなさが同居しているように見えた。猫も私の方を見ている。
「あ、猫。かわいい」
と思って近づいていく。野良猫だと噛みつかれることもあるかもしれないから、近くに行って、しゃがみこんで、ちょっと猫の顔を覗き込んでみる……
「え! 何で!? 」
思わず声を上げて目が丸くなった。私が猫の顔を覗き込んでみると、突然、その猫は、すくっと立ち上がり、すたすたと歩き始めたのだ。二本足で、まるで人間みたいに……その人間みたいな猫は、ちょっと浮世離れしたような、達観した表情をしていたが、こっちにおいでと誘っているように見える。不思議な出来事だったけど、狭い路地の方へ向かう猫の後を、自然と追いかけている自分がいた。
「おーい、どちらへ行くんですかぁ? 」
「……」
「聞こえてますかぁ? 」
「……」
答えてくれない。歩くのは人間みたいなのに、人間の言葉は通じていないのだろうか。生暖かい風が通る路地を抜け、その後も目的地があるのかないのかわからない人間みたいな猫の後を付いて行くと、看板があった。「木になる絵本屋さん ↓」と書かれている。
「あ……」
目的地にたどり着いたようだ。矢印の方向へ向かうと、確かに喫茶店のような店がある。店を見つけると、猫はいつの間にかどこかへ消えていた。まさか、案内してくれたのだろうか?
三
「ごめん下さい……」
小さな声を出しながら、恐る恐る中に入ってみる。
「どなたかいらっしゃいませんか……」
店の中に入ると、確かに本屋さんのようだ。十帖くらいのスペースに、本が並んでいる。ディスプレイの仕方も工夫されている。表紙が美術館に設置されている絵画のように目線の高さで見えるようにされていたり、平積みされた本も表紙が見やすくなるようちょっとだけ傾けて立てられたりしている。本や本棚にはホコリひとつつかずにキレイに掃除されている。誰か人がいて、この場所を整えているのは間違いない。
それに、店の中は、木の香りが心地よい。丸い形の窓もあって、外からの光が差し込み、光の筋が見えている。まるでこの本屋そのものが、絵本の世界の中みたいな、柔らかな空間だった。
「あら、久しぶりのお客さんね。いらっしゃい」
内装と雰囲気に見とれていると、急に声を掛けられた。人がいることは予想していたけれど、突然のことだったので、ちょっとびっくりしていた。声の方を向いてみると、三十歳前後くらいだろうか。髪の長い、ロングスカートの似合う女性がいた。きれいな人だった。ちょっとお母さんに似てる、かな? いや、お母さんよりだいぶスリムではあるけれど……
「あ、すみません。勝手に入ってしまって」
「いいのよ。お店は今日開けている日だったから。もしかして、あの子に案内されたのかしら? 」
「あの子? 」
女性の目線の先を見ると、先ほど二本足で歩いていた猫がいる。もう二本足で歩いてはおらず、身体を丸めて寝そべっている。まるで普通の猫みたいだ。もしかして、猫が猫を被って普通の猫の演技をしているのか? 見間違いだったということもないはずだけれど……疑問を確かめるべく、女性に尋ねてみた。
「おかしなことをお尋ねするかもしれませんが……」
「ええ、どうかしたの? 」
「あの猫、二本足で立って歩いたりします? 」
「うん、よく二本足で歩いているわよ。あの子、まるで人間みたいなところがあるのよね。でも、普通に四つ足で歩いているときもあるし、気まぐれなのかしら」
なるほど、ここでは、二本足で歩く猫も、大して珍しいものではないらしい。猫もそうだけれど、この「木になる絵本屋さん」のことも気になる。
「もしかして、あなたがマーサさん」
「ええ、そうよ。もしかして誰かにここを紹介されて来てくれたのかしら? 」
「はい。松尾アキコさんという方に」
「ああ、アキコさんね。なるほどなるほど。今日来る予定だけど、まだ来ていないわよ」
「看板に『木になる絵本屋さん』と書いてありましたが、ここは絵本屋さんなんですか? 」
「ええ、そうよ。見ての通り」
「どんな本が置いてあるんでしょうか? 」
「ここに置いてある絵本は、ちょっと変わっていて、誰かの人生から生まれているの」
「誰かの人生? 」
「そう。あの窓の外に見える大きな木があるでしょ。このお店でお話したことは、あの木が聴いているみたいで、自分のこれまでの人生とか、今考えていることについて色々お話してもらうの。そうしたら、いつの間にか木の実ができるみたいに絵本ができるのよ」
そう言われて丸い窓の外を覗き込んで見てみると、広い草原のような場所に、大きな木が一本生えていた。ものすごい大きくて、高さは三十メートルくらいはあるだろうか。あんな大きな木、さっき歩いていた時は見つからなかったのに。それに、あんな狭い路地を入ってきたのに、窓の外がこんなに広いなんて……
「えーっと、あなたのお名前は……? 」
「あ、ナオといいます」
「ナオさん。はじめまして。よろしくね。せっかくだから、どれか本読んでみる? 」
「え、あ、はい」
絵本は、小さいころによく母から読み聞かせをしてもらっていた。自分で読めるようになってからも、しばらく夢中になって絵本を読んでいた時期がある。そういえば、自分で絵を描くようになったのも、絵本を読んでいたのがきっかけだったかもしれない。
「どれかおススメはありますか? 」
「そうね、色々あるけど、これなんかどうかしら? 」
「はい。ありがとうございます」
マーサさんから手渡されたのは「ロボットのシロ―」というタイトルの絵本だった。表紙には、ロボットのような、人間のような人物が描かれている。おそらく表紙のこの絵が「ロボットのシロ―」なのだろう。「ロボット」という響きと矛盾する柔らかなタッチで描かれていた絵に面白味が感じられた。
「これを読んでみます」
「その本は、私がここで店長をするようになってから最初にできた本よ。ぜひ楽しんで」
「はい」
何だか不思議な場所。そこで巡り合った絵本には、こんな物語が綴られていた。




