第76話 常夏の海
「うわあぁぁぁっ! 海だぁぁぁーーっ!」
視界を遮っていた大きな山を越えたその時――
クロの背中越しに目に飛び込んできたオーシャンビューに、全力の叫び声をあげたのはユーヤだった。
目の前に広がっていたのは、視界のすべて埋め尽くすほどの圧倒的なコバルトブルー。
太陽の光を浴びてキラキラと輝くさざ波と、どこまでも続く真っ白な砂浜。潮風が鼻腔をくすぐり、波の音が心地よく鼓膜を揺らす。
「すごい……!これが……海!」
「本当に辺り一面が水で、大きな水たまりみたい……!」
リルとミラが初めての海に珍しく大興奮している。
「これがこの世界の『海』ですか……。不規則に打ち寄せる波や潮の香りは、やはりゲーム世界とは違うのですね。」
「天界の海もすごくきれいだけど、地上の海も負けてないわね!」
リィナとミカエルもそれぞれこの世界で初めて見る海に感動していた。
クロとハクが砂浜にゆっくりと降り立つ。
さっそく、ソーヤがビーチパラソルとビーチベッドに8畳ほどの大きさの簡易更衣室を作り出す。すると、待ちきれないとばかりに、セレスティアとミカエルがお互いに顔を見合わせ、
「ちょっと!待っててね、今すぐ着替えてくるから!」
ものすごい勢いで更衣室へと消えていった。
嵐のように去っていった彼女たちを見送りながら、ソーヤは苦笑いを浮かべていた。
それに続いて、ルンルン気分でアインも更衣室へ向かう。
リル、ミラ、リィナ、ミーナもアインに続いて、順番に更衣室へ向かった。
◆
男性陣がパラソルやビーチベッドをセッティングしていると、ガチャッと更衣室の扉が開いた。
「お待たせ! どうかしら、似合ってる?」
最初に姿を現したのはセレスティアだった。
彼女が身にまとっていたのは、鮮やかな情熱の赤を基調とした、紐が細めのホルターネックビキニ。もともと抜群だった彼女のプロポーションが、これでもかと強調されている。豊満なバストとしなやかなウエストラインのコントラストは、もはや凶器と言ってもいい。自慢の水着らしくグラビア写真集さながらにポーズをきめていた。
「久しぶりの水着は、ちょっと恥ずかしいわね~。」
そう言いながら、更衣室から出てきたのはアインである。ピンク色のクロスホルターネックのニキビをまとい、腰には白のパレオを身に着けている。
普段のふんわりした雰囲気とは違った、艶やかなその姿に、トーヤの目はすでにハート型になっていた。
「さすがはマイスイートハニー♡もはや天使にしか見えない♡」
「このまま私を天まで導いてくれ♡」
「ありがとう♡あなた♡」
最近はシリアスなシーンが続いていただけに、久しぶりの2人きりの世界にいつも以上に酔いしれていた。
そんな二人をよそに、
「私も、この世界の流行というものを取り入れてみましたわ♪」
と、優雅な足取りで現れたミカエルは、純白に金の刺繍があしらわれた、大人の色気が漂うホルターネックタイプの水着で登場。この世のものとは思えない神々しいまでの美貌と、圧倒的な存在感を放つ黄金比率の肉体美に、周囲の空気が一瞬で引き締まる。
「ぶふっ……!?」
あまりにも目の毒すぎる、破壊力抜群の美女三人衆を前にして、男性陣は一斉に顔を真っ赤にしてフリーズした。
あまりのプロポーションの良さに、どこに視線を向ければいいのか完全に迷子状態である。
「もう、何よみんなして固まっちゃって。ほら! リルちゃんたちも恥ずかしがってないで、早く出ておいで!」
セレスティアに促され、恥ずかしそうに更衣室から顔を出したのは、リル、ミラ、リィナ、そしてミーナの四人だった。
「これで……いいのかなぁ……?」
「変じゃ……ない?」
リルとミラは、お揃いの可愛らしいチェリー柄のワンピース水着を身に着けていた。初めて履くビーチサンダルに慣れない様子で、手を繋ぎながらパタパタと歩いている。その姿はまるで、砂浜に舞い降りた小さな妖精のようだった。
その愛くるしい姿を見たセレスティアのテンションが一気に上がる。
