第69話 贖罪②
人も住めないほど荒れ果てた帝国ではあったが、驚異的な速度で平和だった頃の姿を取り戻しつつあった。それもすべては、ウェーノ家の四人が尽力してくれたおかげだった。
彼らの規格外の力と懸命な救護、そして復興支援によって、壊滅寸前だった街並みはわずか数日のうちにほぼ元通りへと修復されたのだ。
さらに、アトレイア王国をはじめとする周辺諸国からも、次々と支援物資が運び込まれていた。食料や衣服、建材などが共有され、市場には少しずつではあるが活気が戻り、人々の行き交う声が響き始めていた。
しかし――物質的な復興がどれほど進もうとも、人々の心の奥底に刻まれた傷が癒えるわけではなかった。街の中を歩けば、そこかしこからすすり泣く声が聞こえてくる。
最愛の夫を亡くし、途方に暮れる若き妻。
長年苦楽を共に生きてきた妻を失い、抜け殻のように座り込む老いた夫。
将来歌手になりたいという夢を持った幼い娘を亡くして泣き崩れる両親。
そして、自分たちより先に逝ってしまった息子の遺品を抱きしめ、天を仰ぐ老夫婦――
大切な者を失った遺族たちの深い悲しみと喪失感は、どれだけ街が綺麗になり、活気を取り戻そうとも、決して拭い去ることのできない泥のように心にこびりついていた。
そんな亡くなった大勢の人々を弔うため、レオニスは動いた。帝国の中心にある大広場に、巨大な祭壇と献花台が設置される。レオニスが自ら指揮を執り、作り上げたものだった。
白く厳かな花々で埋め尽くされたその場所で、犠牲者の大規模な葬儀が執り行われる。
だが、祭壇の前に立つレオニス自身の横顔もまた、痛々しいほどに青ざめていた。彼にとっても、今回の出来事はあまりにも大きな代償を伴うものだったのだ。
(……オルディナス国王……。)
心の中でその名を呼ぶだけで、胸が引き裂かれそうになる。
国を支え、友としてお互いの国を思いやる偉大な王を失った悲しみは、レオニスの心を暗く圧し潰していた。手向けられた花を見つめる彼の拳は、血がにじむほど強く握りしめられていた。
葬儀が厳かに進み、参列した遺族たちの涙が広場を包み込んでいた、その時だった。
突如として、天から一筋の清浄な光が降り注いだ。
それと同時に、濃密で重々しい、しかしどこか哀愁を帯びた闇の気配が周囲に満ちる。ざわめく人々の前に姿を現したのは、神々しい翼を広げた大天使ミカエル。
そして、今回のすべての元凶である、大悪魔ルシファーだった。
「……お前、は……ッ!」
ルシファーの姿を認めた瞬間、レオニスの瞳に猛烈な怒りの炎が宿った。静寂を守るべき葬儀の場であることも忘れ、レオニスは激昂のままにルシファーへと歩み寄る。
その叫びは、家族を傷つけられた怒りとオルディナス国王を失った悲しみのすべてがぶつけられたものだった。
「ルシファー! よくも、よくも私たちの前に平然と姿を現したな! お前のせいで……お前が始めた因縁のせいで、オルディナス国王は崩御されたのだぞ! しかも、どれだけ多くの無辜の民が命を落としたと思っている! お前さえ、お前さえいなければ……っ!!」
レオニスの悲痛な叫びは、広場に集まっていた遺族たちの心に火をつけた。
彼らの視線が一斉にルシファーへと注がれる。この惨劇を引き起こした張本人が目の前にいる。その事実が、遺族たちの悲しみを爆発的な怒りへと変えた。
「そうだ! お前のせいだ!」
「夫を返せ! 」
「私の妻を、子供を返してくれよ!」
「悪魔め! お前さえいなければ、誰も死なずに済んだんだ!」
怒号と罵声が嵐のようにルシファーに浴びせられる。全員が我を忘れ、狂わんばかりに彼を罵倒した。
「うわあああん! お父ちゃんを、お母ちゃんを返せぇっ!」
群衆の中から、親を失った幼い子供たちが泣き叫びながら飛び出してきた。小さな手で地面の石を拾い上げ、全力でルシファーへと投げつける。こつん、と小さな石がルシファーの額に当たり、かすかな傷を作って一筋の血が流れた。続いて何発もの石が彼の身体に打ち付けられる。
だが、ルシファーは動かなかった。
結界を張ることも、避けることもせず、ただ黙ってその場に立ち尽くし、遺族たちの罵倒と子供たちの投石を全身で受け止めていた。その表情にはかつての傲慢さはなく、ただ深く沈んだ、贖罪の念だけが浮かんでいる。
「ルーっ……!」
その光景を見かねたミカエルが、一歩前に出ようとした。それと同時に、トーヤもまた、「みなさん、少し落ち着いてください!」と仲裁に入ろうとする。
