第8話 不思議なお客様たち
ある爽やかな朝のこと。
ウェーノ家一同は、新しくなった広大な農場で、朝食のサラダに使うための瑞々しいエルフ特製野菜を賑やかに採取していた。
すると、長男のソーヤが、地面の土に奇妙な凹みがあるのを発見した。
「あれ? 父さん、母さん、畑の土に変な跡があるんだけど……。」
「あら〜、本当ねぇ。随分と大きくて平べったい跡だけど、誰かお客様かしら?」
アインがのんびりと覗き込む。ユーヤがその跡をじっくり観察し、ポンと手を叩いた。
「これ、どう見ても足跡じゃなくて、“巨大な蛇か何かが尻尾を引きずって歩いた跡”じゃない?」
「トカゲにしては大きすぎるな。魔物が入ってきたのか……? でも、守護像の結界はあるから邪悪な者は入れないし、畑の野菜が荒らされた形跡は一切ないが……。」
トーヤも警戒を高め、家族全員でその奇妙な一本の跡を辿っていくことにした。
跡は畑の端にある、ドワーフたちが整備してくれた大きな池へと向かって伸びている。
池の縁にたどり着いたその時、水面からひょこっと、太陽の光を浴びてキラキラと輝く“美しい青い髪”が飛び出した。
バシャァッ! と心地よい水音が響き、水面から一人の美しい女性が姿を現す。
「きゃっ!? に、人間さんたち!? ご、ごめんなさい、ここはあなたたちのお庭……ですよねっ!?」
水の中から現れた彼女は、上半身こそ異国風の美しい人間の少女そのものだったが、腰から下は、まるでサファイアを敷き詰めたかのように眩く光る青い鱗の尾ひれに覆われていた。
神話や童話に登場する、本物の『人魚族(マーメル族)』の少女だった。
「すげえ、本物のマーメル族だ! 人魚なんて初めて見た!」
「めちゃくちゃ綺麗! 隠しイベント発生だ!」
ソーヤとユーヤが少年らしい純粋な興奮で声を弾ませる。
トーヤは彼女を刺激しないよう、優しく問いかけた。
「驚かせてしまってすまない。私はトーヤ、ここの家主だ。どうして我が家の池に?」
少女は濡れた青い髪を気にしながら、水面からペコペコと何度も慌てて頭を下げた。
「ご、ごめんなさいっ! 私、近くの大きな川から水路を泳いで探検していたら、途中で迷い込んでしまって……。そしたら、この池からすっごく温かくて美味しそうな、良い匂いが漂ってきたので、ついフラフラと上がってきちゃいました……!」
怯える少女の様子を見て、アインはふんわりと微笑み、池の水面を見つめた。
「あらまぁ、かわいいお客様ねぇ。……ふふ、もしかして、家の池をお掃除してくれていたのかしら?」
アインの言葉に一同が池を見ると、驚いたことに、昨日まで少し濁っていた池の水が、底の小石までくっきりと見えるほど透き通っていた。
「は、はいっ! 私たちマーメル族は、泳ぐだけで周囲の水を完全に浄化する力を持っているので、私が一晩中ここでバタバタ泳いでいたせいで、水が綺麗になっちゃったみたいです。で、でも……許可もなく勝手によそ様の池で泳いでしまって、本当にすみません……!」
申し訳なさそうに身を縮める人魚の少女に、アインは女神のような笑顔を向けた。
「いいのよ〜、大歓迎だわ! こんなに池を綺麗にしてくれるなんて、むしろお礼を言わなくちゃ。またいつでも泳ぎにきてね?」
「ほ、本当ですか!? 人間さんたちは人魚を嫌うって聞いていたので怖かったんですけど……優しい人で良かった! 私、フィーネって言います! これからもよろしくね!」
アインの底なしの優しさに触れた瞬間、フィーネは彼女を心の友だと認定したようで、嬉しさのあまり長い尾ひれをバシャバシャと激しく揺らして池の水を跳ね上げて喜んでいた。
そして、その純粋な好意を受け取ったアインは、知らず知らずのうちに、ちゃっかり『マーメル族の最上位の加護』を重ねて授かっているのであった。
◆
その後、ユーヤが自身の《ゲーマー》で召喚した、無限に水が出るおもちゃの水鉄砲をフィーネに貸してあげると、ソーヤも混ざって三人で大はしゃぎの水鉄砲合戦が始まった。
