第73話 いつもの日常へ
窓から差し込む眩い朝陽が、豪奢な天蓋付きのベッドを優しく照らしていた。ウェーノ家一同による大掛かりな術式――『擬似リザレクション』が、無事に終わった翌日の朝だった。
ルシファーが重い瞼をゆっくりと開けると、見慣れない荘厳な天井の装飾が視界に広がる。体を起こし、ふっと息を吐きながら、ここがどこかと視線を巡らせると、窓際に設えられたテーブルの席に、見知った姿があった。
ミカエルだ。彼女は早朝から優雅にぜルディア帝国御用達のロイヤルミルクティー嗜んでおり、最高級の茶葉が放つ芳醇な香りが、部屋全体を包み込んでいた。
そして、気品あふれるその姿は、窓から差し込む光も相まって、そこだけまるで1枚の絵画を切り取ったような美しい情景であった。
微かな衣擦れの音でルシファーが目を覚ましたことに気づいたのか、ミカエルはゆっくりとカップをソーサーに置いた。
「あら。ようやくお目覚め?」
そう言いながら、笑顔を向けてくるミカエルに、一瞬ドキッとしながらも、ルシファーが答える。
「……どうやら、お前の組んだ擬似リザレクションは成功したようだな。おかげでみんなを救うことができた……。助かったよ。」
まだ少し気怠さの残る体で、ルシファーはミカエルに向かって素直にそう口にした。
しかし、その言葉を聞いた瞬間――
ミカエルは急に表情を曇らせ、カップを見つめたまま無言で深くうつむいてしまった。
「どうした……?」
先ほどまでの優雅な空気は一変し、部屋に重苦しい沈黙が落ちる。
予期せぬミカエルの反応に、ルシファーはスッと血の気が引くのを感じた。
「お、おい! まさか……術式に綻びでもあって、まさか失敗したんじゃ……!」
焦燥に駆られ、ベッドから身を乗り出すルシファー。
次の瞬間、うつむいたままのミカエルの肩が、かすかに、そして小刻みに震え始めていた。彼女は必死に何かを堪えようとしているようだが、やがてそれは決壊する。
「……っ、ふふっ、あははははっ!」
盛大に吹き出したミカエルの様子に、理解が追いつかず困惑するルシファー。
すると、ミカエルは顔を上げ、パァッと花が咲いたように表情を明るくした。
「もちろん大成功よ! 誰が術式を組んだと思っているの? 失敗するわけないじゃない!」
一切の陰りもない、自信に満ち溢れたドヤ顔。それを突きつけられたルシファーは、安堵からくる深い脱力感と、まんまと騙されたことへの腹立たしさがごちゃ混ぜになり、なんとも言えない複雑な顔で盛大にため息をついた。
それでも、失った大勢の生命を取り戻し、再びこうして確かな鼓動を感じながら朝を迎えられたことに、確かな喜びが込み上げてくる。
そんな二人のやり取りの最中、「失礼します」と控えめなノックの音と共に部屋の扉が開いた。
入ってきたのは、トーヤとアインをはじめとするウェーノ家の4人、そしてアインの肩に乗ったクロだった。
「ルー、目を覚めたんだな。本当に無事でよかったよ。」
トーヤの言葉に、ウェーノ家のみんなが頷き、ルシファーの無事な姿を見て心底ホッとしたように表情を緩める。
そこからは、『擬似リザレクション』が無事に成功し、少しずつではあるが、帝国の街が以前の活気を取り戻しつつあるという話で盛り上がった。
◆
ひとしきり、その後の経過を話し終えた頃、再び客室の扉がノックされ、今度はオルディナス国王の側近であるヴァルター宰相が現れた。
「お休みのところ申し訳ございません。国王陛下がお呼びです。ご足労いただき申し訳ございませんが、玉座の間へお越し願えませんでしょうか。」
ヴァルターの申し出に、一瞬固まる一同。
国王を含め、住民も街並みも元通りになったとはいえ、ルシファーの犯した罪がなくなるわけではない。
トーヤがルシファーに目を向けると、ルシファーは真っ直ぐな瞳で見つめ返し、無言で頷いた。
「わかりました。今からみんなで向かいます。」
そう言って、ウェーノ家とミカエルとルシファーは客室を後にした。
◆
玉座の間は、ルシファーが君臨していた時のような鬱蒼とした雰囲気はなく、以前のように凛とした清浄な気配が漂っていた。
