第19話:【謎のモデレーター】
タワーマンションの最上階。最新鋭のワークステーションが並ぶ機材室で、俺は額の汗を拭った。
「……くそっ、やっぱり一条の本家が裏で動いてるな」
画面には、前回の『お着替え配信』のアーカイブと、現在進行形で荒れ狂うSNSのログ。
「颯太郎、また『板』が真っ赤だぞ。何やら、私のことを『CG』だの『AI』だの、不吉な呪文が並んでおるが……」
「それはまだマシな方です。一条家の工作員がスクリプトを組んで、誹謗中傷の爆撃を仕掛けてきてる。……俺の自動フィルタリングじゃ、もう限界だ」
同時接続数が一万人を超え、アーカイブの再生数も十万回を超えてくると、その対応はもはや俺一人の手には負えなくなっていた。何か根本的な対応策を考えねばなるまい。すぐに対処するとなると、どんな方法があるか――。
そう頭を悩ませていた時。アーカイブの荒れ果てたコメント欄に異変が起きた。
一瞬だった。それまで何千件と書き込まれ、現在進行形で増え続けていた罵詈雑言が、文字通り消滅したのだ。
代わりに、整然と並ぶ応援コメントと、一筋のログが管理画面に残される。
// Security Level: 0 -> 9. Cleaned by J. //
「J? 何者だ……!? 外部から俺のサーバーに割り込んで、工作員のボットだけを焼き切った……?」
俺は即座に指を動かし、その『J』と名乗る介入者の足跡を辿った。
一条家仕込みのバックドア、そして俺が組んだ独自の暗号化。それらを軽々と飛び越え、痕跡を残さず去ろうとする影。
「逃がすか……! 術式をハック。逆探知、開始!」
数分の電子戦。俺は機材室の全ての演算能力を注ぎ込み、ようやくその発信源を特定した。
――それは港区の華やかな光とは対極にある、秋葉原の片隅に立つ古びたビルの一室だった。
踏み込んだ一室。六枚の巨大モニターが放つ青白い光の中に、その少女はいた。
「……颯太郎兄。相変わらずセキュリティがガバガバ。見ててイライラする」
オーバーサイズの黒いパーカーのフードを深く被り、首には猫耳型のヘッドセット。モニターには、眞白さんの配信映像が、見たこともないほどの超高画質で複数のアングルから解析・表示されている。
「……一条、潤。お前、本家から消えたって聞いてたけど」
「……本家は、データに対する敬意がない。眞白様の『黄金比』を理解できない老害ばかり。……だから、ドロップアウトした」
「ま、眞白様……?」
潤は椅子を回転させ、俺を睨みつけた。フードから覗く瞳には深いクマがあるが、その奥には天才特有の冷徹な知性が宿っている。彼女は一条家の傍系で、かつて『電子呪術の申し子』と謳われた少女だ。
だが、話を聞く限りではどうやら居場所をなくした同士らしい。家を出たというのも、彼女なりの強がりなのだろう。
狭い室内をちらりと見る。サイドボードの上には封筒の山があった。督促状と請求書の束だ。かつての俺と同じで暮らしぶりはあまり良くないようだ。
「……さっきのモデレート。あれはお前がやったのか?」
「颯太郎兄の組み方は論理的だけど、美しくない。ボクが最適化した。……それより、本題。眞白様の『4K・未圧縮・無修正アーカイブ』への生アクセス権をちょうだい。……そうすれば、アンチも、本家の刺客も、ネットのゴミは全部ボクがゴミ箱に叩き込んであげる」
潤がキーボードを叩くと、俺のスマホにデジタルの契約書が届く。そこには、配信の警備、動画編集、さらには一条家からのサイバー攻撃に対する迎撃プランが完璧に記されていた。
「……条件はそれだけか?」
「……あと、眞白様の髪の毛の揺らぎを240fpsで記録できる専用サーバーを用意して。……あれは、現代の奇跡。情報の暴力。守る価値がある」