「いくよフィーネ! ハイドロポンプ!」
「ふふん、水の中なら私に勝てるわけないよー!」
賑やかな笑い声が農場に響く中、ドワーフの工房がある方角から、ガシャン……ガシャン……という、重々しく規則正しい金属音が近づいてきた。
現れたのは、全身が美しい銀色の未知の金属で覆われた、背の高い人型の存在だった。
関節部分の歯車を精巧に駆動させ、胸の中央にあるクリスタルのランプが怪しく赤く明滅する。
そして、スピーカーから響くような、無機質な機械音声が辺りに鳴り響いた。
「解析中……。空間魔力濃度、異常値を検出。この農場……作物の生産“効率”……および進化の“可能性”……極めて高評価。超一級の価値ありと断定。」
「う、うわあああ! 機械種族!? ってことは、伝説のオートマト族じゃん!」
「ロストテクノロジーの人工生命体か!? すごい、どういう構造で動いてるんだ……!」
今度はソーヤとトーヤの二人が、男のロマンを刺激されて驚きと興奮を隠せずに目を輝かせた。
やはり男たるもの、どれだけ最強になろうとも、精巧なロボット属性には滅法弱いのである。
オートマト族の個体は、興奮して近寄ってきたソーヤの前でピタリと動きを止め、無機質なカメラアイをパチリと切り替えて彼を凝視した。
「対象を照合。個体名:ソーヤ。所持スキル:創造。……スキルレベル、測定不能なほど高度。照合……我が知識データベースとの一致率98%。……提案:我が種族の技術と、あなたの創造スキルによる“共同行程”の開始を希望する。」
「きょ、共同? ええっと、一体何を作るんですか?」
「我が名は、ノクス。この農場の“完全全自動機械化”の完遂を希望する。」
それを小耳に挟んだ、水浸しのユーヤが、水鉄砲を投げ捨てて血相を変えて猛反対の声を上げた。
「やめろぉぉぉぉ! これ以上ドワーフの機械に加えてロボットの技術まで入ったら、僕たちのお家がスローライフじゃなくて、マジでガチのSFテーマパークになっちゃうよぉ!」
ユーヤが頭を抱えて叫んでいると、異変を察知したドワーフのダグルス親方が、ハンマーを振り回しながらドタドタと走ってきた。
「おいコラァ! そこの銀色のブリキ缶野郎! 俺の可愛い弟子に勝手に声をかけてんじゃねえ! 畑の自動化は俺たちドワーフの特権だ!」
「ドワーフ個体からの敵対心を検出……。我がミッションへの障害と判断。これより防衛プロトコルを作動、無害化処理を開始する。」
ノクスの胸のランプが赤から禍々しい紫へと変わり、ダグルス親方の全身からは闘気が立ち上る。
一触即発、農場が消し飛ぶかという超弩級の戦闘が始まりかけたその瞬間――、
「ストップ! ストップ! スト〜〜〜ップ!!」
常識人のソーヤが、泣きそうな顔で二人の間に割って入った。
そして、そんな大騒ぎの様子を特等席で眺めていたアインは、お気に入りのエプロン姿のまま、淹れたての温かいお茶のセットを乗せたお盆を持って、ふんわりと二人の前に歩み寄った。
「まぁまぁ、せっかくの良いお天気なんですもの、みんな仲良くお茶でも飲みましょう〜?」
信じられないことに、ただそれだけの一言と、彼女から放たれた圧倒的な『聖母の包容力(魔獣の加護多数のオーラ)』がノクスの電子頭脳を直撃した。
パチパチ、とノクスの目が一瞬激しく点滅し、
「エラー……。敵対心の喪失を確認……。思考回路の強制和らぎ現象が発生……。お茶の摂取プロセスへの移行を承認します。」
「ガハハ、なんか毒気を抜かれちまったな! 姉ちゃんの淹れる茶は世界一だぜ!」
一瞬にしてその場の緊迫した空気が、まるで春の陽だまりのように和んでいく。
どうやら感情を持たないはずの古代の人工生命体オートマト族にすら、アインの規格外の天然は絶大な効果があるようだった。
そのあまりに平和的な解決劇を後ろで見ていたトーヤは、深く深く頷きながら、両手を合わせて恍惚の表情を浮かべていた。
(……素晴らしい。さすがは、俺が世界で一番愛する最愛の妻♡ 今日も世界一可愛いぞ……!)
