第80話 概念の輪郭
雲一つない青空が広がる、のどかな昼下がり。
ウェーノ家の四人は、賑やかなウェーノ村の喧騒から少し離れた、村外れの小高い丘へとやってきていた。
爽やかな風が草波を揺らすこの場所へ集まったのには、もちろん理由がある。
ソーヤのスキルを試すためである。
「……本当にここでやるの? 父さん。」
少し緊張した面持ちで、ソーヤが自分の両手を見つめながら呟いた。
「ああ。万が一にも村の建物やみんなに影響が出たら大変だからな。ここなら遮るものもないし、練習するには最適だろう。」
トーヤがそう言って頷くと、背後から「ソーヤ、がんばってね」と、いつものふんわりとした笑顔でアインが声をかける。その隣では、ユーヤが「兄ちゃん、がんばって!」と目を輝かせて応援している。さらにその横には、ルシファーが心配そうにソーヤを見つめていた。
唯一、緊張感がないのがミカエルである。
どうやらミカエルは、神をも凌駕するかもしれないソーヤのスキルに興味津々で、その力を確認すべくやってきた様子であった。
(もし、ソーヤくんの力が本物で、神を超える力なのであれば、その時は……。)
表向きはニコニコと穏やかな笑顔を浮かべているが、心の中ではどす黒い何かがはっきりと蠢いていた。
「よし、じゃあソーヤ。まずは本当に『概念』の改変や創造ができるのか、比較的簡単で安全なことから確認してみようか。」
そういって、トーヤはポケットから一本の細長い物体を取り出した。アインが今日の昼食用に、自慢の畑から採ってきてくれた新鮮なニンジンだった。
「万が一、この世界の理そのものが書き換わってしまっても、できるだけ影響が小さいものにしよう。というわけで、これだ。」
「ニンジン? これで何をするの?」
ソーヤが不思議そうに首を傾げる。
「このニンジンの『ニンジンは野菜』という認識を、『ニンジンは果物』という認識に変えてみてほしいんだ。」
そう言って、ソーヤにニンジンを渡す。ソーヤはそれを受け取り、じっと見つめる。
その間に、トーヤはおもむろに懐からメモ帳とペンを取り出し、素早く文字を書き記した。
『このニンジンは本来は野菜だ。もし、これが果物という認識になっているようであれば、それは世界の概念が変わったという結果である。』
書き終えたメモをパタンと閉じ、ポケットにしっかりと仕舞い込んだ。
その一連の動作を見ていたソーヤが、ますます眉をひそめて首を傾げた。
「ねえ、父さん。さっきから何してるの? そのメモは何の意味があるの?」
「これか? これは、もしソーヤのスキルで世界の概念が本当に書き換わってしまった場合、俺たちの記憶や認識も一緒に書き換えられてしまう可能性があるだろ?」
トーヤは大真面目な顔で説明を続ける。
「もし世界中の誰もが『ニンジンは果物だ』と最初から思うようになってしまったら、概念が書き換わったこと自体に誰も違和感を持てなくなる。だから、そうなる前に『本来の事実』を自分へのメッセージとして書き残しておいたんだよ。」
「あ……なるほど。確かに、世界ごと変わっちゃったら、失敗したのか成功したのかすら分からなくなるもんね。さすが父さん。」
ソーヤは納得したように感心して頷いた。しっかり者の長男らしい、鋭い理解力だ。
「よし、じゃあ理解したところで、さっそくやってみてくれ。」
「分かった。……いくよ。」
ソーヤが小さく息を吐き、手の中のニンジンに意識を集中させる。
(この手に持っているニンジンは、本来は果物である――)
ソーヤが心の中で、その新たな「概念」を強く生み出していく。
その瞬間だった。
ゴオォッ、と大気が震え、ソーヤの全身から爆発的な、まばゆい光が放たれた。
「うわっ!?」