玉座にはオルディナス国王が鎮座しており、その隣にはレオニス国王もいた。
ウェーノ家一同が玉座の前に立ち並ぶと、オルディナスは立ち上がり、厳かに頭を下げた。
「此度は我が帝国を救ってくれて本当に感謝しておる。今回の一件は、元はといえば、我の傲慢さが招いたこと。皆がおらねば、帝国の歴史は完全に潰えていたであろう。」
「そなたたちには、返しきれぬ恩ができてしまった……。それでだ……我が国は竜王国同様、ウェーノ村と正式に国交を結ぼうと考えておる。」
「我が言うのもなんだが、帝国の後ろ盾があるということは、何かと便利なことが増えるだろう。それに……。」
「昨夜レオニスからそなたたちの村は非常に愉快な場所だと聞いておる。国交を結ぶのだ。一度視察に参らねばならぬな。」
そう言いながらニヤリと笑うオルディナス。
(異世界の国王はみんな同じなのか……。)
オルディナスの提案に、心の中でため息をつきながら、表情には一切出さず、トーヤが答える。
「承知いたしました。いつでもどうぞお越しください。」
トーヤの返事に満足したオルディナスは、「それで……」と言って、少し声のトーンを落として、続ける。
「ルシファーのことだが、そなたたちはその者をどうするつもりだ?」
オルディナスの問いかけに、トーヤがどう答えるべきか悩んでいると、
「ルシファーは今後、ウェーノ村で暮らすことになってるの。もちろん、私がしっかり監視の目を光らせておくわ。」
「「なっ……!?」」
なんてことはないといった感じであっけらかんと言い放ったミカエルの爆弾発言に、オルディナスとレオニスは揃って目を丸くした。
かつて帝国を恐怖のどん底に落とした存在が、いかに常識外れとはいえ、一介の村に滞在するという事実に、不安でたまらなくなった2人は、助けを求めるように慌ててトーヤへと視線を向ける。
その視線を受け止めたトーヤは、困ったように苦笑しつつも、「安心してください」と穏やかな声で口を開いた。
「村には強固な結界がありますし、何よりミカエル様が一緒にいてくれます。ルーも今は無闇に力を振るうようなことはしないと約束してくれています。ですから、私たちも、村のみんなも、ルーを受け入れております。」
トーヤの丁寧で淀みのない説明を聞き、オルディナスとレオニスは顔を見合わせ……やがて、深くため息をついた。
ウェーノ家の規格外な実力と大天使ミカエルがいるというウェーノ村は、今やルシファーを監視するという点において、間違いなくこの世界で最も安全で確実な場所であることは疑う余地もない。
「……トーヤ殿がそこまで言うのであれば、信じるしかあるまい。」
これ以上の問答は意味がないと悟り納得するレオニスに続き、オルディナスも渋々といった様子で頷く。
「それでは、その件も含めて、改めて、ウェーノ村の視察に伺わせてもらおう。」
オルディナスの言葉で、今回の一件は幕を閉じた。
◆
帝国の復興もルシファーの件も一段落し、客室で荷物をまとめるウェーノ家一同。準備が整いトーヤが軽く手をかざす。空間が歪み、瞬く間に《ワープゲート》が展開された。ゲートの向こう側には、彼らが愛してやまないウェーノ村ののどかで澄んだ空気が広がっている。
「じゃあ、帰ろうか。」
トーヤの声に促され、ウェーノ家4人とクロ、そしてミカエルとルシファーは、オルディナスたちに見送られながらゲートを潜り、久しぶりに村へと帰還した。
村の緑豊かな景色と穏やかな風に包まれると、ピンと張り詰めていた空気がふっと解けていく。
澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込みながら、アインが優しく微笑んだ。
「色々あったけど……久しぶりに帰ってきたんだし、少しのんびりしましょうか♪」
その言葉に、全員の顔に自然と笑みがこぼれる。
「「「賛成!!」」」
誰からともなく上がった明るい声が、村の青空へと響き渡る。
大きな使命を終えた彼らは、こうしてまた、騒がしくも温かい、いつもの日常へと戻っていくのだった。




