第82話 初めてのお使い
ウェーノ村の朝は、いつものように多種族が入り乱れる活気と穏やかな空気に包まれていた。
生活支援型の元NPCリィナの心には、ある密かな決意が宿っていた。
「……マスターのために、サプライズでケーキを作ります!」
ユーヤを「マスター」と呼ぶ彼女は、この世界に召喚されて以来、現実とゲーム世界の違いに戸惑いながらも、ウェーノ家や村のみんなの温かさに触れて「生きる」ということや「家族」というものを実感し、徐々に人間味を帯びてきていた。
そして、いつも優しくしてくれるユーヤに、何とかして感謝の気持ちを伝えたい。そんな気持ちから、リィナは自らの脳内でシステムウィンドウを開き、ピッと新たなタスクを設定した。
【新規クエスト発生:ケーキの材料を街に買いに行く(難易度:C)】
「これは、私に課せられた初めての『おつかい』クエスト……。必ずコンプリートしてみせます!」
静かに決意を固めたリィナは、ハクに街までの移動をお願いして、ウェーノ家の誰にも告げず、ハクの背に乗ってリベルタスへと一人で向かった。
「お出かけ楽しい〜!」と愛らしい声を上げながら空を駆けるハク。リィナも心地よい風に吹かれながら、頭の中で買い物リストを再確認する。
(卵に、小麦粉、砂糖に、ミルク。あとは、盛り付け用のフルーツなどなど。)
買い物リストは完璧だったし、移動もスムーズだった。
だが、彼女たちは気づいていなかった……。
「おいユーヤ、本当にお使いなんてさせて大丈夫なのか?」
「心配だよ! だってリィナ、まだゲームの常識が抜けてないもん!」
心配のあまり、ユーヤとソーヤが、クロの背に乗って、こっそり上空から後をつけていたことに……。
◆
リベルタスの街に到着したリィナは、肩乗りサイズのハクを乗せて、活気ある市場へと歩き始めた。
「さて、まずは資金の調達ですね。いくらか持ってきたものの、足りないと困りますので……。」
そう言って、リィナは迷うことなく、近くの民家の軒先に置かれた立派な壺の前に立った。ゲーム世界において、他人の家の壺は壊してアイテムや資金を回収するためのオブジェクトなのは言うまでもない。
リィナが躊躇いなく壺を高く持ち上げ、地面に叩きつけようとした、その瞬間!
パリーンッ!……シュルルルッ、ピタッ!
「……?」
割れる心地よい音がしたはずなのに、なぜか壺は寸分違わず元の姿で地面に置かれていた。
上空からこっそり見守っていたソーヤが、《ジェネレーター》 を発動し、壺が割れた直後に再構築(復元)して事なきを得ていたのだ。
「ふぅ……危ねぇ……。俺がいなかったら今頃、犯罪者だぞ……。」
冷や汗を拭いながら、安堵のため息を吐いた。
「兄ちゃん、ナイスカバー!」
ユーヤもホッと胸を撫で下ろしている。
一方、壺が割れてないことに、首を傾げたリィナだったが、「バグでしょうか?」とあっさり納得し、今度は道行く街の人に情報収集を試みた。
「すみません、卵と小麦粉はどこで手に入りますか?」
「今日はいい天気だねぇ!」と笑う八百屋のおじいさん。
「卵と小麦粉はどこで手に入りますか?」
「今日はいい天気だねぇ!」
「……!」
同じ言葉しか繰り返さないおじいさんに、リィナは衝撃を受けた。
(もしかして、この方もNPC……! この世界にも、私と同じ決められたセリフしか喋らないNPCが存在したのですね……!)
※ただ単に、おじいさんは耳が遠く、リィナの声が聞こえていないだけだった。
「さっきから、未知のバグが多すぎますね。万が一に備えて、一度教会で『セーブ』をしておきましょう。」
真面目な顔で教会へ向かおうとするリィナを見て、上空のユーヤは再び頭を抱えた。
「違うよリィナ! 現実世界はセーブなんてできないから!」
◆
結局、教会が見つからず、『セーブ』を諦めたリィナは、買い物を続けていた。その途中、ケーキの材料を求めてうっかり冒険者ギルドに迷い込んでしまった。
荒くれ者たちが集うギルドの扉を開け、「ケーキの素材をドロップするモンスターの討伐クエストはありますか?」と尋ねるリィナ。
受付のミレイアは、見慣れない少女に首を傾げた。
「えっと、どちら様でしょうか?」
「私はウェーノ村のユーヤ様の生活支援型元NPC、リィナと申します。」
『ウェーノ』その単語が出た瞬間、ミレイアの顔からサァーッと血の気が引いた。
かつて、ウェーノ家が冒険者証の発行を求めてギルドに来た際、彼女たちを大いに悩ませ、絶望的なまでに震え上がらせた記憶がフラッシュバックしたのだ。
「ウ、ウェーノ村の関係者様ですかぁぁぁっ!?」
ミレニアの異常な声と『ウェーノ村』というフレーズに、ギルドマスターも奥から転がるように出てきた。
「ご、ご要望はすべて承ります。な、なんなりと! 卵でも小麦粉でも、ギルドの総力を挙げて手配いたします!」
「まぁ、ありがとうございます。これでクエスト達成ですね♪」
◆
なんだかんだあったものの、無事にケーキの材料を買い揃えて村に帰還したリィナ。
アインの優しい指導のもと、不器用ながらも一生懸命に生地を混ぜ、クリームを塗り、フルーツを盛り付け、ついに手作りのケーキが完成した。
「マスター……。こちら、サプライズのケーキです。いつもありがとうございます!」
ユーヤは突然のプレゼントに目を丸くした後、嬉しそうにフォークで一口食べた。
「ありがとう、リィナ! すっごく美味しいよ!」
満面の笑みでそう褒められた瞬間。
リィナの青い瞳から、ぽろりと透明な雫がこぼれ落ちた。
「……あれ? 水分排出のエラーでしょうか……?」
頬を伝う温かい滴に戸惑うリィナに、アインが優しく微笑みかける。
「違うわよ、リィナちゃん。それはね、『嬉し涙』っていうのよ。ユーヤのために一生懸命がんばってくれて、それが報われた嬉しさが心から体に伝わったのよ。」
「嬉し……涙? 心から体に? 私にも心があるのでしょうか?」
「もちろんよ!」
「当たり前じゃん!」
そう言って、アインとユーヤもリィナの言葉を疑いもなくすぐさま肯定する。
ただのNPCだった少女が、初めて「人間の感情」を知り、心を震わせた温かくて甘い、感動的な結末だった。




