第20話:【電脳の守護者と銀の姫】
タワーマンションの北側に位置する一室は、わずか一晩で異界へと変貌していた。
無数の青いLEDが明滅し、冷却ファンの低音がうなる。その中心で、一条潤――Jは、エナジードリンクの空き缶に囲まれてキーボードを叩いていた。
「……颯太郎兄、この部屋の回線、あと三本増やして。……帯域が足りない。眞白様の尊い粒子情報を送るには、これじゃあ細すぎる」
「お前、引っ越してきて早々それかよ……。ほら、眞白さんが挨拶したいってさ」
俺がドアを開けると、背後から眞白さんがおずおずと顔を出した。
「……其の方が、あの『壁から喋る式神』の正体か?」
「あっ、こいつは『スマートホーム』とはまた別の存在です」
「む、そうなのか。……それにしても颯太郎。此の者はまことに人間か? 顔色が死人のようではないか」
眞白さんは、潤の真っ白な肌と深い隈を見て、本気で心配そうに眉を寄せた。
潤は椅子を回転させ、じっと眞白さんを見つめる。
「……平安の生ける伝説。……解像度、無限大。実物は、データよりずっと……暴力的な美しさ」
その瞳には、恐怖も敬意もなく、ただ純粋な観測者としての狂気が宿っている。
潤はふらふらと立ち上がると、眞白さんの周囲をぐるりと一周した。
「……あ、あの、潤殿? 何故そんなに凝視するのだ。……私の顔に、何かついておるか?」
「……まつ毛の長さ、推定8ミリ。……虹彩の色、既存のパレットにない銀色。……眞白様、そのまま動かないで。……今、3Dスキャンして保存するから」
「す、すきゃん? 待て、それは私の魂を抜く法具か!?」
潤が取り出した最新鋭の手持ちスキャナーに対し、眞白さんが結界を張ろうとして俺が止める。そんなドタバタが数分続いた後、ようやく潤は満足したのか、再び椅子に深く沈み込んだ。
「……颯太郎兄。……一条の本家は、眞白様を『呪具』としてしか見てなかった。……でも、それは間違い。……眞白様は、人類が到達した最高の『情報の特異点』。……ボクは、これを守るために本家を捨てた」
「絶対やりすぎだと思うぞ。結果的にはありがたいけど」
しがらみだらけの本家から追い出されたことを彼女は自分なりにそう理屈づけているのだろう。俺は軽くツッコむ程度で、無理に否定することはしなかった。
潤がモニターに、一条家が管理している『古びた紙の台帳』をハッキングした画像を映し出す。
「ボクの判断は間違ってない。……あいつらは、古い紙に縛られて、眞白様の真の価値を汚している。……だからボクは、デジタルで眞白様の永遠を作る」
「……潤殿。其の方の言っていることは半分も分からぬが……。私を、呪術師どもの道具ではなく、一つの尊きものとして見てくれているのだな?」
眞白さんが歩み寄り、潤の細い肩にそっと手を置いた。
「……うむ。其の方は少し不気味だが、その瞳に宿る熱は、颯太郎と同じだ。……よかろう、私の『すきゃん』とやら、好きにするが良い」
「……っ!! ……眞白様が、ボクに触れた。……バイタル急上昇。……、今すぐ心拍データをアーカイブして。……これは、聖域の脈動」
「お前、職権乱用するなよ……」
俺は呆れつつも、二人の間に流れる不思議な一体感に安堵していた。一条家という巨大な過去を捨てた、アウトサイダー同士だ。
「……よし、J。ネット上の防衛網は任せたぞ」
「……了解。……眞白様の一ドットも、一条の汚れには触れさせない。……ボクが、この世界のネットワークを全部、眞白様の神域にしてあげる」
モニターの光に照らされた潤の横顔は、不健康ではあったが、かつて一条家にいた頃には決して見せなかった、誇り高い戦士のそれだった。




