第89話 砂漠の民
ウェーノ村の朝は、いつも通り穏やかに始まった。
エルフたちが木々を揺らして心地よい風を運び、マーメル族の歌声が遠くの池から響いてくる。アインがキッチンで腕を振るい、漂ってくる朝食の美味しそうな匂いに、「朝食ができるまで庭で遊んでるね!」と言っていたユーヤが「腹ペコゲージが限界!」とリビングに飛び込んでくる。
そんな平和な朝食後のティータイム。
トーヤが淹れたてのコーヒーを一口飲んだその時、テーブルの上に置いてあったスマホがブブッと震えた。ソーヤとユーヤのスキルで創り出された、この異世界には似つかわしくない遠距離通信用の魔道具である。
画面に表示された『レオニス国王』の文字を見て、トーヤは通話ボタンを押す。
「おはようございます、レオニス陛下。こんな朝からのご連絡は珍しいですね。」
『おお、トーヤ殿! 朝早くからすまない。実は、緊急の事態が起こってな……。』
スピーカー越しに聞こえるレオニスの声は、いつものお茶目な響きを潜め、国王としての緊迫感を帯びていた。
『実は、南端の砂漠地帯に住む、砂漠の民サンドリア族から伝書鷲で救援要請が届いたのだ。彼らの国サフラームが、一週間以上も猛烈な砂嵐に見舞われ、危機的状況にあるらしい……。アトレイアまでその事を伝えてくれた伝書鷲も無理をしたのだろう……。かわいそうな事に、すぐに息を引き取った……。』
「一週間以上も砂嵐が……。それは尋常じゃないですね。」
トーヤの言葉に、横で聞いていたソーヤも真剣な表情で頷く。
『うむ。我がアトレイア王国もゼルディア帝国と連携して救援部隊を向かわせる予定だ。だが、サフラームは大陸の南端……。しかも、砂漠地帯となると、いかに急いだとしても、我々の足では到着までに時間がかかりすぎる。どうか、ウェーノ家の力で先に向かってもらえないだろうか……。』
国を背負う王が、他国の民のために頭を下げる。レオニスらしい情に厚い願いに、トーヤが断る理由はなかった。
「わかりました。詳しい場所を教えてください。すぐに向かいます。」
通話を終えると、トーヤは家族を見渡した。
「というわけだ。みんな、少し南の砂漠まで出かけるぞ!」
「はいはーい! 新マップだね!」
「ユーヤ、遊びじゃないんだから気を引き締めろよ!」
「ふふ、じゃあお弁当を作っていきましょうか。砂漠でも食べやすいように、さっぱりしたサンドイッチがいいわね♪」
マイペースなアインの言葉に苦笑しつつ、トーヤは庭で日向ぼっこをしていたクロに声をかけた。
「クロ、出番だ。サフラームまで頼む」
「わかった! いっくよ〜。」
そう言って、クロが一気に巨大化し、威風堂々たる漆黒の竜の姿となる。ウェーノ家四人を背に乗せると、クロは力強い羽ばたきと共にウェーノ村の空へと舞い上がった。
◆
レオニスから聞いた方角に向かって、ウェーノ家を乗せたクロは、一直線に空を南へ飛んでいく。
緑豊かだった眼下の景色は次第に荒涼とした岩肌に変わり、やがて視界の先に見渡す限りの黄金色の砂漠が広がってきた。
それに伴い、気温が急激に上昇し始める。
「あつ〜い……ダメだ。僕のHPがガリガリ削られていく……スリップダメージがきつい……。」
クロの背中の上で、ユーヤが完全に溶けたスライムのようにダレていた。
トーヤは呆れたようにため息をつくと、そっと指先を上げる。
「まったく、到着する前からバテてどうするんだ。そら、《アイス・フィールド》。」
トーヤが放ったチート魔法により、クロの背中の周囲だけがふわりと心地よい冷気に包まれる。あれだけ暑かった真夏の砂漠上空から、まるで春の木陰のような快適な空間へと一変した。
「うおおぉぉ! 涼しい! 完全復活! さすが父さん!」