彼女の視線が、モニターに映る眞白さんの瞳に釘付けになる。その熱量は、もはやエンジニアとしての興味を超えて、狂信的な『推し』のそれだった。
「お前の提示する条件は別に問題ないんだけど……給料は要らないのか?」
「……給料?」
潤はじっとりとした目で俺を見てくる。目つきの悪さを隠そうともしていない。
「この契約書だとお前に支払う賃金が何も書かれてないぞ」
「そんなもの必要ない。この手で眞白様の情報に触れられるだけで十分」
「そうは言うけど、働いてもらうのに全くお金を支払わないってわけにはいかないよ。眞白さんのおかげで俺だってそのくらい支払える余裕はあるし」
「しつこい。グダグダ言うならボクは……」
その時だった。潤のスマホの着信音が鳴る。
「……少し静かにしてて」
潤は溜息を吐くとコンソールを操作し、ヘッドセット越しに通話を始めた。
「……はい。はい。すみません。すぐに振り込みます。今日か明日には。……すみません。じゃあ」
通話が終わったのか、潤は再び大きく溜息を吐く。
「……言っておくけど、余計な詮索はやめてね」
「そんなことはしないよ」
潤は視線を逸らしたままポツリと言う。
「お給料。いくら?」
「えっ」
「10924円くらいは出る?」
やたらと具体的な金額だ。何の支払いかは知らないが、先ほどの電話で催促されていたものだろうか。
「……一ヶ月の給料で考えれば最低でも桁が一つ違うと思う。俺も人を雇ったことはないから給与とか労働条件は一緒に相談して決めることになるけど」
「前借りは可?」
「それも応相談で」
潤は椅子の上で正座をして俺の方に向き直る。
「分かった。なら、契約書を作り直す」
「詳しい条件はさっきも言った通り一緒に相談して決めよう。よろしくな、J。今日からお前が俺たちの『守護神』だ」
「……了解。……仕事の邪魔。颯太郎兄はさっさと帰って。……眞白様の『素材』、待ってるから」
潤は、話は終わりだとばかりに椅子を回転させる。
「そのことなんだけど」
「……まだ何か?」
顔も向けずに不機嫌そうな声だけが返ってきた。だが、俺はくじけない。一条家を追い出されたばかりの頃の俺もこれくらい捻くれていたはずなのだ。
「俺のマンション、まだ部屋が空いてるんだ。お前さえよければ部屋を用意できるけど、どうする?」
「颯太郎兄と同居……? もしかして初めからそれが狙い? 給料を払うとか恩着せがましいことを言ってボクに手を出す気なんだ」
あからさまに軽蔑したような声。勘違いも甚だしい。俺もさすがに腹が立ってきた。
「だ、出すわけないだろ! 親戚でしかも年下の女子に! 何より俺には眞白さんがいるし!」
「颯太郎兄、眞白様とどういう関係……?」
「あっ、いや。関係としては……眞白さんは呪術配信者で俺はただのプロデューサーだけど……」
気まずさで視線を逸らす。俺がただ眞白さんのことを大切に思っているだけなのだし、本来なら何もやましいことはないのだ。潤はそんな俺を訝しげに見てくる。
「……まあ、いいけど。ボクの体が目当てじゃなかったら、どうして?」
潤は血色も悪いし、体格も貧相だ。どこからそんな発想が出てくるのか実に謎である。彼女の負担を少しでも減らしてやりたいという俺の善意をもう少し素直に受け取って欲しいものだ。
「俺の拠点に引っ越せば家賃は浮くし、近い方が仕事もしやすいだろ。社員寮みたいなものだと思えばいい。それに……」
俺はもったいぶるように溜めて言った。
「眞白さんと同居だぞ」
その瞬間、潤は椅子から飛び降りた。この部屋で対面してから今までで最も機敏な動きだった。
「すぐ引っ越す。颯太郎兄、荷造りを手伝って!」
こうして、俺たちのチームに、世界最強の『闇の技術屋』が加わった。
一条潤。彼女の加入により、俺たちの配信は、もはや誰も手出しできない『聖域』へと昇華されようとしていた。