「まぁ! うちの双子の妹たちは、なんてかわいいの〜! こんなの砂浜に現れたビーナスじゃない!」
と言いながら、2人を抱きしめる。そんなセレスティアに、リルとミラは苦笑いするしかなかった。
「あ、あの……ちょっと恥ずかしい、です……。マスター、変じゃないでしょうか?」
リィナは淡いパステルブルーの、ひらひらとしたフリルがあしらわれた可憐なタンキニ姿で現れた。恥ずかしそうに自分の腕で体を隠そうとする仕草が、たまらなく愛らしい。
いつもと違うリィナの可憐さに、ユーヤは返事もできずに固まっていた。
「わ、わたしは、別に水着を着なくても……。」
最後に、もじもじと身を縮めながら出てきたミーナに、男性陣の視線が釘付けになった。
彼女が着ているのは、露出を抑えた落ち着いたミントグリーンのパフスリーブ水着。
だが、おとなしめのデザインだからこそ、かえって彼女の『隠された実力』が浮き彫りになっていた。
いつも着ているメイド服の下に隠されていたのは、想像以上に細い腰と、驚くほど形の良い、豊かな胸の膨らみ。
「なっ……!?」
普段は見せないミーナの意外すぎるスタイルの良さに、セレスティアは思わず二度見していた。
女性陣のあまりの魅力に我を忘れかけていた男性陣も、
「よ、よし! 準備も終えたし、俺たちも着替えよう!」
トーヤの号令で気を取り直し、素早く海水パンツに着替え、いよいよ全員で海へと繰り出すのだった。
◆
「うわぁぁ! 冷たくて気っ持ちいいぃぃーー!」
ユーヤはテンションMAXで波打ち際へと走り出す。……が、実は彼には自他ともに認める決定的な弱点があった。
なんと『カナヅチ』なのである。
「よし、ここは安全第一で行こう。……《召喚》!」
ユーヤが軽く手をかざすと、光の粒子が寄り集まり、ポップなドーナツ型の浮き輪が出現した。
手慣れた様子で浮き輪にすっぽりと体を収め、波の上にぷかぷかと浮かぶユーヤ。
「ふぅ……完璧だ。これぞ海の醍醐味だな♪」
「マスター。テンション高く飛び出した割に、もしかして泳げないのですか?」
呆れたように、けれど愛おしそうにクスクスと笑いながら、リィナがすいすいと泳いで近づいてきた。
「そ、そんなことはないよ!今日は少しコンディションが良くないから、念のため浮き輪を……。」
リィナは言い訳を始めたユーヤの後ろに回ると、両手で優しくそれを押し始める。
「わあ、動く動く! ありがとう、リィナ! そのままあっちまで連れてって!」
「お任せください、マスター。落ちないでくださいね。」
2人が楽しく泳ぎだそうとしたその瞬間――
そのすぐ横を「海、気っ持ちいいぃぃ〜!」「兄ちゃん待って〜。」と言いながら、ものすごいスピードで、クロとハクが犬掻きならぬ竜掻きで通り過ぎていった。
打ち寄せる波に揺られながら、
(クロはともかく生まれて間もないハクまであんなに泳げるなんて……。)
「僕もがんばって泳ぎの練習しようかな……。」
と、少ししょんぼりしながら呟くユーヤに、
「いつでもお手伝いしますよ。」
ニコリと笑って、優しい声をかけるリィナだった。
◆
そんな微笑ましい2人から少し離れた沖合では、さらに規格外の遊びが繰り広げられていた。
「すご〜い! イルカさんありがとう〜!」
「サイッコー!イケーーー!」
「海の魔獣?を手懐けるとは、さすがアインさんですわ。」
アインとセレスティア、そしてミカエルの3人は、なんと野生のイルカ?の背に乗って波間を飛び跳ねていた。
実は、3人が仲良く沖合で泳いでいる時に、人喰い鮫のホラー映画さながらに、背ビレを出した魚影が近づいて来ていた。最初にセレスティアがそれに気づき悲鳴を上げるが、幸運にも一緒にいたのがアインである。
当然のように、アインがあっさりと手懐け、その背に乗って遊んでいるのが今である。
アインはただのイルカだと思っているようだが、その頭には角が1本あり、牙もイルカよりはるかに鋭く、誰がどう見ても魔獣であるのだが、3人にとってそんなことはどうでもよい。楽しければそれで良いのである。