緊迫した空気から一転、ただの親馬鹿ならぬ妻馬鹿のオーラを撒き散らすトーヤであった。
◆
ノクスとダグルス親方が、お茶を飲みながら「ここの配管の効率化についてだがな。」「否。その設計は美しくない。魔力伝導率を3%改善すべきだ。」と、すっかり意気投合して高度な技術議論を始めた矢先のことだった。
今度は家の裏手に広がる深い森の木々が、ザワザワと激しく揺れ動き、まるで巨大な大木そのものが歩いているかのような、全高10メートルを超える巨人が、ドーーーン!!と重低音を響かせて姿を現した。
伝説の植物種族『トレント族』の長老格である。
「うわっ、でっっか!!!」
ユーヤが驚きのあまり真上を見上げ、そのまま勢い余って後ろにひっくり返りそうになった。
巨人はゆっくりと木製の太い首を傾げ、地響きのような低い、けれどどこか優しい声を響かせた。
「我が愛しき……植物たちの……かすかな悲鳴が……聞こえたゆえに……来てみれば……ここか……。」
「植物の悲鳴……? あの、ここはみんなで大切に育てている畑なんですけど、何か問題がありましたか?」
アインが心配そうに問い返すと、巨人のトレント族は、大木のような木の指をゆっくりと動かし、新しく拡大された畑の端のエリアをそっと指し示した。
「ここの畑……非常に素晴らしい育成環境……。しかし……一部の土壌に……わずかなストレスを確認……。あそこのエリアの土……少しばかり水分が乾燥し……、エルフの苗の根が……傷み始めて……いる……。」
「まぁっ! 本当だわ。よく気づいてくれたわねぇ。ドワーフさんの自動水やり機の死角になっていたのかしら。教えてくれてありがとう。」
アインが本気で感謝すると、巨人はゆっくりと、地響きを立てながらアインの前で片膝を突き、敬意を示すように深く頭を下げた。
「あなたから……植物を心から愛し……自然と対話できる……大いなる同胞の気配を感じる……。我は森の守護木……植物はみな、我が愛しき子ら……。同胞たるあなたに……心からの敬意を……。」
「あら。どういたしまして。嬉しいわ。」
「我が名は……エルウッド……。この素晴らしい土地を……世界最高峰の『聖樹園』にするため……これより……我もここに根を下ろし……手伝うこととしよう……。」
「勝手に我が家の農場の名前をつけたぁー!?」
すかさずユーヤの鋭いツッコミが炸裂する。
「ていうか聖樹園って何!? 僕たち、ただの家庭菜園からスタートしたはずなんだけど!?」
どうやらトレント族のエルウッドは、ウェーノ家の居心地の良さが気に入り、ここに聖なる森の拠点を築く気満々のようだった。
◆
こうして、ウェーノ家の農場には、気づけば三つの超希少種族が“常連”として毎日のように居座るようになってしまった。
彼らは自ら進んで農場での役割を分担し始め、
『マーメル族の少女フィーネ → 池の水質管理と畑の水分管理』
『オートマト族ノクス → 畑の全環境データの収集・解析と効率化』
『トレント族エルウッド → 植物たちの24時間コンディション管理』
という、世界のどこを探してもあり得ない最強のバックアップ体制が完成してしまったのだ。
「いよいよ、一家族が個人で持っていい農場の規模を遥かに超越してしまったな……。」
トーヤが毎日出来上がる膨大な収穫量と、庭に集まる神話級のメンツを見て、本気で頭を抱えて座り込んでいる。
ユーヤも呆れたように肩をすくめた。
「うん……。僕がやり込んでた廃人向けのやり込み系農業ゲームでも、ここまでのチート農場にはならなかったよ……。」
「でも、みんなとっても優しくて良い子たちだし、何より賑やかで可愛くて楽しいじゃない〜。」
一人だけ、何の影響もない様子でニコニコとお茶を淹れているアインを見て、その足元で、クロが「……キュアァ」と、どこか寂しそうな、少し拗ねたような顔でアインのスカートの裾を引っ張った。
新入りたちにアインの注目が集まっているのが面白くないらしい。
アインはすぐに気づき、クロを優しく抱き上げてその小さな頭を撫でた。
「ふふ、どうしたのクロちゃん?心配しなくても、クロちゃんは最初からずーっと、ウェーノ家の大事な大事な一番のエースよ〜?」
その言葉を聴いた瞬間、クロは一変して「キュッ!!」と嬉しそうに鳴き、庭にいるフィーネやノクス、エルウッドに向かって、これでもかとばかりにドヤ顔を炸裂させていた。
こうして、ウェーノ家の農場は、今日も賑やかで、少しばかり規格外な一日が穏やかに過ぎていこうとしていた。
今はまだ彼らが定期的に訪れるだけにとどまっているが、実は森の向こうでは、ドワーフやエルフ、獣人、そして新たな種族たちまでもが、ウェーノ家のすぐ近くに「自分たちの集落を作って移住しよう」と虎視眈々と計画を練っており、その思惑が現実のものとなるのは、そう遠くない未来の話であった。




