第72話 奇跡
広場の中央、黄泉の国へと通じる巨大なポータルの前に立つルシファーの呼吸は、かつてないほどに乱れていた。
無数の光の球――死者の魂――が次々とポータルから引き上げられ、現世へと還っていく。
その様相は神々しくこの世のものとは思えない光景であったが、術者であるルシファーの肉体と精神には想像を絶する負荷がかかっていた。
「……ふぅ、あらかた引き戻し終えたか。残るは大物、オルディナス王の魂だけだな……。」
やせ我慢をして不敵な笑みを浮かべ、最後に最も重く、強大な魂を呼び戻そうとして、ルシファーが腕を振り上げ、魔力を練り上げようとした――まさにその時だった。
ズキッと、全身に今まで感じたことのない激痛が走り、ルシファーの視界が唐突に暗転した。
「な……!?」
大量の死者の魂を、それもこれほどの規模で一気に現世に引き戻すなど、本来であれば神ですら躊躇するほどの御業である。いかに規格外の魔力を持つルシファーといえど、無限に魔力を生み出すことはできず、すでにその魔力は底をつきかけていた。
限界を超えた代償として訪れた、一瞬の意識の空白。ルシファーの体がぐらりと大きく揺れ、膝から崩れ落ちそうになる。
唇を噛み締め、どうにか意識を繋ぎ止めながら、最後の力を振り絞って、かろうじてオルディナス王を現世に引き戻す。
しかし、そのほんのわずかな隙を、深淵の悪鬼たちは見逃さなかった。
『ギ……ァアアア……!』
ポータルの奥底から、生者の熱を渇望するおぞましい叫びが響き渡る。光の届かぬ暗闇で蠢く悪鬼たちの無数のどす黒い腕が獲物を求めて這い出し、意識を失いかけたルシファーの足首をきつく掴み上げた。
「ルー!」
「しまっ……引きずり込まれるぞ!」
「やばくない!?」
その危機にいち早く気づいたのは、術式の全体を見渡していたミカエルとトーヤ、そしてポータルを維持していたユーヤだった。しかし、彼らは叫ぶだけで、その場から一歩も動くことができない。今ここを離れれば、精緻に構築された『擬似リザレクション』の術式が崩壊し、ここまで呼び戻したすべての魂が再び黄泉の底へと散ってしまう。それぞれの重要な役割を担う彼らは、悲痛な思いで持ち場を死守するしかなかった。
慌てて、ユーヤがポータルを閉じようとするも、悪鬼たちが次々と湧き出てくるため、うまく閉じることができない。
(くそ……魔力が……練れない……。)
足に絡みつく悪鬼たちの力に抗おうにも、指先一つ動かす余力すらない。ズルリ、ズルリと、ルシファーの体は抵抗できないまま、確実にポータルの暗闇へと引きずり込まれていく。
(ここまで、か……。俺としたことが、最後にとんだ失態だな……。まぁ、オルディナス王も含め、すべての人たちを呼び戻せただけでも良しとするか……。)
這い寄る闇が彼を完全に飲み込もうとし、ルシファーが自嘲気味に諦めかけた、その刹那だった。
――ザシュッ!!
一条の鋭い閃光が、ルシファーの足に群がる悪鬼たちの腕を寸分の狂いもなく両断した。
「……クロ!ナイス!」
ユーヤが叫ぶ。薄れゆく意識の中、ルシファーの目に映ったのは、間一髪で駆けつけたクロの頼もしい竜姿だった。クロは流れるような動きで残りの悪鬼たちもポータルの奥へと蹴散らすと、倒れ込むルシファーの体をしっかりと掴みその背に乗せる。
「……すまない……。助かった……。」
消え入りそうな声でクロに感謝を伝えながら、すべての死者の魂をこの世に引き戻すという過酷な大役を成し遂げたルシファーは、安心したように気を失い、戦線を離脱した。
「あとは任せて!」
クロによって安全な場所へと運ばれるルシファーを横目に、今がチャンスとばかりにユーヤがすぐさまポータルを閉じる。
そして、残りの4人も倒れたルシファーの意志を継ぐように、粛々と、そして完璧な連携で『擬似リザレクション』の最終工程へと移行していく。
そして、最後の仕上げと言わんばかりに、ミカエルが膨大な魔力を注ぎ込んでいく。
魔法陣から放たれた眩い光が、鼓動するように膨張し、広場全体を白く染め上げる。
やがて光がゆっくりと収束したその中心には――力強く息を吹き返した、オルディナス国王の威風堂々たる姿があった。
そして、その周りには今回の騒動で亡くなったすべての人たちが、生前の姿のまま佇んでいた。
「おお……!」
「国王陛下が……陛下が戻られたぞ!!」
「みんなが帰ってきた!!」
数秒の静寂の後、広場を揺るがすほどの地鳴りのような大歓声が沸き起こった。奇跡の成就を称える声と、涙ながらに歓喜する叫びが夜空に響き渡る。
その凄まじい喧騒が耳に届いたのか、気を失っていたルシファーがわずかに薄目を開けた。
ぼやける視界の先で、熱狂と喜びに包まれる広場の様子を認めた彼は、口角を少しだけ上げ、満足げな笑みを浮かべる。
「……悪くない、結末だ……。」
誰に聞こえるでもなくそう呟くと、今度こそ彼は、穏やかな寝息を立てて深い眠りへと落ちていった。
広場の至る所で、涙と笑顔が溢れていた。生き返った家族の温もりを確かめるように、遺族たちが互いを強く抱きしめ合い、奇跡の再会に咽び泣いている。
そんな人々の歓喜の輪の中心で、2人の男が静かに向き合っていた。
レオニスと、オルディナスである。
多くを語る必要はなかった。2人は互いの瞳の奥にある深い信頼と、これまで共に乗り越えてきた苛烈な試練の重さを確かめ合うように、無言で、力強く、そして固く握手を交わした。
その繋がれた手は、ここから始まる新たな時代の幕開けを告げるかのように、希望に満ちた確かな熱を帯びていた。