「涼しいわね〜。これならお弁当も傷まなくて安心ね〜。」
「母さん、危機感がなさすぎるよ……。」
アインののんびりとした様子に、ソーヤが的確なツッコミを入れる。
そうこうするうちに、前方に巨大な土煙のようなものが見え始めた。
「あれがサフラームなのか? 砂嵐で何も見えない。酷いな……。」
そう言いながら、トーヤが目を細める。
レオニスが言っていた通り、そこは一面が猛烈な砂嵐に覆われており、国の輪郭はおろか、街の形すら全く見えない状況だった。分厚い砂の壁が、すべてを飲み込んでいるようだった。
「クロ、いったんあの砂嵐の手前に着陸してくれ。」
「わかったよ。風が強いから、しっかりつかまっててね。」
そう言って、クロがいつも以上に慎重に着陸する。
地上に降り立ったトーヤたちは、吹き荒れる砂嵐の壁を見上げた。
「まずはこの嵐をどうにかしないとな。」
トーヤは一歩前に出ると、両手を広げて魔法を構築する。
「《ウィンド・コントロール》——からの《サイクロン・パージ》!」
トーヤの《アーク・ウィザード》によって生み出された圧倒的な魔法が発動し、嵐を巻き起こしている風そのものを強引に相殺して消し去る。
そして、一瞬にして、砂漠に静寂が訪れた。
「これでよし!」
トーヤが安堵したのも束の間だった。
「え……?」
ユーヤが声を漏らす。風は完全に止んでいるというのに、地面から砂がボコボコと湧き上がるように宙に舞い上がり、瞬く間に再び巨大な砂嵐を形成してしまったのだ。
「風もないのに砂が舞うなんて……。明らかに、自然現象の砂嵐じゃないな。何かの呪いか、魔道具の暴走か……。」
トーヤが顎に手を当てて考え込んでいると、横からソーヤが進み出た。
「父さん、僕も一度試してみるね。」
「ソーヤ? ああ、頼む。」
ソーヤは砂嵐の最前線まで歩み寄ると、静かに地面の砂に両手をついた。
彼の瞳に、冷静な職人のような光が宿り、《ジェネレーター》の力が発動する。
「書き換えるよ。——『この砂漠の砂は、砂嵐を引き起こすことはできない』。」
ソーヤの口から静かに紡がれた言葉が、概念として砂漠全体に波紋のように広がっていく。
その瞬間だった。
意思を持っているかのように荒れ狂っていた砂嵐が、まるで時が止まったかのようにピタッと空中で静止した。そして、重力に引かれるままにサラサラと無害な砂となって地面へと落ちていった。
舞い上がっていた砂塵が完全に晴れると、そこには美しいドーム型の建造物が立ち並ぶ、サフラームの街が姿を現した。
「おお……! 砂嵐が……砂嵐が消えたぞ!!」
「奇跡だ! 神がお救いくださった!!」
街の入り口付近で絶望に暮れていたサンドリア族の人々が、信じられないものを見たという顔で歓喜の声を上げ始めた。
そこへ、豪奢だが砂まみれになった衣装を纏った精悍な青年が、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「おお、我らを救ってくださったのはあなた方ですか!? レオニス王から凄腕の救援が向かうと知らせは受けていたが……、まさか、いとも簡単にあの忌まわしき砂嵐を消し去るとは!」
男性はトーヤたちの前で深く、深く頭を下げた。
「申し遅れました。私はサフラーム国王、ナディルと申します。よくぞ我らの国を救ってくださいました。どうか、少しの間だけでも我が国に滞在していってください。」
ナディル国王の案内で街へ足を踏み入れるウェーノ家一同。
ユーヤはすでに周囲の珍しい建造物に目を輝かせ、アインは「砂漠のスパイス料理、教えてもらえるかしら?」と微笑んでいる。
砂漠の国に、いつものウェーノ家の温かな風が吹き込もうとしていた。