そのイルカ?は彼女たちを背中に乗せたまま、波間を大きくジャンプする。飛び散る白い水飛沫が太陽の光を浴びてキラキラと輝き、青空に3人の黄色い歓声が響き渡る。
一方、その光景を見ながら、波打ち際では、ミーナが別の意味での黄色い声を上げていた。
「王女様ぁぁぁぁ!絶対に危険です!それはどこからどう見ても魔獣ですぅぅぅ!」
バカンスで海岸に来て、なおかつ水着を着ていても、日常と変わらないミーナであった。
◆
そんな中、砂浜の方では、男同士の熱い戦いが繰り広げられていた。
「いくぞソーヤ! 俺の魂のサーブ、受けてみろぉぉぉ!」
「甘いよ、父さん! その程度の打球じゃ、俺の鉄壁のレシーブは崩せないよ!」
簡易的なネットを挟んで、トーヤとソーヤが本気のビーチバレー対決を行っていた。
もはやただの遊びではない。
あれだけめんどくさがっていたソーヤだったが、今はお互いに全身全霊を込めて、一歩も譲らぬ超次元的なラリーを繰り広げている。時折、相手コートにアタックが決まるたびにドゴォーーンという轟音とともに砂煙が巻き上がる。一切のスキルなし、己の身体能力だけで挑み続ける男たちの真剣で熱い肉弾戦であった。
◆
そんな喧騒から少し離れた波打ち際。
リルとミラは、足元に優しく押し寄せる波をじっと見つめていた。
「リル、見て! お水が来たり、消えたりするよ!」
「ほんとだね、ミラ。冷たくて、ちょっとくすぐったい……!」
初めて触れる海と波の感触に、二人は言葉にできないほどの感動を覚えていた。
そこへ、リィナに連れられて陸に戻ってきたユーヤが合流する。
「おーい、2人とも。せっかくの綺麗な砂浜だし、みんなで大きなお城を作ろうよ!」
「お城!? 作りたい!」
「ミラも、みんなとお城作る!」
目を輝かせる2人に、リィナも「では、私もご一緒に……」と微笑みながら加わった。
4人はユーヤが召喚したバケツやスコップを使い、濡れた砂を慎重に積み上げ始める。
スキルを使えばいとも簡単に完成するのだが、誰もそんなことは口に出さず、作り上げる工程を楽しんでいた。
ユーヤが土台を固め、リィナが綺麗な貝殻を飾り付け、リルとミラが楽しそうに泥の壁をペタペタと整えていく。
少しずつ形になっていく立派な砂のお城。
時折、少し大きめの波が近くまで寄せてくるたびに、「ああっ、波が来る!」「守らなきゃ!」と4人で大騒ぎしながら、壁を補強する。その時間は、何物にも代えがたいほど平和で満ち足りていた。
そんな彼らの足元に、小さな白い影が転がり込んだ。
極上の白い毛並みを誇る我らがマスコットキャラクター、モフである。
「モフ~♪ モフモフ~♪」
モフは初めて見る海に興奮し、砂浜を楽しそうに転がり回っていた。しかし、調子に乗りすぎて、波打ち際のすぐ近くまで近寄ってしまった。その瞬間――
ザザァーーン。
「もっふぅっ!?」
不意に押し寄せた、少し大きめの波。
逃げ遅れたモフは、波のうねりに丸ごと飲み込まれてしまった。
ユーヤが焦って手を伸ばすが、間に合わず、波が引いていく。
「あ、モフが流された!?」
さっきまでそこにいたはずのモフの姿がどこにも見当たらない。
「……え?……ヤバくない?」
ユーヤが慌ててモフがいた場所まで駆け寄る。
「も…ふぅ……。」
かすかにではあるが、波音に混じって、確かにモフの声が聞こえる。
「モフ! どこ!」
ユーヤが波打ち際に視線を巡らせたとき、波間にユラユラと漂う白い海藻のようなものが目に飛び込んできた。どうやら自慢の毛が濡れて身動きが取れないらしい。
ユーヤ、リィナが慌てて駆け寄り、モフを砂浜まで引きずり上げる。
「モフ! 大丈夫か!?」
「お気を確かに!」
「「しっかりして!モフ!」」
リルもミラも駆け寄ってきて、みんながモフに呼びかけるが、微動だにしない。
みんなが絶望しかけたその瞬間。
ブルブルブルブルブルッ!!!