近くにいたユーヤが衝撃でよろけて、ソーヤにぶつかった。トーヤはあまりの眩しさに腕で目を覆う。眩い光に、丘全体が白一色の世界へと染め上げられたかのようだった。
やがて、その凄まじい光は徐々に収束し、元の静かな丘の風景へと戻っていった。
光が収まったのを見て、トーヤは腕を降ろしてソーヤの様子を伺う。
ソーヤは手の中のニンジンをぽかんとした表情で見つめていたが、やがて困ったように肩を落として、ため息をついた。
「……ごめん、父さん。やっぱりそう簡単にはいかないみたい。『ニンジンは野菜』っていう認識、全然変わらなかったから、スキルは失敗したみたいだね。」
「そうか…。」
トーヤは残念そうな、それでいて少しほっとしたような表情で頷いた。一方、ユーヤが立ち上がりながら、心配そうな顔をしてソーヤに問いかけた。
「兄ちゃん、何言ってんの? ニンジンは野菜じゃなくて果物じゃん! スキルのせいでおかしくなっちゃったんじゃない?」
「「えっ!?」」
ユーヤの発言に、トーヤとソーヤが思わず驚きの声を上げ、お互いの顔を見合わせた。
今しがたソーヤは、「ニンジンは野菜」だとはっきり言ったし、トーヤの頭の中でも、「ニンジンは土の中で育つ根菜、つまり野菜だ」という常識が残っていた。
一方で、ユーヤはニンジンを果物だと言った。念のため、トーヤがユーヤに確認する。
「ユーヤ。ニンジンは、野菜か果物かどっちだ?」
ユーヤが訝しげな顔をして答える。
「えっ? 父さんまでどうしたの? ニンジンは果物だって小学生でも分かるよ。」
「…………。」
トーヤは腕組みをして、考え込んだ。
(俺はもちろん、ソーヤにも何の変化もない。だが、ユーヤにだけ『ニンジンは果物』という認識の上書きが行われている……。スキルがうまく発動したのは間違いないが、なぜユーヤだけにスキルが作用したのか……。情報が少なすぎるな……。とりあえず、他にも試してみるか。)
念のため、アイン、ルシファー、ミカエルにもニンジンが果物か確認したが、全員が当たり前だというように、野菜だと答えた。
頭にいくつものはてなマークが浮かんでるユーヤはいったん置いといて、次の検証に移るトーヤ。
「まだ、検証が必要だが、少なくともスキルを使ったからといって、世界全体の理がひっくり返るような事態にはならなさそうだな。」
「そ、そっか……良かった。世界をバグらせちゃったらどうしようって、本当はちょっと怖かったんだ。」
ソーヤはホッとしたように胸をなでおろした。真面目で優しい彼らしい安堵の仕方だ。
「じゃあ、次は『認識』じゃなくて、物理的な法則の概念を変えたらどうなるか試してみよう。」
そう言って、トーヤはソーヤにもう一度指示を出した。
「今度は、『今手に持っているニンジンに、重力が影響しない』という物理的な概念を生み出してみてくれ。」
「分かった。……やってみる。」
今度は手のひらの上にニンジンを乗せて、意識を集中させる。
先ほどと同じように、ソーヤの全身がまばゆい光に包まれ、丘の上に光の柱が立ち上る。そして、光がすうっと収束していったとき――
「あ、浮いてる……!」
ユーヤが指をさして叫んだ。
ソーヤがそっと目を開くと、手のひらの上にあったニンジンは地面に落ちることなく、ふわりと宙に浮いていたのだ。風に流されることもなく、まるでそこだけ重力が消滅したかのように、完全に静止している。
「本当に重力の概念が消えたんだな……。よし、実験としては十分だ。ソーヤ、今与えたニつの概念――『果物であるという認識』と『無重力』を、元に戻すようにスキルを発動してみてくれ。」
「了解。元に戻れ……!」
ソーヤが三度、スキルを発動させた。細かな光の粒がニンジンを包み込む。