しかし、それを止めたのは、他ならぬルシファー自身だった。
ルシファーは静かに手を挙げ、ミカエルとトーヤを制した。
「……止めるな、ミカエル。トーヤ。これは、私が背負うべき罰の、ほんの一部に過ぎない……。」
ルシファーの声は低く、掠れていた。彼は改めて、怒りに震え泣き叫ぶ遺族たち、そして涙を流すレオニスを見据える。
「お前たちの言う通りだ。私がしたことは、到底許されることではない。謝って済む問題ではないことも、百も承知している……。だが……。」
そこでルシファーは一度言葉を切り、すべての思いを込めるように告げた。
「私に……、一度だけチャンスを与えて欲しい。……奪われた命を呼び戻す術、『リザレクション』を行わせてはもらえないだろうか……。」
――リザレクション。
その単語が響いた瞬間、激しい怒号に包まれていた広場が、嘘のように水を打ったように静まりかえった。
死者蘇生。神の領域に属するその奇跡の名に、人々は言葉を失う。
だが、その沈黙は長くは続かなかった。
「……ふざけるなッ!」
一人の遺族が吐き捨てるように叫んだ。それを皮切りに、再び不信感と怒りが爆発する。
「悪魔の言うことなど、誰が信じるか!」
「死んだ人間が生き返るわけがない! また俺たちを騙して、魂でも弄ぶつもりか!?」
「そうだ、悪魔の甘言に耳を貸すな!」
当然の反応だった。一度世界を滅ぼしかけた存在の言葉を、「はいそうですか。」と信じられるはずがない。遺族たちの罵倒はさらに激しさを増していく。
その混沌とした状況を割ったのは、まばゆいばかりの神聖な光だった。
「――皆さん、どうか、一度だけ私の言葉に耳を傾けてください。」
ミカエルがその背の翼を大きく広げると、広場全体を暖かく、かつ圧倒的な威厳に満ちた大天使のオーラが包み込んだ。
その清らかな光に触れた遺族たちは、不思議と胸の昂ぶりがすうっと引いていくのを感じた。怒りに支配されていた頭が冷やされ、強制的にではあるが、静寂が戻ってくる。
誰もが口を閉ざす中、ミカエルは真摯な眼差しで遺族たちを見つめ、改めて言葉を紡いだ。
「ルシファーの言う『リザレクション』は、決して偽りでも、皆さんの心を弄ぶ罠でもありません。これは大天使である私と、そしてすべての力を注ぎ込むルシファー、そしてウェーノ家の協力が合って初めて成功し得る、正真正銘の蘇生魔術です。オルディナス国王をはじめ、今回の出来事で命を落とした方々の魂を、再びこの世界へと呼び戻すことができます。」
大天使であるミカエルがそう断言したことで、遺族たちの間に大きなどよめきと動揺が走った。
「本当に……本当に、あの子が帰ってくるのか……?」
「もう一度妻に会えるのか?」
「嘘じゃないんだな……?」
そこへ、トーヤたちウェーノ家も歩み出た。
「ミカエル様の言うことは本当だと思います。大天使は嘘をつかない。そして、私たちの力が必要なのであれば、もちろん協力いたします。」
トーヤは遺族たち一人一人の目を見るように、真剣な眼差しで語りかける。
「俺たちもルシファーのやったことを許してはいません。だけど、あいつは今、本気で自分の罪を償おうとしています。しかも大天使ミカエルが保証してくれてるんです、賭けてみる価値はあると思いませんか? ……もう一度、大切な家族に会いたくないですか?」
ウェーノ家の他の面々も、静かに、しかし力強く頷き、遺族たちの心に寄り添うように説得を重ねる。街を救ってくれた最大の恩人であるウェーノ家の言葉は、人々の頑なな心を溶かす決定打となった。
レオニスは、ぎゅっと目をつぶった。
悪魔への憎しみと、友やその仲間を取り戻したいという強い願いが胸の中で激しくせめぎ合う。
そして、ゆっくりと目を開けたレオニスは、ルシファーを真っ直ぐに見据えて言った。
「……もし、これが罠だったなら、その時は私の命に代えてもお前を滅ぼす。……だが、もし本当にオルディナス王たちが帰ってくるというのなら……私は、お前の言葉に懸けよう。」
レオニスの言葉に、遺族たちも次々と涙を拭い、頷き始めた。
「お願いします……妻を、返してください……。」
「娘を……もう一度抱きしめさせてくれ……。」
広場を満たす空気が、絶望からかすかな、しかし確かな『希望』へと変わっていく。
「……感謝する。」
ルシファーは短くそう呟くと、静かに目を閉じた。
こうして、失われた命を取り戻すための、前代未聞の奇跡――『リザレクション』が実行されることとなった。




