第74話 ルー先生
ウェーノ家一同が帝国から帰還して、数日が経った。
村には再び、いつもと変わらないのどかで平和な日常が戻ってきていた。
柔らかな午後の日差しが降り注ぐ中、ルシファーは、手持ち無沙汰に村の広場を散歩していた。
すると、広場の片隅から「ポンッ」「パシュッ」という、小気味良い破裂音が聞こえてきた。その音の方に視線を向けると、エルフの子どもたちが数人集まり、真剣な顔つきで何やら手を前に突き出している。
どうやら、魔法の練習をしているようだった。
「ええと、こうして……えいっ!」
「あー、また失敗だ。もっと強く思い浮かべないとダメなのかな?」
小さな指先から不格好な火球や水球が生み出されては、すぐに弾けて霧散していく。子どもたちの遊びとはいえ、さすがはエルフと言うべきか、内包する魔力の総量はなかなかのものだった。
しかし、かつて大悪魔として畏怖され、魔法の深淵を知り尽くしたルシファーからすれば、彼らの魔力操作はあまりにも稚拙だった。
「……おい。その術式は効率が悪い!」
気づけば、ルシファーは子どもたちの背後に立ち、思わず口を開いていた。
ピクリと肩を揺らして振り返る子どもたちを前に、ルシファーはため息をつきながら続ける。
「展開を急ぐあまり、魔力の通り道が歪んでいる。現象を形にする前に、もっと丹念に体内で魔力を練れ。そうすれば無駄な放出は抑えられる。」
言ってから、ルシファーは内心で舌打ちをした。
相手はまだほんの子供だ。遊びの延長に過ぎない魔法の練習に、自分がムキになって口出しするなど大人げないにも程がある。
適当に誤魔化して立ち去ろうとした、その時だった。
「……ルー兄ちゃん、魔法くわしいの!?」
「そうなの? じゃあ、ルー兄ちゃん教えてよ!」
子どもたちは非難するどころか、パッと花が咲いたように目を輝かせて、ルーの周りを取り囲んできた。キラキラと期待に満ちた無垢な瞳が、四方八方から彼を射抜く。
「な、なんだお前ら。俺は別に……。」
「教えて! おねがい!」
「ルー兄ちゃん、おねがい!」
純度100%の期待を向けられ、ルーはたじろいだ。ここで無下に断れば、まるで自分が酷い悪人のような気分になってしまう。実際には悪魔なのだが……。
「……あー、もう! わかった、わかったから引っ張るな! 少しだけだぞ!」
結局、なし崩し的にルシファーは臨時の魔法教師として彼らに魔法を教えることになってしまった。
「いいか。魔法というのはイメージと魔力操作の連動だ。ただ力を振り回せばいいというものではない。手本を見せてやるから、よく見ておけ。」
ルシファーはそう言うと、人差し指を軽く立てた。
周囲の空気が僅かに震え、極限まで圧縮された高純度の炎が、指先の数センチ上にピンポン玉ほどのサイズで顕現する。熱を一切周囲に逃がさない、完璧な魔力制御の結晶だった。
「これが基礎だ。術式を最適化し、魔力を……。」
「あ! それ、前にトーヤおじちゃんが使ってたやつだ!」
ドヤ顔で解説しようとしたルシファーの言葉を、エルフの少年が無邪気に遮った。
「ほんとだ! トーヤおじちゃんが、かまどの火を一瞬でつけるときに使ってた!」
「わたしも見たことある! ええと、こうやって……えいっ!」
子どもたちが見よう見まねで指先を立てると、驚くべきことに、ルシファーが先ほど見せたものとほとんど同じ構造の圧縮炎が、次々と彼らの指先に灯った。
「なっ……!?」
驚きのあまりルシファーは自分の目を疑った。
今見せたのは、基礎とはいえ極めて高度な魔力制御を要求される技術だ。それを、ただ「見たことがある。」というだけであっさりと模倣してみせたのだ。
「なんだ、この村の魔法教育はどうなっているんだ…!?」
ルシファーは思わず頭を抱えた。
しかし、少し考えれば、理由はすぐに思い当たった。トーヤだ。
あの常識外れの男は、日常の些細な雑用から村の防壁強化に至るまで、ありとあらゆる属性・階位の魔法を息をするように使ってみせる。村の子どもたちは、その規格外の魔法を日常的に「見て」育っているのだ。そのため、彼らの脳内にはすでに高位魔法のイメージと術式が、知識として当たり前のように蓄積されていたのである。
しかし、ルーはすぐに彼らの危うさに気がついた。
「お前ら、ストップ! すぐに魔力を霧散させろ!」
「えー? なんでー?」
「いいから消せ! ……まったく……。」
不満げな子供たちに指示を出し、ルーは深くため息をついた。
知識として高度な魔法を知っており、エルフ特有の才能で一見すれば形はできている。だが、魔力を扱う技術や基礎的な回路の構築が致命的に未熟だった。知識と技術のバランスが取れていないのである。こんな状態で高位の魔法を振り回せば、いつか魔力暴走を起こして自爆しかねない。
「……お前ら、今日から基礎練だ。そんな危なっかしい魔力の扱い方、俺が見過ごせるか。徹底的に魔力の練り方を叩き込んでやる!」
呆れを通り越して使命感に火がついたルシファーは、腕をまくり上げた。
「やったー! ルー先生、よろしくお願いします!」
「センセー! 次は何をすればいいの!?」
「馬鹿、お前はまだ魔力を放出するな! 丹田に意識を集中させろと言っているだろうが!」
いつの間にか「ルー先生」とすっかり懐かれ、子どもたちに囲まれながら熱血指導を繰り広げるルシファー。
その光景を、少し離れた木陰から見つめる影があった。
「ふふっ。ルーも、すっかり村の生活に馴染んできたわね。」
ミカエルは、文句を言いながらもまんざらでもなさそうに子供たちの面倒を見る友人の姿に、とても嬉しそうな笑顔を浮かべていた。
そして、トーヤとアインも家のベランダからその様子を微笑ましく見守っていた。
「ルーがああやって子供たちの面倒を見てくれると、すごく助かるな。教え方も上手いみたいだし……。」
「ええ。子供たちもとても楽しそうに魔法を学んでるわね。うちの子たちもルー先生に魔法を習わせようかしら?」
穏やかな風が村を吹き抜け、子供たちの笑い声とルシファーの怒声が心地よく響き渡る。
平和で、のんびりとした村の日常の一コマだった。
——数年後。
王宮で重用される筆頭魔術師すら遥かに超える、規格外の「賢者」たちが、この小さな村から一度に複数人も誕生し、世界を大きく震撼させることになるのだが……。
当の本人たちも、微笑ましく見守る大人たちも、そしてルシファーでさえも、今の時点ではそんな未来など知る由もなかった。