だが――光が消えても、ニンジンは依然として宙に浮いたままで、微動だにしない。
「あれ? おかしいな。戻らないよ?」
ソーヤが焦ったように何度もスキルを発動させるが、ニンジンはピクリともしない。
「父さん、やっぱり宙に浮いたままだ。ユーヤ、ニンジンって果物だっけ?」
「そうだよ。当たり前のこと聞かないでよ。やっぱり兄ちゃんなんか変じゃない?」
ソーヤの問いかけにまたもや首をかしげるユーヤ。
「やっぱり元に戻す概念が拒絶されてるみたいに、スキルが上手く働かないや。」
「ふむっ……。」
その様子にトーヤは顎に手を当てて、少し考え込む。そして、何かに気付いたのか、パッと顔を上げた。
「今度は、ユーヤとニンジンに触れて、同じようにスキルを発動してくれるか?」
トーヤの言葉に、ソーヤもピンときたようで、さっそく左手でユーヤ、右手でニンジンに触れ、再度スキルを発動する。
「元に戻れ!」
ソーヤが強く念じ、本日四度目のスキルが発動する。
すると、今度は確かな手応えがあった。まばゆい光が収束すると同時に、ニンジンは重力に従って、ストンッと地面の草むらの上へと落ちたのだ。
「あ、やった。ちゃんと落ちた!」
ニンジンが地面に落ちたのを確認し、ソーヤがユーヤに問いかける。
「ユーヤ、ニンジンって果物だよな?」
ユーヤはまたもや首を傾げながら答えた。
「だから〜。何回同じことを聞くの? さっきから『ニンジンは野菜だ』って言ってるじゃん! ねぇ、父さん。兄ちゃん大丈夫かな? スキルでおかしくなっちゃってない?」
本気でソーヤを心配しているユーヤに事情を説明しながら、
「ソーヤの『概念への影響』は、魔法のように空間全体に放たれるものではなく、あくまで『自身の手で触れているもの』だけのようだな。そして、それ以外の周囲や世界には、何ら影響を及ぼさないから、意図せずに世界を改変することはなさそうだな。」
「そっか!良かった……。」
緊張していたのか、ソーヤがふぅ~と安堵のため息を吐く。
「手で直接触れている対象の概念だけを局所的に書き換える……。だから、スキル発動時に俺とぶつかったユーヤの認識だけ改変されて、他のみんなの認識は変わらなかったんだね。同じように、宙に浮いていたニンジンも触れてなかったから何も起こらなかったんだね!」
相変わらず、理解の早いソーヤである。
「おそらく、その通りだと思う。触れている対象にだけ、そのモノの理を書き換えることができる。それがお前のスキルの効果範囲ということだな。」
ソーヤは自分の手のひらを眺めながら、ホッとしたような、どこか誇らしげな笑みを浮かべた。
「なーんだ、じゃあ世界が滅んじゃったり、ゲームのバグみたいに世界が壊れたりする心配はないんだね! よかった〜!」
ソーヤが緊張の解けた顔で笑い、ユーヤは理解が追いつかずキョトンとしている。「ふふ、これで安心してお夕飯の支度ができるわね」アインも嬉しそうに微笑み、一同の間にはすっかり安堵の空気が広がっていた。
――ただ、一人を除いては。
ミカエルはウェーノ家のみんなのところに歩み寄り、「大事にならなくて良かったわね〜。」とニコニコ笑っていた。が――
(『概念』を書き換えられるのは凄いですが、効果範囲が触れたもの限定とは、少しがっかりですね……。せっかくソーヤくんのスキルを利用して、神に成り代わろうかと思っていたのですが、残念……。まぁ、面白いものが見れたし、今日のところは良しとしましょうか。)
腹黒大天使は、その心の中で実はとんでもない計画を企てていたのであった。
背中にゾクッと寒気を感じながらも、ソーヤのスキルが世界を脅かすものではないと分かって心底安心したトーヤであった。
こうして、今日も世界に影響を及ぼす力を手にしたウェーノ家であった。




