第81話 ご褒美防衛戦
かつてゼルディア帝国を滅ぼし、絶望の象徴とまで恐れられた元大悪魔ルシファー(通称ルー)。
彼がウェーノ村にやってきてから、それなりの時間が経過し、今や村の生活にすっかり馴染んでいた。
「ふっ! はっ!」
パカーン! パカーン!
村の広場の隅で、見事な手際で薪を割っていくルー。
その姿には、かつての禍々しいオーラは微塵もない。薪割りが終わると、今度はウェーノ家の巨大な畑へ向かい、エルフ族やトレント族に混じって黙々と石拾いの雑務をこなす。さらに午後には、エルフの子供たちを前に、魔法の基礎理論を熱心に教えてい
た。
「よいか、魔力とはただ放出するのではない。己のイメージと世界を同調させるのだ……って、こら、そこ! 居眠りをするな!」
元々の生真面目な性格が功を奏したのか、彼は今や村の貴重な労働力であり、頼れる魔法教師となっていた。
そんなある日のこと。
日頃の労働の汗を拭い、縁側で一息ついていたルーの元へ、ふんわりとした笑顔を浮かべたアインがやってきた。
「ルーちゃん、毎日村のお手伝いありがとうね。これ、お礼の特製おやつよ。」
そう言ってアインが差し出したのは、涼しげなガラスの器に乗った『とろける絶品王道プリン』だった。
カラメルソースが黄金色のプリンの上でキラキラと輝いている。
「……我に、褒美だと?」 戸惑いながらもスプーンを受け取り、ルーは一口分をすくって口へ運んだ。
「――っ!?」
その瞬間、ルーの脳内に雷鳴が轟いた。
滑らかな舌触り、卵とミルクの濃厚なコク、そしてほろ苦いカラメルソースが絶妙なハーモニーを奏でて口の中でとろけていく。そして、そのほどよい甘み労働で疲れた体に優しく染み込んでいく。
国王や竜王すらも虜にするアインの手料理だが、このプリンの悪魔的な美味しさは、元大悪魔の彼をもってしても抗いがたい魅力があった。
(な、なんだこの美味さは……! こんな恐ろしい食べ物がこの世に存在して良いのか!?)
あまりの感動に、ルーはスプーンを持つ手を震わせた。
あっという間に半分を平らげてしまったところで、彼はハッと我に返る。
(いかん、このままでは一瞬で無くなってしまう。残りの半分は、のこりの作業を終わらせてから、ゆっくりと時間を取って味わうべきだ……!)
そう決意したルーは、周囲を素早く見渡し、誰にも見つからない場所――自身の部屋の棚の奥深く――にプリンを隠すことにした。
だが、ここはカオスな面々が集うウェーノ村である。油断は一切できない。ルシファーは真剣な眼差しで、『冷蔵魔法』だけではなく、膨大な魔力をフルに無駄遣いし始めた。
プリンの周囲に最高位の『気配遮断』の魔法を何重にも施し、さらに『幻惑の結界』を張り巡らせる。かつて帝国を恐怖に陥れた大悪魔の力が、まさか食べかけのプリンを守るために使われるなど、誰が想像しただろうか。
「ふふ……これで完璧だ。神ですら、このプリンの存在に気づくことはできまい。」
ルーは満足げに頷き、再び村の雑務へと戻っていった。
しかし、彼のそのプリンのような甘い考えはすぐに打ち砕かれることになる。
数時間後、休憩のために自室へ戻ろうとしたルシファーの目に、信じられない光景が飛び込んできた。
「くんくん……なんか、すっごく甘くていい匂いがするぞ!」
今日も元気いっぱいのユーヤが、目を閉じたまま犬のように鼻をヒクヒクさせ、フラフラとルシファーの部屋へと近づいていたのだ。
(な、なぜだ!? 気配は完全に遮断しているはず……!)
実はユーヤ、食べ物への嗅覚に関しては並外れたポテンシャルを秘めていた。魔法の結界や幻惑など、彼の『食い意地』という名の本能の前では全く無意味だったのだ。
「あ、こんなところに美味しそうなプリンが!」
無意識に結界をすり抜け、ユーヤの手がプリンに伸びる。
「やめろぉぉぉっ!!」
ルシファーは間一髪で部屋に飛び込み、ユーヤの手からプリンを奪い返すように救い出した。
「せっかく美味しそうなプリンを見つけたのに〜。」
口を尖らせて去っていくユーヤを見送りながら、ルーは冷や汗を拭った。
「危ないところだった……。やはり、ウェーノ家の人間は規格外すぎる……。」
そう安堵したのも束の間、今度は背後から、神々しくも背筋が凍るような声が響いた。
「あら、ルー。こんなところでコソコソと、何か隠しているのかしら?」
振り返ると、ニコニコと笑みを浮かべたミカエルの姿があった。
「ミ、ミカエル……! なぜお前までここに……完璧な結界を張ったはずだぞ!」
「ふふっ、私を誰だと思っているの? そんな魔力の塊、逆に目立って仕方ないわよ♪」
ミカエルは優雅な足取りでルシファーに近づき、彼が隠し持っているプリンに視線を落とした。
「美味しそうなプリンね。もしかして、私に隠れて一人で食べようとしていたの? 悪いことを企んでいたら、天罰(没収)よ?♡」
笑顔のまま、圧倒的なプレッシャーを放つミカエル。その手は、すでにプリンの器の端に触れている。
「ま、待て! これはアインから貰った、我の……!」
「全部は食べないわよ? 半分こしてあげるから。ほら、貸しなさい♡」
抗うことのできない大天使の力にジリジリとプリンを引き寄せられ、ルシファーの瞳に絶望の涙が浮かびそうになった、その時だった。
「あら、ルーもミカさんもこんなところにいたのね!」
部屋の入り口から、ふんわりとした明るい声が響いた。
見れば、アインが大きな特大ボウルを抱えて立っていた。ボウルの中には、黄金色に輝く大量のプリンがなみなみと詰まっている。その後ろには、トーヤやソーヤ、ユーヤをはじめ、リルやミラ、リィナ、さらにはクロやハクまでが、目を輝かせて集まっていた。
「ルーちゃん、さっきは半分しか食べてなかったから。おかわり、たくさん作ったから、みんなで一緒に食べましょうね〜。」
アインのその言葉に、ミカエルの手がピタリと止まる。
「あら、特大サイズがあるなら、そっちのほうがいいわね。」
ミカエルは、あっさりとルシファーのプリンから手を離し、みんなと一緒にリビングへと移動した。
「ほら、ルーちゃんも早くおいで〜。」
アインに手招きされ、ルシファーは食べかけのプリンを手に、みんなの輪の中へ加わった。
「いただきまーす!」
ユーヤが元気よく叫び、ちゃっかり参加していたセレスティアが「美味しい〜!」と頬を抑える。クロとハクもスプーンを器用に使いながらプリンを堪能している。
賑やかな喧騒の中、ルシファーは自分の手の中にあるプリンと、みんなの笑顔を交互に見つめた。
「まったく……騒がしい奴らだ……。」
口ではそう文句を言いながらも、ルーの心は、先ほど食べたプリンのように甘く、じんわりと温かくなっていた。
元大悪魔がプリン一つで本気になる。そんな平和でカオスな日常が、今のルシファーにとって何よりの「ご褒美」なのかもしれない。