さっきまで瀕死状態だったモフが、急に全身を高速で回転させるようにして、激しく水を弾き飛ばした。
飛び散る水飛沫。その水飛沫を浴びる4人。
そして次の瞬間――。
「もっふぅー!!」
モフは何事もなかったかのように、いつも通りの、空気を含んでフワフワに膨らんだ「超もふもふ生命体」へと元通りに復活した。
「「「「よかったぁぁぁぁ……!!」」」」
全員がびしょびしょになりながらも、胸を撫で下ろし、それからどっと笑いが沸き起こった。そして、ユーヤは密かに、勇気づけられていた。
(カナヅチ仲間がここにもいた!)と。
◆
誰もがそれぞれの方法で海を満喫し、笑い声を響かせている。
だが、そんな賑やかな喧騒から少し離れた場所。大きなパラソルの下に置かれたサマーベッドに身を横たえている影があった。
ルシファーである。
彼はいつもの黒を基調とした、海パンとアロハシャツを身にまとい、グラスに入った冷たい飲み物を片手に、遠くから一同の様子を静かに眺めていた。
砂まみれになりながらお城を作るユーヤたちの笑い声。
イルカと戯れるセレスティアたちの歓声。
馬鹿みたいに熱くなっている親子。
その、あまりにもまばゆく、温かい光景を見つめているうちに、ルシファーの切れ長の涼しげな瞳の奥に、ふっと揺らぎが生じた。
(……海、か……。)
耳を打つ波の音が、心地よい潮風が、彼の記憶の奥底に眠る、はるか昔の『記憶』を呼び覚ます。
それは、彼がまだ大天使として、天界で過ごしていた頃。すべてが光に満ち、神聖な静寂が支配していたあの場所での、数少ない、けれど最も輝かしい思い出。
天界の端に広がっていた、透き通るような蒼いエーテルの海。その波打ち際を、一人の美しい女性と歩いた日のことだ。
『ルシファー、見て! 私、こんなに綺麗なお城を作ったのよ!』
そう言って、美しく光り輝く翼をパタパタと揺らしながら、自慢げに聖なる砂の結晶でできたお城を指差したのは、彼の最愛の恋人ラファエルだった。
『……子供っぽいぞ、ラファエル。そのようなもの、波が来ればすぐに消えてしまうというのに……。』
『いいじゃない、たまにはこうして子供みたいに無邪気に遊ぶのも。ねえ、今度はあっちの波打ち際に行きましょう?』
ふくれっ面をしてみせた彼女は、すぐにいたずらっぽく微笑むと、ルシファーの手をぎゅっと握りしめて引っ張った。
握り返した彼女の手の温もり。
エーテルの波に洗われ、すぐに消えてしまった2人の足跡。
永遠に続くと思われた、穏やかで、優しくて、愛おしい時間――。
カランッ、とグラスの中の氷が音を立て、ルシファーは現実に引き戻された。
目の前には、相変わらず騒がしく笑い合うみんなの姿がある。
天界での思い出は、すでに遠い過去のものとなり、ラファエルはもう隣にはいない。
ルシファーは自嘲気味に、ふっと息を漏らした。
「くだらんな……。今更、あのような昔のことを思い出すとは……。」
彼はグラスを口元に運び、冷たい液体を喉に流し込む。
だが、その表情に暗さはなかった。
かつての恋人と過ごした幸せな思い出。そして、今この目の前にある、新しくも温かい日常。形は違えど、そこに流れる温かさは不思議なほどによく似ている。
遠くから届くみんなの笑い声を聞きながら、ルシファーの唇の端が、ほんの少しだけ、優しく弧を描いた。
まばゆい夏の太陽の下。
広大な蒼い海は、彼らの現在と過去を静かに包み込むように、優しく波の音を響かせ続けていた。




